第23話 フットサル
低い山々が連なる武蔵野の丘陵地を宅地開発した町田市
その中でもさほど高くない、自転車ならウォーキングよりいくらかましなエクサイズが出来る程度の勾配を登った先の頂に位置する場所に、椎が試合を行うフットサルパークがあった。
町田と横浜が複雑な境界を構成する中に川崎市の飛び地があるという場所で、風致地区に指定されていることもあって周囲は緑地で覆われていて、すぐ隣には都内キー局のドラマ、バラエティ撮影スタジオがある。
小熊の住む町田市北部からはバイクで十分少々の距離で、小熊にとっては普段カブで買い物に行く生活圏の範囲内。事実目の前を通る幹線道路を少し走った先には、水曜日に魚が安くなるのでよく行っているスーパーがある。
小熊が借り物のフュージョンを試合会場に乗りつけると、もう試合は始まっていた。
会場は人工芝は貼られた一面だけのグラウンドと、周囲の僅かなスペース、プレハブのクラブハウスが鉄条網で囲まれただけの簡素なフットサル場で、フェンス周囲の駐車場が閉鎖されて観戦スペースになっているらしい。席の類は無い立ち見。
フュージョンを正門脇の二輪駐車場らしき場所に駐めた。幾つか並ぶバイクや原付の中に、水色のリトルカブが駐まっている。
生産終了からまだ間もないこともあってリトルカブは珍しい原付ではないが、後部に付けられたトートバックの中に容量一杯のプラコンテナを押し込んだリアボックスで、椎のリトルカブだとわかる。
椎は以前小熊の家に遊びに来た時、このボックスはフットサルのボールとジャージやスパイクが入れられるので便利だと言っていたのを思い出す。
フェンス周囲には結構な数の観客が居た。家を出る前にスマホで下調べしたが、今日の対戦相手は同じ女子フットサルチームながら、芸能事務所によって運営されている女優や声優のフットサルチームで、TVスタジオの隣地にあるコートがホームになっているらしい。対するのは一応お嬢さま大学と言われている椎の女子チーム。
多くは男性、それも暗い服を着た人間の多い観客の中に分け入るのは気が引けたので、フュージョンのシートに横座りしたまま試合観戦をする。観客は相手チームのファンが大半を占めていて、椎が近場の知り合いに声をかけまくって観戦に誘った訳がよくわかる。
フィールドを見るとウェアを着た女子たちがボールを追っていた。その中から椎を見つけるのは難しくない。身長一四〇cmに満たない、陽に当たると水色がかって見える髪の少女。向こうも小熊に気づいたらしく、緑色のアウェイゲーム用ウェアを着た椎が愛想よく笑って両手を降る。小熊も胸の前で軽く手を振った。
椎はどうやらフットサルではアラと呼ばれるミッドフィルダーをやっているらしい。フィールドの隅から隅まで、すばしっこい齧歯類のように駆け回り、ピヴォと呼ばれるセンターフォワードにボールを送ってる。
ピヴォの子は中背より少し背の高い少女だった。欧州の赤毛っぽい癖っ毛でなかなか整った容姿をしているが、得点力はそんなに無いらしく、アラから送られたボールをしばしばシュートミスしている。
椎の逆側、右アラを務める子は、こっちのほうがピヴォ向きに見える黒髪長身のクールビューティで、フットサル、あるいサッカーの経験は豊富らしく動きがいい。
ただ、ミッドフィールダーの仕事を忘れてしばしばゴール前の攻防戦に参加していて、ピヴォにボールを送る時も相手を吹っ飛ばす勢いのパスを放ち、しばしばボールが直近を掠めた相手選手が悲鳴を上げている。
ピヴォの赤毛の髪の子は、彼女を負傷退場にでもさせたいかのような右アラの豪速パスを、地面に足を這わせたりうまく蹴り上げたりする柔軟な足運びで受けるが、なかなか得点にはつながらない。
後衛を受け持つフィクソの子は金髪碧眼の女子で、長身の黒髪アラと比べても背が高い。たまに椎と並んで走っていると大人と子供にしか見えない。
フィールドのボールを拾うのは北杜の自転車通学で鍛え、走力に優れた椎に任せてディフェンスに徹してるらしいが、他のメンバーに積極的に声をかける司令塔役、チームのムードメーカーになっているらしい。
