第20話 道の上で

 概ね好意的な反応を得てプレゼンを終え。小熊たちは機材を片付けて撤収した。

 仕事を終えて町田の自宅に帰るべく、スマホで帰路の混雑状況を確認してたところで、今回の計画のパーラー側担当者を務めた風戸に呼び止められた。

 風戸は深く頭を下げ、小熊と桜井によって急遽行われたプレゼン代行に感謝の意を示したので、小熊も風戸の助力に対し礼を述べる。


 学生が文化祭や生徒会あたりでやるゴッコ遊びでなく、契約外とはいえ成功報酬という形で金を貰う仕事として行った今回のプレゼンでは、自分は顧客が求める物を提供できたのか少し気になった。

「あれで良かったのか迷っています。もしかたらもっと男性オッサンが好むような、黒姫の純朴な女学生が、おらが村のメロンを訥々と売るような感じのほうが良かったのではないかと」

 風戸は小熊の言葉を聞いて一笑した、桜井も苦笑している、彼女は他者や顧客の評価など微塵も気にしていない、桜井を評価できるのは、天におられる唯一の神のみ。

「ビジネスにそういう物を求めるような劣等な顧客を、当店は想定しておりません。我々が望んでいるのは相応の購買力を有した選ばれたお客様に満足頂ける商品です。小熊さんと桜井さんのプレゼンは完璧でした」


 小熊は頷き、風戸ともう一度握手を交わした。それから風戸は、こっちが本題とばかりに一枚の名刺を差し出した。さっき受け取った風戸の名刺とは別の人物の名が書かれていて、肩書は総務次長とある。

「弊社で人事を担当している者の連絡先です。今後何か困ったことがおありの折はいつでもご一報ください、特に就職活動の時は、あなたの能力に見合う仕事を用意させて頂きます、うちはしがない果物屋ですが、銀座では長く商売をしてまして、この辺の商工界では多少の影響力があります。個人的には、私はこれからもこの仕事を続けるに当たって、あなたのような人の下で働きたい」

 小熊は名刺を裏返した。手書きでこれからも小熊さんと長らくのお付き合いが出来る事を望んでいますと書かれ、名前と役職名が署名されていた。

 横で同様の名刺を受け取った桜井を見ると、清貧な暮らしが求められるシスターの薄給に嫌気が差したのか、転職を考えてそうな顔をしていた。


 結局そのまま帰るというわけにはいかず、半ば強引に引き留められた小熊と桜井は、一階の高級フルーツパーラーで今出来たばかりの新メニューを頂戴することになった。

 普段は上客が来る時以外ずっと予約中の札が置いてあるという、銀座の町を見渡す特等席に落ち着く。革ジャンにメッシュベストを着た姿の桜井を見て、他の客は「女優さん?」と囁き合っている。

 別の客が小熊たちの姿を盗み見しながら言った「絶対に女優かモデルかセレブリティよ、ほら、ボディガードも連れてる」

 やがて二人の席に、メニューには載っていない特大のキャンタロープ・メロンパフェが届き、客の注目はそっちに移った。


 キャンタロープの甘味に負けない濃厚なクリームと組み合わせ、ブランデーの芳香を加えるとまた絶品のメロンパフェを二人で平らげながら小熊は桜井と、これからの予定について話し合う。

 主に桜井が、この仕事の報酬が入金されたら開始するNSR250の修復計画について一方的に喋る。何もかも自分でやっていた今までの工程を見直し、北杜での入院生活がきっかけでコネの出来た武川の溶接、アルミ修正の技術で定評のあるショップとの協力体制でレストアを実行するらしい。

 小熊は思わず、それ私がカブを買った店だ!と言いそうになったが黙っていた。エンジン組みあたりのサポートで呼ばれたら面倒。それに、店を見れば自分と礼子がそこに居たことはバレるだろう。

 礼子が自作した専用工具や、小熊が店のCBRでつけたドーナツ状のタイヤ跡が、まだあの店には残っている。


 パフェと濃厚な甘味をしめくくるさっぱりとしたフレンチ仕立てのコーヒーに満足した小熊と桜井は、会計をして店を出ようとしたところ、パティシェが席までやってきた。自分にとって生涯を賭けてきた恋人に等しいフルーツを、我が子のように扱ってくれたことに、やや芝居がかった感謝を述べる。

 小熊と桜井がクレジットカードを出そうとすると、パティシェはそれを押しとどめる。どうか我々を報恩の心を忘れた不人情者にしないでください。あなたがたはそれだけの事をしました。恩を受けるのは業を成し遂げた者の責務です。と、前職でオペラでもやっていたかのような口調で言う、そいうえば、声も顔も往年のルチアーノ・パヴァロッティに似ていなくもない。


 小熊としては自分たちが届けたメロンが製品になった物を、客として相応のフィーを払って味わいたかったところだが、この和製パヴァロッティにはなんだか抗えない空気だったので、そのままネットバンク系のクレジットカードを収める。桜井もカードを今時珍しい銀のカードクリップに戻した。海外での使い勝手が良いと言われている米資本の信販会社が発行する、旅行愛好者や外資系ビジネスマンの間では「出かける時は忘れずに」と言われているカードだが、色は小熊の知るペパーミントグリーンではなくプラチナシルバー、きっとマジックで銀色に塗ったんだろう。


 店を出てから搬入口に回り、小熊と桜井はフュージョンに乗る。先ほどのパヴァロッティ氏を始め、何人かの社員が見送りに出てきた。小熊がもしここで働くことになったなら、そんな事する暇あったら自分の仕事をしろ!とスパナでも投げつけたくなるような風景。

 ヘルメットを被った小熊を抱きしめた風戸に言う

「もし銀座で飢えて困ったら、ここにたかりに来ます」

 風戸は小熊のヘルメットで覆われた耳元で言う。

「その時は食事も寝床も用意します。部屋は少し散らかってるけど景色がいいの」


 続いて桜井に、小熊の時より妙に熱意のこもった抱擁をする。

「いつか私に子供が生まれたら、どうか貴女が洗礼名をつけてください」

桜井は自分では言葉よりも強い武器だと思っているらしきエメラルドグリーンの瞳で風戸を見つめながら言う。

「やめといたほうがいい、うちはアプリで人気の名前を調べるだけのボッタクリだ」

 あまり長くなると出征前の万歳三唱でも始まってしまいそうなので、小熊と桜井はフュージョンを発進させた。

 

 銀座の街をフュージョンで少し走った後、繁華街の中の空白地帯のように車の行き来の少ない官庁街を抜けて霞が関から首都高都心環状線に乗る。気まぐれに最短距離ではなく遠回りの外回りにフュージョンを滑り込ませた。桜井も嬉々としてついてくる。

 主に業務に勤しむ社名つきのバンやタクシー、それから黒塗り車でそれなりに混み合っていた首都高を走っていると、ヘルメットのインカムから桜井の声が聞こえてきた。

「また小熊ちゃんと東京に来たいな、次は自分のバイクで」


 桜井は金を掴んだ時点で、もうNSRを直した気になっているらしい。汐留のスラロームを抜けると分岐が近づいてきた。小熊はこの先の谷町で東名高速直通の三号線に枝分かれし町田に帰る、桜井ほそのすぐ先の三宅坂で中央高速を走り、清里へと向かう。

 二人の分かれ道が近づいてきた。小熊は桜井に何と言おうか迷ったが、今は帰路の道順を考えていて頭が忙しいかったので、一言だけ告げた。別のバイク、違う生活の場、そんな二人を分かたれることなく繋ぎ続けるもの。

「道の上で、また会おう」

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