第2篇③ 殺すことも可

 神の手が掴んだ心臓はまだ脈打っていて、部屋の床に血をまき散らしていた。しぼんでは膨らみ、それと同時に心音の独特な音が一定のリズムで繰り返される。


 当たり前だけど人体模型や画像で見たものとは比べ物にならないくらい新鮮な人の臓器。血だらけで形が良く見えないが、確かに見覚えのある物だった。今までにないくらいの血特有の鉄の匂いが鼻の中を埋め尽くす。


 男は怒った出来事をただ茫然と眺めた。いや、起こってしまったというべきか。神の手が男の言葉通りに好きなアイドルの心臓を持ってきたのなら、男は自分の意志で人を殺したことになる……。


 心臓から出る血が飛び散り、神の腕を流れ落ちて、敷きっぱなしの布団や畳に染み込んでいく。その間も男は動けなかった。


「その心臓を元の場所に戻してくれ」


 ダメ元で言った。心臓を握った神の手を食い入るように見つめる。しかし数秒待っても心臓はそこにあり続けた。徐々に鼓動を弱めながら。


 でも待てよ……これってつまり……。


 男は気づいた。これも気づいてしまったというべきか。この神の手は人を殺せる道具でもあるということに。


 発想の転換だ。部屋は汚れて、好きなアイドルはおそらく死んでしまったけど神の手の新たな使い道に気づくことができた。これはマイナスではなくプラスの出来事かもしれないと男は思った。


 なぜなら、男には殺したい奴がいくらかいたからだ。


 神の手は恵みを与えて人を幸せにするという物だけでなく、人から奪って不幸にする道具でもある。男はその日、その事に気づいて、翌日1人のアイドルが急死したというニュースが全国に流れた……。


 男は神の手の新たな使い道を知ると、今度は神の手に掃除用具と黒色の丈夫なナイロン袋を求めた。神の手の周りには畳が血で汚れないようにペットシーツを敷き詰めた。何重にも重ねて。


 消臭や除菌のケアも欠かさずにこなして、マスクも着用する。さながら手術をする医者のような姿になると、ゴム手袋を装着して……また人間の心臓を神の手に求めた。


 最初の相手は小学生の頃に男をいじめていた人物にした。もう名前もうる覚えで、どんなことをされていたかも断片的にしか覚えていない。だから恨みも今では全くない。けれど、誰を殺そうか考えた時に一番にその人物が浮かんだ。


 手頃で遠い存在から試しにやってみたい。それと、幼い時に誓って胸に刻み込まれていたこいつをいつか殺してやるという意識が働いたようだった。人の恨みというのは恐ろしい。きっと幸せな記憶よりも強く残る。


 遠い存在から殺そうと思ったのは、いきなり上司なんかを殺したりしたら足がつくかもしれないと考えたからだった。どんなにあり得ない死に方でも容疑者が絞り込まれて出所が分かれば見つかってしまう。


 死人の同僚への家宅捜索なんかも行われるだろう。そうなれば1発でゲームオーバーだ。隠すこともできないし、自分が強くなったわけでもないので戦ったり逃げることもできない。


 カモフラージュすることを考えて行動した男の……部屋にある黒色のビニール袋は1週間も経たないうちにいっぱいになった。

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