第18話 陥穽

 すでにバイク便の仕事で何度も経験し、あるいは伝え聞いたことだが、全て何事も無く無事に終わったと思った頃合いに、仕事を無事終わらせまいとする意地悪な悪魔が手ぐすねを引いて待ち構えていた。

 小熊と桜井がプレゼン会場であるフルーツパーラーの本社ビルにフュージョンを乗りつけ、待機していたパーラーの仕入れ責任者だという白衣姿の男性ににメロンが収まった専用ケースを引き渡した。


 あとは小熊のタブレットに表示させた受け取り伝票にサインを貰って。依頼人である生沢に送れば小熊の仕事は終了する。それから直帰で、仕事のために借りたフュージョンは、数日乗り回して後日返しに来てくれればいいと言われている

 仕事が終わったら何をしようか。とりあえず普段の小熊なら縁の無さそうな高級フルーツパーラーで、桜井と一緒に目玉商品だというパフェでも楽しもうかと思っていた時、フルーツパーラーの自社ビル上階から、スーツ姿の女性が駆け下りてきた。


 今回のプレゼンでパーラー側の担当者を務めるというスーツ姿の女性は、律儀に名刺交換をした後で、小熊たちに現在起きている予想外の事態を告げた。

 プレゼンを行うことが予定されている黒姫集落のメロン園責任者が居ない。

 どういうことか小熊が尋ねたところ、小熊たちに先がけて新幹線でここに来ていた責任者が、つい先ほど腰椎の緊急的な症状、要するにギックリ腰で倒れたらしい。

 小熊も身近な人間が突然ギックリ腰になる様を見たことがあったが、ああなると地面を這うくらいしか出来なくなる。当然直立も不可能で、椅子に座っていることすら困難、言葉さえ覚束なくなる。


 幸いフルーツパーラー側にも腰を壊したことのあるギックリ腰クラブの会員は少なからず居て、彼らの勧めで集落の責任者は断腸の思いで~実際に腸が断裂するほうがまだマシかもしれない~救急搬送された。

 予想外の事故発生で社内はプレゼン中止といった空気になる。後日に仕切り直したところで現物とそれを扱う人間の安定した流通、連絡が最大の課題と思われていた長野からの直行便によるメロン供給は、そのシステム構築に無理があるという事を露呈してしまったため、新メニューとしての採用は絶望的。原産国のアメリカでキャンタロープを食べた味が忘れられず、この計画に並々ならぬ熱意を抱いていたパーラー側の担当者は、現物が既に充分な時間的余裕を以て届いているという話を仕入れ担当者から聞き、この事態を打開する望みをかけて小熊たちのところにやってきた。


 話は聞いたが、小熊としては請け負ったのは輸送の仕事。銀座のフルーツパーラーまでメロンを物理的に移動させれば仕事は終わりで、後は何の責任も無い。でも、ここでサインを貰い、続きの仕事をパーラーと黒姫の担当者に引き継いでさっさと帰れば、生沢が集落の再生と未来を賭けて相応の投資を行った黒姫集落での高級メロン栽培とそのブランド品種化という夢は潰える。

 一応スマホで生沢に連絡を取った、プレゼン責任者が救急車の中から息も絶え絶えで行った報告で事態を聞いていた生島は、小熊にあるお願いをした。

 小熊の顔を注視するパーラー担当者の表情を見るまでもなく、ここで起きている事態は把握した時点で、どういうお願いになるかはわかっていた。

 小熊は生沢に一言「承知しました」と伝えると通話を切った、それから、先ほどの名刺によれば風戸裕美と言う名らしいパーラー担当者に伝えた。

「私がプレゼンを行います」


 それまでやり取りを見守っていた桜井がくすくすと笑いながら言った。

「全ては神の思し召しって奴よ、人間は敷かれたレールからは逃げられない、自分の名前が彫り込まれた弾丸が飛んで来たら、それで終いなんだ」

 桜井があまりにも他人事のように話すので、小熊は少し感情的になって反論した。

「銀座のど真ん中でメロンを売ることがお前の言うろくでもない神が与えた、私へのオーダーだっていうのか?」

 まさにそういう仕事をしている風戸が聞こえよがしの咳をした。威圧というより可愛らしさを感じる咳払い。


 桜井は神の使いそのものと言った表情を浮かべた。邪悪で下卑で、人の運命を弄ぶ悪趣味な顔。

「違うよ」

 桜井は指を伸ばし、小熊の右目とは僅かに色の違う、灰色がかった左目、その瞼にそっと触れた。

救世主メシアになるべく生まれた者の定めだ」

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