第19話 プレゼン
経緯以はどうあれ仕事を請けてしまった以上、小熊は準備を開始した。
まずは黒姫に連絡を取り、本来の担当者からプレゼンのため用意した原稿と資料を送ってもらった。
バイク便業務用に貸与されたiPadに表示させたメロンの生産量や糖度、想定単価などの資料を選別してまとめ、黒姫の美しい風景や風光明媚な土地、なにより高級果実には重要な生産者の顔といった情報は小熊のデバイスから除去し、桜井の端末に回す。
続いてプレゼン会場での質疑応答を黒姫とのリモートでリアルタイムの対応を可能とすべく、専門的な質問にはすぐに生沢が回答できるように待機させ、ドングル型イヤホンで小熊と桜井に声が届くようにした。
質問内容ではなく会場の空気が黒姫でも把握できるように、業務用ベストの胸に仕事用のスマホをダクトテープで固定し、プレゼン会場となる会議室の全景が見えるように、会議室の最後部に、業務用とは別に持っていた私物のスマホを設置した。
タブレットは何か質問があった時に黒姫から送られてきたデータをいつでもカンニングきるように、会場で借りたスタンディングデスクに置き、また口頭説明内容を画像かグラフ表示させるべく会議室の大型モニターとリンクさせた。
無論、全てのデバイスは、それにトラブルが発生してもすぐ他の物でバックアップ可能なシステムを構築し、特に通信に関しては会議室と応接室、また屋外やキッチン内でも問題無いことを、社内wi-fiと電話回線の両方で確認し、黒姫側でもスマホとは別に災害用の衛星携帯電話を準備させた。
桜井はその間、ずっと黒姫の資料映像を眺めながらプレゼンの文案をぶつぶつ呟いていた。小熊が用意した資料より、スマホのカメラロールに保存していた自分自身の幼少期の画像を見ている。こればかりは小熊では替わりの利かない、その土地で生まれ育った人間にしか出来ない仕事。
フルーツパーラー側担当者の風戸は、小熊が応接室を占拠して行ったプレゼンの準備を積極的に手伝いつつ、小熊と桜井を興味深げに見ていた。田舎の農家と都会のビジネススタイルで取引していいんだろうかという不安感だけは払拭できたかもしれない。
小熊はパーラーの厨房に下り、プレゼンで提供される試食用メロンの準備を確認した。フルーツ鑑定の玄人といった雰囲気を宿した初老の仕入れ担当者が、カットされたフルーツを一切れ分けてくれる。張り詰めた気持ちをほぐす甘味が心地いい。小熊はメロンが並べられるテーブルに、中身を満たしたブランデーグラスを置いて薫りを発散させたほうがいいという助言をした。メロンに添えられた生ハムを一口食べる。塩味控えめな国産の真空パックでなく、塩気と発酵臭がメロンに合うイタリアから腿ごと空輸した品を、その場で削いで使ってる。合格。
ランチタイム後に予定されたプレゼン開始が迫っていたが、緊張はしていなかった。すでに必要となる物々は揃えられていて、小熊はそれらを正しくワークさせるだけ。あるとすれば、高揚にも似た感情。
これから人間という不安定な物を相手に商売をすることを考えた時、ふと竹千代ならどうするか考えて頭を振った。物売りの仕事で生計を立てるのは小熊が望んだ自分自身の姿とは違う。それに竹千代ならば腐ったメロンでも売りつけるだろう。
プレゼンは始まり、小熊は高級フルーツパーラーを始めとした数多くの高級メロンを求める人たちの前で商品説明を開始した。
プレゼンは滞りなく進んだ。買い付け対象のメロンに関する専門的な質問にも、リアルタイムで繋がった生沢から耳打ちされつつ、受け売りとは思わせない明瞭な回答を示し、ビジネスとしての収益や他品種に対する優位性については、私見私情の入る余地の無い理論とデータに基づいたグラフを図示し、その合間に桜井が、このメロンを産んだ地の美しい風景を、文字通り神の目線で抒情的に説いて聞かせる。小熊が集落は移住者中心で、田舎特有のルーズさや金汚いところとは無縁な地だと補足し、桜井がそれを受けて集落の教会の綺麗なところだけを映し、神父の好男子に見える角度だけを撮った画像を見せながら、集落の信仰深い人たちについてアピールする。
地方集落特有の災害リスクについて聞かれた小熊は、この集落は先日の震災の時、他の集落に先駆けて震災発生後僅か半日で、外部との通信と物資供給機能を回復させたと、小熊は自分が個人的に持っていた当時の新聞報道と子供たちがお菓子を受け取る姿の画像を、その災害救援を行った小熊自身の存在を隠しつつ説明した。
概ね良好な雰囲気のプレゼンで最後に質問が発せられた。寒波や台風などでメロンが壊滅的被害を受けた時の対応について。
質問を聞きしどろもどろな生沢に替わり小熊が答えた。
もし当集落のメロンが気象による被害を受けた時は、近隣集落で栽培されている同種のメロンが供給されることを説明し、言い添えた
「当然不測の事態が起きえます。それは必ずとも商品価値を落す物ではありません。今日店に並んでる物が明日にはもう食べられないかもしれない、顧客はそういう物を見た時、いつか食べようと後回しにすることなく、向こうから店に飛び込んできます」
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