9 「お、お姫様抱っことかバカなのっ!?」
その後、ヨネばあちゃんに言伝して(半分寝てたので覚えているかわからないが、姫奈いわくひとりで過ごすのは問題ないらしく、良しとした)、ふたりは家を出ることにした。
姫奈に門柱の裏に隠れてもらいつつ、葵太が道路に出て周囲の状況をうかがう。通行人はおらず、近隣の家のベランダにも人影は見られなかった。なんだか脱出モノのマンガの登場人物になった気分だった。
「姫奈っ、今だっ!!」
「うんっ!」
声をかけ、ふたりは同じ方向に向かってダッシュし始める。向かうのは、中崎家から徒歩5分のところにある最寄りのバス停だ。そこからバスに乗れば、この辺で一番大きな駅にたどり着くことができる……はずなのだが。
「姫奈、大丈夫か? 速くないかっ?」
「普通に速いっ! もうちょっとゆっくりでお願い!」
「あいよっ」
葵太は決して足が速くほうではなく、むしろ運動神経は姫奈のほうがいいぐらいなのだが、それでも高校生男子と小学生女児の体格差は大きかったらしく、普通に走れば差が出来そうだった。
しかも体力もないらしく、1分ほど走れば姫奈は息切れ。
と、そんなふうにして大通りに出た瞬間、真横をバスが通っていった。
「あっ、バスっ!」
「え、なんでっ! ダイヤ変わったのっ!?」
「そうらしい……姫奈っ、ちょっと我慢してくれっ!」
「へっ、ひゃあーっ!!」
姫奈が叫んだのも無理ない。葵太がいきなり姫奈を担ぎ上げ、そのまま走り始めたからだ。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。華奢な体で、女性特有の柔らかさはなかったが、それでも走りながら抱えるにはなかなか重い感じ。
「ちょ、ちょっと葵太っ!」
「いてでっ! 叩くな前見えないって!」
「あぶなっ! 落ちそうっ!」
「ならちゃんと持てって!」
顔を赤らめ、葵太をポカポカと叩く姫奈。しかし、それでも葵太がお姫様抱っこをやめないので、諦めたかのように首元に手を回した。途端、甘いニオイが葵太の鼻腔に流れ込んでくる。もっとも、全力疾走している今、それを楽しむ余裕はないのだが。
そんなこんなしつつ、葵太は勢いを落とさずバス停に到着。直後にバスが到着し、ドアが開いた。
「ふー、間に合った」
「間に合ったじゃないっ! お、お姫様抱っことかバカなのっ!? あんなことしたら余計に目立っちゃうじゃんっ!!」
「あ……」
「あ、じゃなくて。絶対色んな人見てたし、それに急にお姫様抱っことか心臓に悪い……」
「え、今なんて言った? 途中から声が小さくて」
「うっさい! なんでもないっ!」
真っ赤になった顔を隠していたと思ったら、葵太に叫んだのち、姫奈はその場に力なくしゃがみ込んだ。うーむ、良かれと思ってまずいことをしてしまったらしい……。
「あの君たち、乗るの?」
と、そこでバスの運転手さんが声をかけてきた。何をやってるんだこの兄妹は的な目線で、いぶかしんでいるのがわかる。
「妹さん大丈夫? 体調悪い感じ?」
「じゃなくて! の、乗りますっ!」
「すいません、うちの妹が……いでっ」
慌てて立ち上がりつつ、通りざまに葵太の足を踏み抜いて姫奈はバスへと乗る。普通に痛いし、普段の姫奈なら絶対しない行動だ。
「あ、ちょっと待って」
と、そこで運転手さんが姫奈を止める。
「お嬢ちゃん、そのSuica子ども用じゃないでしょ? 大人料金になっちゃうよ!」
「えっ、あっ、えっ?」
「差額払い戻すからちょっと待っててね……はいどーぞ」
「あ、ありがとう、ござい、ます……」
日本語が不自由になりながら数十円を受け取ると、姫奈は未だに理解できないという感じで、バスへと乗り込んでいった。葵太もすぐに乗って、姫奈の隣に座る。バス後方にある、ふたり掛けの席だ。バスが発車すると、エンジン音に声を紛れさせつつ、姫奈がぼそりとつぶやく。
「そっか。そうだよね、この見た目だと子ども料金になるんだ……」
「今まで出たことないってのほんとだったんだな。まさかあんなふうにミスるとは」
「そうだよ、本当に初めてなんだもん。だからちょっとビックリしちゃった」
つい数十秒前までお姫様抱っこに怒っていた姫奈だったが、子ども料金の衝撃で吹き飛んでしまったらしい……いやまあ、わかるけども。大人料金にすっかり慣れてる状態で「お嬢ちゃん、そのSuica子ども用じゃないでしょ?」なんて運転手さんに話しかけられたら、そりゃ混乱もするだろう。
まあでも、話をしているうちに混乱も徐々になくなっていくだろう。そう思いつつ、葵太は隣の姫奈に尋ねる。
「で、今日はどこ行くんだ?」
「駅前」
「それは聞いたけど。どこに入るのかって話」
「んー、わかんないけど映画とか?」
「映画ね。たまにはいいか」
「あ、そう言えば今流行ってるあのホラー映画! たしか駅前の映画館でやってたよね!? それかあの韓国のクライムサスペンスも良さそうだし、あとゾンビ映画で……」
「ちょっと待った……姫奈、お前もしかしてアホなのか?」
「あ、アホ……?」
「映画にはレイティングがあるだろ。さっき子ども料金の話したばっかなのに」
「あ……」
小さな口をポカンと開けて、姫奈が愕然とする。
「R18は18歳未満の入場・鑑賞が禁止で、R15は15歳未満の入場・鑑賞が禁止。姫奈が今言ってた作品は全部R18か15だ」
「そ、そんなあ……」
「ちなみにPG12もあるけど、これは成人保護者の助言や指導が適当って意味で、『銀魂』ですら該当するんだぞ」
「そっかあ。映画って結構厳しいんだね」
悲しい声色で言いつつ、姫奈は目の前の手すり部分にもたれかかった。体が軽いせいか、バスが跳ねるとそれに合わせて体も軽く浮いていて……
「いてっ!」
バスが大きく跳ねた瞬間、予想通りに顎を強打。瞳が涙混じりになっていた。
……もしかして姫奈、ロリ化しているときは少し子供っぽくなるのかもな。普段より感情表現がストレートなのも、もはや間違いない感じだし……。
「はい、これ」
姫奈にハンカチを渡しつつ、葵太はそんなことを思ったのだった。
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