第一幕 志を折らんとする

 世は戦乱の真っ只中にあった。

 地繋がりの土地の主権を争い、多くの国が建っては滅びを繰り返し、血で血を洗う戦いがあちこちで繰り広げられる。

 そのような世が、既に百年近く続いていた。

 人々は疲弊し、家族を失い、野心を抱いて、繁栄と衰退の輪廻を巡っていた。

 そんな戦禍の中に僅かな転機が訪れたのは、二十年程前の事。

 日々散っていく命を憂い、人間の愚かさを嘆いて、この世に生をもたらす神が呪を遺して姿を眩ましたという。

 曰く、


『人の子が争う事を辞さぬなら、命の芽吹きは絶えるだろう』


 嘘か真かその呪の通り、以後の世に女人が生まれる事はなくなった――――――






「旅のお方…………すまねぇっ!」


 謝罪の言葉と共に降り下ろされる拳。

 見定めずに放たれた一撃は、頬を逸れ耳に近い辺りへ当たる。

 躊躇のせいで力加減は弱まっていたものの、当りどころが悪いせいで反って長引く痛みが残った。

 北を目指し旅路を行く俺は、麒麟山きりんざんにほど近い東の林道を馬で駆っていた。

 東西を分断するように南北に伸びる麒麟山脈。麒麟山は龍頭山りゅうずさんに続き二番目の高さと、随一の樹海を擁した山だ。

 その麒麟山に沿う東側の林道を抜け、更に三日程北上した先にあるひょうせい様の治める国。

 その国に仕官すべく、半月前に郷里を発った。

 父は、同じく氷青様に仕える文官だったが、四年前の戦火に捲き込まれ落命した。

 母は、女手一つで俺を育て郷里である小さな村で親類と共に暮らしている。

 兄弟のいない俺は、老齢ばかりが暮らす村に久方ぶりに生まれた赤子だった。

 そのため、幼い頃から自然と村の皆を護ることが使命だと思っていた。

 結果、護るためと身に付けた槍術はいつの間にか上達していった。

 そして、元服を迎えた今年、母に奨められ、氷青様の元に仕官することとなった。

 ずっとあの村で畑仕事をしながら、母と村の皆を護り生きていくものだと思っていたから、正直仕官を奨められるとは思ってもみなかった。

 けれどそれが、氷青様直々の推挙の書状故だと知り、決心した。

 ただの文官でしかなかった父をしかと覚えていてくれたのだと、そのご配慮に感じ入ったのだ。

 ならば一刻も早くそのお心に報いようと、雪融けを迎えるや否や、出立した。

 だが―――――

 繰り返し繰り返し、拳が爪先が防具を剥ぎ取られた体に食い込む。

 痛みがはしるたびに、謝罪の言葉が降り注ぐ。

 歯を食い縛り、座したまま耐える俺よりも、危害を加える側のほうが数倍苦しそうだった。


「……駄目だな」


 けれど、更に追い討ちをかけるようにそんな言葉がかけられる。

 俺に対して暴行を繰り返していたその人は、振り上げかけた拳を止めると、絶望的な顔で振り返った。


「……これを使え」


 無言で限界を訴える彼の目の前に、錫杖のような細い木片が転がされる。


「ご、ご勘弁を……これ以上は、もう……」


 制止を懇願したのもやはり俺では無かった。

 半刻程前の事。

 立ち並ぶ鬱蒼とした木々も見飽きて、そろそろ林道を抜けるだろうという頃。

 西側の林の奥で助けを求める声が聞こえた。

 先を急ぐ身なれど、俺はその声を放っておく事が出来ず、馬を止め様子を窺ってしまった。

 そこには、頭を抱え命乞いをする農民と思しき男とそれを取り囲むように立つ二人の賊の姿があった。


「馬鹿を言うな…………この程度ではじゅこう様への忠誠は示せぬ」


 顔中に広がった涙を拭い、鼻水を啜り上げ、農民風の格好をした男が必死で反論する。

 彼はもう五十を越えた壮年の男で、手拭いを巻いている頭から溢れる髪は真っ白だった。


「ふむ……そうか、お前は樹仙導じゅせんどうに従えぬというか……」


 対して、取り囲む二人の賊はまだ若く精々三十を越えた程度の風貌だ。

 二人とも装いは賊のそれだが、体格は細面で、賊にしては少々頼りない。腕に黄色い布を腕章のように巻いている。

 本来であれば、このような相手、丸腰であろうと組伏せられる自信がある。

 実際、彼等に遭遇した当初は、槍を振るわずに一人を組強いた。それだけすれば、後は自ずと逃げていくだろうと踏んでの事だった。

 だが、彼等が背中を見せたその隙を付いて背後から打ちすえられたのだ。

 不意を突かれたという事もあり、思わず膝を付いてしまった。そしてこの顛末である。

 勿論、それでも逆らう事は可能であった。後ろ手に縛り上げられたからと言えど両足が動けば、逃げる事も、対抗する事も出来た。

 しかし、蒼白な顔をして震える手で木片を握り締める壮年の男の姿を見たら、それは出来なかった。

 そして、その下らない同情故、俺はここで終わってしまうのかもしれない。

 村に残してきた母を見捨て、氷青様に報いる事も出来ず、父の名に泥を塗って、見ず知らずの男に情けをかけるために………………。


「ならば致し方無い。……お前が忠誠を示せぬと言うならばお前の妻に示してもらうまでよ」


「っ!?」


 意を決して反論した男に、冷たく賊の一人が言い放つ。


「そうだな。多少年老いてはいるが、女には変わり無い」


 下卑た笑みを浮かべ、もう一人の賊も同調すれば、農民風の男の蒼かった顔は青を通り越して白くなっていく。


 そうか、妻を人質にとられているのか…………


 痛みで朦朧とした頭は、どこか冷静にやっと彼等の関係性を理解した。

 俺には、まだやるべきことがある。幾ら打ちのめされようと、鍛えた体はまだ動く。

 だが、だが…………それでも逃げ出せない。

 震えと汗で何度か取り落としそうになりながらも、男は木片を抱き抱えるように構えた。


「うああああああ……………………!!」


 嗚咽と悲鳴が入り交じった雄叫びと共に木片が降り下ろされる。


ガッ!!


 舌を噛む事は避けたが、意識は保ちきれなかった―――――。

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