第27話 P.A.S.S

 小熊がここに来る前に自宅で行った下調べによると、この運送会社の社名はP.A.S.Sと言うらしい。

 何かの頭文字になっているらしいが、それが何なのか忘れた、小熊にはこの会社のWEBサイトのほうが興味深かった

 従業員がアットホームな雰囲気の中で働いている姿の画像も無く、朗らかに客先とコミュニケーションしている姿も無し、ただ会社の所在地と業務内容。受注時の参考単価と従業員の給与システムが、明快に書かれている。ここに発注、就職したいと思った時に必要となる情報への迅速なアクセスが可能で、少しでも専門性の高い用語には必ず注釈が付き、表示を不必要に重くするくだらない動画も無い。


 少なくとも小熊は色々な企業のサイトやパンフレットを見た、社長のにこやかな写真の無い企業案内は初めて見た。浮谷でさえ自社のサイトには七五三のようなお澄ましした顔を乗せていて、桜井の教会では所属するシスター達の美貌と体形を強調する夏用修道服姿のナイスバディを、キャバクラのサイトみたいに自慢げに掲載している。

 後に実際に会社を訪問し、社長と面会してその人となりの一端を知ると、なるほどど頷ける内容だったが、だからこそ小熊には今のうちに明らかにしておかなくてはならない事があった。

「ハンターカブはバイク便の仕事に使えません。私は同じエンジンのC125に乗ったことがあって、非常に優れたバイクですが、致命的な欠陥がある」


 葦裳は苛立ちも好奇心も伺えない、入力に対する適切な返答を機械が選択したような声で言った」

「その欠陥とは何ですか?」

 この明瞭で簡明直截ながらバイクのこと、特に実地で運用した時に起こりうる事をどれだけ知っているのかわからない社長に、小熊は即答した。

「原付二種は高速道路、自動車専用道路を走行できません」 

 葦裳はまた機械的な応対をする。

「弊社の業務内容とその範囲に置いて、バイクで高速道路に乗る状況はほぼ発生しません。車両の維持運用コストおよび、従事可能な免許所持者の多さなど、総合的な要素から原付二種による運用が最善と判断しました」 


 小熊は首を振った、この雪のように冷たい社長はバイク便の現場をどれほどわかっているのか。武蔵野の地図が表示されたディスプレイに触れる。小熊はディスプレイ横のホルダーからタッチペンを勝手に抜き取り、地図の中の一点を指した。どこでも良かったが、土地勘があって説明容易な町田北部を指す。続いて都内の適当な場所を指した。二十三区の端。何度か行ったことのある二子玉川。

 「もしもこの町田で荷物を受領し、この二子玉川に届ける仕事を請けたとします。一般道で行くのは可能ですが、東名高速道路を使用すれば十分は短縮できます。時間の問題だけでなく、複数の選択肢があるのは重要です。原付二種では、いくらコストカットして料金や給与をダンピングしても、競合する他社には到底勝てないでしょう」


 葦裳は手を伸ばし、キーボードで幾つかの操作をした。Googleあたりのネット地図同様に、経路を表示する機能があるらしい。ディスプレイに表示された経路と時間は、ほぼ小熊の言う通りの内容になっていた。高速利用でおおむね四十五分。一般道利用で五十五分。二子玉川に住んでいる椎ならば、多摩川の浅瀬をリトルカブで突破してもう少し早く来るかもしれない。

 それから葦裳は、更にキーを押した、芝居がかった仕草でエンターキーを叩くような真似はしない。日本軍では銃の引き金の絞り方を「闇夜に霜が降るように」と教えるらしいが、小熊にはキーボードに雪が降っている様が見えた気がした。


 バイク、車関連の主要アプリなら大概知っている小熊でも見たことの無い、雪の結晶のようなアイコンがマウスクリックより早くキーボード操作で起動した。ディスプレイ全体が一瞬、白く覆われる。小熊はこのディスプレイに表示されるであろう葦裳社長の返答に被せるように言う。

「私はこの会社の雰囲気に好感を抱いております。もし社長さえよろしければ私のコネの範囲で二五〇ccのバイクをリースしてきます。それで業務を行わせて頂ければ」

 小熊の身勝手な発言が終わるのを待った後、社長がディスプレイを手で示しながら言った。

「これをご覧ください」


 先ほどまで表示されていたバイクで一般道を走行する時の最適な経路が、色もルートも異なった表示になっていた。

 町田から多摩川沿いに走る一般道のルートから、まっすぐ南下して田園都市線の長津田駅に達するルート。そこで経路表示の色は青から黄色に変わっていて。線路上に描かれたルートは二子玉川駅まで伸びている。駅を降りれば、椎の住んでいる低層マンションまで徒歩三分。

