第1篇④ 一緒に死のう

 山道は険しかった。というか、険しいほうへ進んだ。人間は誰も通らないんじゃないかという道を、草木をかき分けて進む。


 先頭を歩いたのは男だった。若い女に気を使っている訳ではなく、殺した後に見つからない場所を自ら決めたかったからだ。


 なるべく森が深いほうへ、草木に触るのや服が汚れるのは嫌だが仕方ない。強く痕跡を残すのもNGなので蜘蛛の巣も払わず、蛇行して進んだ。帰れなくなることにも気を付けねばならない。


 周りは背の高い木に囲まれているけど、少し開けている。そんな場所に辿り着いた時に男はここがいいと足を止めた。


「ここにしようか」


「……」


「もう準備はできてるよね」


「……はい」


 男は聞いたけれど、その問いに意味はなかった。今更死にたくないと言われても殺すからだ。もう泣こうが喚こうが助けは来ない。


「じゃあこれを」


 男は若い女の目に布を巻き付けた……そして首には……ロープを巻き付けた。きつく縛った。もう男の指の力だけでは解けないほど。


 ロープのもう片方の先をちょうどいいサイズの木のほうへ伸ばす。首吊りで殺すなら最後に男が引っ張って女を持ち上げるつもりだ。ロープが張る所まで引くと、ロープ越しで若い女の首の感触を手に感じた。


「最後に何か言いたいことはある?」


 そんなお優しい柄ではないけど、こういう従順な自殺志願者には聞くことにしていた。何を言うのか興味があるからだ。自分には想像もつかない世界を見せて欲しい。楽しませてほしい。


「謝っておきたい人がいます。伝えてほしいんじゃなくて、ただ最後に言葉にしておきたいです。いいですか?」


「誰?」


「一緒に死のうと約束していた人です」


 親か兄妹とかだと男は思ったが、若い女が答えたのは意外な人物だった。言い残したいことが、その他人への謝罪というのも変わっていると男は思った。


「そう。何の足しにもならないかもしれないけど僕が聞いておくよ」


「名も知らない友達へ。約束を破って先に行くことを許してください。私も本当はあなたと死にたかったけれど、返信が無くなってしまったから。私はもう生きていることが我慢できません。だから、先に死にます」


 若い女は思いの外はっきりと謝罪の言葉を述べた。口を大きく動かして遠い友人まで気持ちだけでも届けようとしているように……。


 深い森の中で、高い女の声が響く。


「私は最後まで人を裏切ってしまった。こんな人生でもしょうがない……でも、今日やっと私は幸せに――」


 そこで男は若い女の喉めがけて思いっきり刃物を振り抜いた。


 持ってきた工具箱から女に目隠しをした後にそっと取り出した大きなサバイバルナイフだ。


 首を一刀両断して切り落とす狙いだった。我慢できなくなった衝動を乗せて、渾身の一振りをお見舞いした。血しぶきを受ける隙も無いほど素早く。


 しかし、若い女の頭が転がるほどの損傷は与えられなかった。でもかなり綺麗に切れた。しっかり研いできた甲斐があった。若い女の首は一瞬で大半が切断された。


 文字通り首の皮一枚。そんな若い女の首が傾いて、遅れて心臓から送られた血が噴水のように噴き出る。


 そこへもう一振り。男は首から上を切断してみたかった。


 男は首があった場所から血を噴き出す若い女の体には目もくれず、転がった首を近くまで駆け寄って観察した。


 若い女の口は、頭ごと地面に落ちてからも数秒間動き続けた。男には全く興味が無い謝罪文を続けようとしているらしいけれど勢いが無くなった口を、水を泳ぐ魚のようにゆっくりと。


「へえ。こうなるのか」


 男は目を輝かせた。

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