ゴレイロと呼ばれるゴールキーパーの子は不思議な少女だった、髪も肌も、瞳まで色素の薄い小柄な少女だが、見た目通り生命力に乏しく、チームが攻撃をしている時は立ったまま死んでいるのではないかと思うほど微動だにしない。ゴールキープに動く時も体や四肢の動きがことごとく直線的で、位置的には最短距離だが筋肉骨格構造的にはおかしい動き。それでいて反応は信じられないうほど速く、試合開始以来一点も得点を許していない。
双方無得点、一点でも取れば試合の趨勢が決する雰囲気で、観客は盛り上がっていた。相手チームの女優や声優がいいプレイをするたび野太い歓声が響き、椎のチームのプレイにもアイドルイベントのマナーとして充分なリスペクトの籠ったなエールが送られている。
ハーフタイムを挟んで後半の試合、小柄な体で誰よりも忙しく走っている椎の動きがやや鈍ってきた。視線が落ち、スピードは維持しつつもフィールドの荒れを見落として足を躓かせることが多くなる。
小熊はフュージョンを降り、フェンス際に歩み寄った。椎が近くを通ったタイミングで声を張り上げる
「カブみたいに走れ!」
椎は小熊のほうを見なかった、視線を上げ空を見る。何かを思い出すような瞳をしている。
椎の走りが少し変わる。顎を上げて走路の先まで見るようになる。椎は今、陸上の中距離選手並みのスピードでフィールドを駆けているが、リトルカブに乗っている時はもっと速いスピードで公道を走っていた。道の先々まで見ていないと道路上で生き残れない。周囲からチャージやスライディングで執拗にボールを奪おうとする対戦相手も、道路上で他車の位置と動きを素早く計算しながら、背中に目がついているような注意力を維持して走ることに比べれば何ほどの物でもない。呼吸を整えてスタミナを管理すれば、ガソリンだって持ちこたえてくれる。全て椎がリトルカブに乗るようになってから、自らの経験で学んだもの。
走りの安定した椎のプレイでボールは中継ぎの右アラに送られる。相手チームのディフェンスが追い付かず赤毛のピヴォまでのフィールドはクリア。そこで黒髪のアラは小熊が見ても致命的だとわかるようなミスをした。
それほど離れてないピヴォへ全力のパス。明らかに頭部を狙ってる。緩いロングパスならヘディングやトラッピングで受けることが出来たところだが、この高さの速球を受ける方法はフットサルにも、サッカーにさえ無い。
ここはピヴォが頭を吹っ飛ばされて、双方無得点のまま試合終了かな、と思い、勝ち星を拾えずお葬式状態の椎たちに会うよりは、と帰り支度を始めた小熊の目に、赤毛のピヴォが凄い笑みを浮かべるのが見えた。
試合中はとろんとした印象のつぶらな瞳を細めた赤毛の少女は、その場で鹿のように飛び上がって両手を地面につき、足を空に持ち上げる。逆立ちした格好になったピヴォはそのまま足を振り回し、右アラのパスボールを足に絡める、周囲のディフェンスプレイヤーは、今までの対戦や試合映像では見たこともないプレイに対処が思いつかず固まっている。赤毛のピヴォはそのままパチンコ台の風車のように足を回し、剛球パスの勢いを保ったままゴールへと送った。
小熊は今の動きを動画で見たことがある。フットサルでもサッカーでもない、南米の旅行記で見たブラジルの足技の中心とした格闘技、カポエイラの動き。
小熊はこのシュート力のさほど無い赤毛の少女が、ピヴォの役を務めている理由がわかった気がした。それからどう見てもピヴォ向き、それもかなり気が強そうな右アラの子がおそらくは渋々ながら今のポジションについているのか、椎が赤毛の子の得点力に絶対的な信頼を置いているかのように、フィールドのどこに転がったボールだろうと必ず拾ってピヴォに送り届ようとする理由も。
雑誌モデルをしているという相手チームのゴレイロが長い手足を蜘蛛のように広げて守り、主に赤毛のピヴォのシュート力不足のせいで難攻不落だったゴールにボールが突き刺さった。一瞬時間が止まり、得点のホイッスルが吹かれると同時に、駐車場を埋め尽くした相手チームのファンと、疎らに居た椎のチームのファンが、声を合わせて歓声を上げた。
結局そのシュートが決定打になったのか、双方チーム共にスタミナ切れで動きが鈍くなり、惰性でボールを回してるうちに試合終了。
0ー1で椎のチームが勝利した。
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