 到達時間は、バイクで高速を飛ばすより十分早い三十五分。急行を利用すれば、更に短縮される。

 表示を見て何となく察した小熊に、葦裳はいちいち説明する。


「仮に町田市北部の総合斎場で荷物を受領した場合。弊社のバイク輸送員は田園都市線の最寄駅、長津田駅まで荷物を輸送します。それから長津田駅で弊社のハンドキャリー輸送員に荷物をパスして、鉄道で輸送先最寄り駅まで移動し、到着したら弊社のバイク輸送員、および提携している輸送社の自転車輸送員にパスします」

 長津田駅からは、更に小熊の家に近いこどもの国まで第三セクターのこどもの国線が伸びているが、半ば観光電車のためダイヤは疎らで、こどもの国から長津田駅ならばカブのほうが速いことを小熊自ら確かめている。


 社長の説明した方法は小熊も知っていた。社を跨いだ複数の運び屋で連携しながら荷物を輸送する方式。社によって縄張りの異なる自転車便などではよく見かける。ただ小熊が以前居た山梨ではほとんど行われていなかった。小熊は町田から二子玉川への輸送を例に挙げたが、都心部への輸送ならば地下鉄と、車ほどでないにせよ道路状況の制約を受けるバイクの時間差は明らかだろう。その連携方式がうまくワークすれば、の話だが。


 小熊はもう一度地図を見た。小熊が中型バイクの有利を挙げる根拠としている高速道路は、武蔵野を横断する中央高速と、端っこを通る東名高速の二本のみ。一方鉄道路線は東西に横断する複数のルートがあり、それに比し少ないながら南北に縦断する鉄道やモノレールもある。一方小熊が働いていた山梨では鉄道路線は三本しか無い。それでも東京で暮らしていると家や職場から駅までの道は徒歩やバスで結構時間を食うが、その時間をバイクで短縮するという運用方法は、急送という最重要の目的を考えれば最も効率的かもしれない。もしも鉄道輸送を行うハンドキャリー要員との連携が困難と予想される時は、受注不可と判断して仕事を請けず、最初から切り捨てるほうが効率がいいし、連携のトラブルで輸送事故が発生した時は、会社あるいは社が加入している保険会社が補償金を払ったほうがトータルコストは安くあがる。


 この社長が社名にP.A.S.Sと名付けたのはこのためだと思った。ホンダは同様の名称の新世代支援ロボットの計画を進めている。人から人への意志や技術のパスを、機械がお手伝いする計画。

 何か考えれば考えるほど自分よりこの社長の方式が正しいようことがわかる。雪と正論と雪は空から降ってくるが、事実と積もった雪は道の先々で待っている。世の定めがそうであるように、白く冷たい雪からは逃れられない。小熊は社長に負けを認めた。

「私の認識が誤っていたようです。あなたの方法が最も合理的です」

 やはり葦裳の仕草や口調からは、勝ち誇ったり説明疲れするような仕草は一切見られない。再びキーボードを雪が降るように操作し、ディスプレイに次の説明内容を表示させる。

「こちらが雇用契約書になります」


 葦裳から契約書の文面、内容について一切の誤魔化しや騙しの無い律儀な説明が行われた。そのあいだ葦裳は何も飲まず何も食していない。デスクにはマグカップすら無かった。小熊は目の前の真っ白な社長が呼吸や鼓動をしているのか気になった。

 説明を終えた後、葦裳は小熊に問うた。

 「今、契約書に捺印なさいますか?」


 ハンコを押す形式でない電子書類による契約書。小熊は認印を常にポーチに入れていて、指紋認証を行う指もニ十本ほど持ち合わせていたが、一応形だけ少し考えるふりをした後、返答した。

「明日まで待ってもらえますか?」

 葦裳は歯医者の予約か何かのように「承知しました」と答える。ここで葦裳が契約者に不利な内容が相手に見つかる前にハンコを急くような人間なら、小熊はもっと早く席を蹴って退出している。

「明日、今日の面会と同じ時間、十五時にここで回答を聞かせて頂きます」

 小熊は頷き、それで充分だと思ったが、わざわざ「了解しました。明日十五時に御社をご訪問させて頂きます」と口頭で確認した。

 この社長の癖が少し伝染ったのかもしれない。

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