第三幕 命の恩人

 ゆっくりと自然に目蓋が開いた。

 長い間固く瞑っていたらしく、開けた視界はぼやけていたが、段々と線を結びやがてはっきりとしてくる。

 映ったのは、木造の天井。どこにでもある一般的な造りのものではあるが、自分の家のそれとは違うというのは直ぐに判った。

 だが、違うというのまでは判っても、それがどこにいるのかまでは判らず、不安に駆られ、横たえていた上体を慌てて起こそうと――――――――


「っ!?」


 瞬間、激痛が全身を襲った。

 思わず苦鳴を漏らし、元の位置へと頭を戻す。

 全身重くだるいというのに、身体のあちこちがピリピリと痛む。動かそうとすれば節々が軋み、筋肉が悲鳴をあげる。

 特に右腕は、肩の辺りの骨が折れているのか、指先に力を入れるだけで息が詰まる程だった。

 しかしこれも怪我の光明というのか、痛みのお蔭で働いていなかった頭が活動を始め、朧気だった直前の記憶が浮かび上がってきた。

 賊に襲われている農民を助けようとしたところ、謀られ、痛め付けられたのだ。

 それを何方かが救って下さったのだろう…………

 ふと、夢と現の狭間で見た仙女のような姿が思い起こされた。

 あの方が俺を救って下さったのだろうか?

 だが、俺は相当な怪我――――命を落としかねない程の状態だったはずだ。

 今の痛みも相当なものではあるが、起きれないながらも意識を取り戻し考える事が出来ている。

 ならば果たして、あれからどれ程の時が経っているのだろうか…………?

 今度は痛みに気を払いながらゆっくりと起き上がる。右腕は動かせそうにないので、左手を支えにし、上半身を起こした。

 すると―――――――俺の丁度腹の辺りに誰かが突っ伏すようにして眠っていた。

 全身が怪我で重いため、今まで全く気付いていなかった。否、もし怪我がなかったとしても気付かなかったかもしれない。

 それほどに、かけられた体重は微々たる重さだった。

 腹の上で穏やかに寝息をたてていたのは、まだ齢十程の幼子だった。

 栗色の柔らかな肩に掛かる程の髪は、後ろで束ねられ、肌は透き通るように白い。

 伏せられた睫毛は非常に長く、艶やかな唇は仄かに桜色で、ともすれば女人に見える程美しい。

 朦朧とした視界でとらえたのはこの童だったのだろうか?

 だが、もっと神秘的な光を纏った女人だった気がする。

 そう、まるで仙女のような…………

 記憶との差異に戸惑っていると、俺が動いた事を察知したのか、小さく声を漏らし、腹の上の童が目を覚ました。

 伏せられていた長い睫毛が重そうに開かれていく。

 その下から現れたのは、夢幻の中で見た光と同じ澄んだ翡翠色の瞳。


「……お目覚めになられたのですね!?」


 響いた声は、まだ声変わり前なのか甲高く、幼子に似合わぬ丁寧な口調。


「……ぃ……あ……………」


 慌てて声を掛けようとして、声が出ない事に気付く。

 喉がカラカラに渇いていた。


「お水です」


 童は直ぐに俺の意を察知して、器に入れた水を差し出してくれる。

 軽く頭を下げ感謝の意をあらわすと、水気を失った喉へと流し込む。


「っ!」


 水を含んで始めて、唇の端や口内が数ヶ所切れている事に気付く。だが、それ以上に喉が乾いていて、痛みに耐えて空になるまで飲み続ける。

 咽がこくこくと鳴り、僅かに鉄の味を含んだ水が身体に染み渡る。


「……あ……ありがとう」


 喉が潤うと、掠れてはいるものの安定した声が出た。

 目の前の童は、安堵したように破顔した。ずっと看病してくれていたのだろうか、幼い顔には疲労の色が見えた。


「君が俺を助けてくれたのかい?」


 あどけない表情に、恩人かもしれないと解っていても、ついつい言葉が幼子に対するものになってしまう。

 だが童は、気にした様子もなく笑んで頷いた。


「はい!お救い出来て本当に良かったです!」


「そうか……心から感謝を申し上げる。名は?」


 やはり、昨晩のは夢であったか…………怪我に魘される中でこの美しい童を見間違えたのだろう。


「あ……はい、てんげっと申します」


 名を訊かれると、童は少し緊張した面持ちで立ち上がり、恭しく丁寧に礼をする。


「!?…………君は女人なのか?」


 童が立ち上がった事で遅ればせながら気付く。童は、若い娘が身に付ける膝上の裳を身に付けていた。

 その上、片手を胸に置き、もう片手で裳裾を掴んで頭を下げる仕草は、女人特有の礼の仕方だ。


「……はい、そうですが?」


 思わず訊くが、天月はさも当然の事とばかりに不思議そうに首を傾げる。


「そ、そうか……まぁ、神言など空想に過ぎないか……」


「……えっと、女には見えませんか?」


「否っ、そうではないっ!ただ、そういう流言があるのだ。古の仙女が二十年前呪を残して姿をくらまし、女人は生まれなくなったという話が……」


「……そうなのですか?わたしは今年で十になりますが、そのような話は始めて聞きました……あ、でもわたしはこの村を出た事がないので」


 まだ幼子とは言え、失礼な事を言ったと慌てて否定する。


「いや、失礼な物言いだった。すまない……して、ここは何処なんだい?」


「ここは麒麟山きりんざんにある隠れ里です」


「隠れ里?」


「はい、この村の事を知っている人は殆どおりません」


「ならば、俺なんかを招き入れて大丈夫なのか?」


「お気になさらないで下さい!確かに村の掟で異民を村に入れてはいけない事にはなっていますが、怪我している方を助けるのは当たり前の事です!」


 天月は、真っ直ぐな目でそう言った。

 この戦乱の世では美し過ぎる心の持ち主だ。同時に危ういとも思う。


「そうか…………本当にありがとう」


 俺は、そんな天月の頭に、動く左手を伸ばし、出来る限り優しく撫でた。

 天月は伸びてきた手に一瞬ビクリと身をすくませたものの、くすぐったそうにされるがままになる。

 俺も自分より年下の人間と触れ合った経験は殆ど無いが、天月も同様のようだった。

 それまでの溌剌な様子は一気に引っ込み、気恥ずかしそうに俯いて頬を赤く染めている。

 気安く髪に触れるなど、女人に対して軽率だったかもしれない。


「あ、すまない」


「い、いえ…………その、貴方様のお名前は?」


「あぁ、まだ名乗っていなかったな。俺の名は…………」

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