第17話 クルージング
バイクの準備が整った小熊と桜井は、メロンをヘルメット流用の保護ケースに梱包する作業に立ち会った。
作業を実際にこの目で見ることに意味があるのかわからなかったが、浮谷は出来る限りそうしていた。一応開梱時の注意点について確認する。
小熊と桜井は見た目には一台につき二つのヘルメットを、二台のフュージョンに揃いで付けられているFRP製の後部ボックスに収めた。無論積載を他人任せにはしない。
表面は使いこまれたバイク便業務用ボックスはこの仕事のために内部が洗浄、滅菌され、普段はボックス内に常備している工具や緊急対応ツール、ゴム紐などはフュージョンの後部トランクに移している。
このフュージョン特有の広いがヘルメットを収めるほど奥行きの無い収納スペースは、予備収納、その中でもできれば低い位置に積みたい重量物の積載スペースとしてしばしば役立った。特に今回のように、後部ボックスには荷物以外何も積みたくない時に。
ケースに収納されたメロンは梱包責任者によれば、ボックスの中で跳ねても転がってぶつかっても中のメロンは損なわれないと請け負ったが、小熊は自身の判断で緩衝材を詰め込むことにした。
メロンが箱の中で暴れても無事だとしても、相応の重量のある二つのヘルメットが絶えず重心移動し、車体にボルトで締結されたボックスに衝撃を与えたら、乗ってるこっちが危ない。
それで転倒でもしたら仕事の荷物も自分の身も失うことになるし、そういう事態を踏まえて小熊と桜井の二台体制で仕事に臨み、メロン一個を必要とするプレゼンに一台あたり二つのメロンを積んだが、それでリスクが二分の一四分の一に抑えられたとして、ゼロにはならない。
結局は自らの判断と慎重な行動、そして運が無いことには不幸な出来事を回避できない。
分校の保健室に戻った小熊と桜井は、夕べ使ったリネンのベッドシーツを剥ぎ、ヘルメットを包み込むようにしてボックスに詰め込んだ。
この集落で手に入りうる限りの物ならば、まだ新しい客用のベッドシーツが最良だろう。匂いにデリケートな荷物だが、自分と桜井の体臭なら他に匂いよりいくらかましだろう。
小熊と桜井はフュージョンのエンジンを始動し、ヘルメットとグローブを着ける。互いを見つめ合い、爪先から頭のてっぺんまでライディングギアに異変が無いか確かめる。
いつのまにか背後に集落のメロン栽培関係者が集まっていた、生沢が小熊と桜井の肩を抱き、教師特有のよく通る声で言う。
「気を付けてね、お願い、あなたはこの集落の救世主。あなたが居なくなれば、あなたが守ったここの人たちの暮らしも絶望と共に失われる」
出発前で人より道とバイクを相手に喋る精神状態になっていた小熊は、最低限の言葉で答える。
「必要な全ての事をしました。あとは結果をお楽しみに」
小熊よりいくらか外面のいい桜井も答える。
「我々は常に神と共にあります。皆さんにも祝福があらんことを」
桜井はこういう時にも自分の教会の営業活動に余念がない。
小熊と桜井はフュージョンに跨り、互いに視線を交わし合った後、集落から出発した。
集落と麓の黒姫駅を結ぶ県道は、往路同様に快適な走行環境だった。
地元に土地勘のある桜井が先行したが、昔は自転車で、後に小熊には言うには憚られる年齢からはバイクで何度も往復した桜井は、湧き水で道路が濡れている個所や舗装の荒れた場所をうまく避けながら、濃厚な緑のトンネルを走り降りていく。
路面はドライ・コンディションで霜による表面凍結も無い、当初小熊は夜明け前の出発を主張したが、桜井の助言で陽が出てからの出発にして正解だったようだ。
黒姫駅まで降りた小熊と桜井は、近隣の信濃町インターから上信越自動車道に乗り、そのまま接続する中部横断道路経由で中央道に入った。高速クルージング性能が非常に良好なフュージョンのヘルメットに付けたインカムで、桜井と清里周辺の走り屋スポットについてお喋りしているうちに首都高四号線に入る。地図上の距離では関越に回ったほうが有利だったが、走り慣れた道のほうがリスクやストレスが低いと判断し中央道に回った。
山梨県内で通勤渋滞の時間になったが、少々の混雑程度で巡航速度には影響なく、首都高四号線に入る頃には車の数も落ち着いてきた。
四号から環状線に入った後、ホルダーのスマホが銀座最寄りの新富町インターの事故による緊急閉鎖を告げたが、当初から予定していた通り近隣の霞が関インターに回り、官庁街を抜けて銀座の街に入る。
ナビに従って荷物の届先である高級フルーツパーラーの搬入口にフュージョンを乗りつけた。
時間はプレゼンの行われるランチライムに充分な余裕のある、生沢流に言えば午前のお茶の時間
何事もなく、何のトラブルも起きることなく。極めて快適に仕事を終えてしまった。
そうなるように計画し準備し、正しいことを確実に行った結果のこと。
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