第15話 ベッドルーム

 小熊はメロン収納ケースとて使われたヘルメットを手に取った。バイクに乗る人間が誰しも持ち慣れ、手に馴染んだ重さと感触。

 小熊はバイク用ヘルメットの保護具としての優秀性については身をもって知っていた。帽体に使われているシェルと呼ばれるFRP製の内装は、絶えずユーザーの命が懸かった製品改良と品質維持が行われ、形状もまたヘルメット着用時に事故に遭遇した時に、人間の頭蓋骨同様の球状という形を活かして衝撃をかわし、緩和、拡散する研究が重ねられている。

 それだけに小熊は、ヘルメットのもう一つの面についても知っていた。

「ヘルメットって、結構臭いですよ」


 人間の皮膚に対し、比較論的に清潔といいかねる頭皮、意外と新陳代謝が活発な頭皮、夏にバイク便の仕事で丸一日走り回れば、ヘルメットの中が汗で濡れる

 小熊のヘルメットは幸い内装を外して洗えるタイプなので、通販で予備の内装を買ってこまめに洗っては取り換えていた。高校時代よく同級生の椎が小熊のヘルメットに顔を突っ込み、深呼吸して「臭くないです」と物足りない表情をしていたのを思い出す。続いてロングツーリングから帰ったばかりの礼子のヘルメットを嗅いだ椎は目を回してブっ倒れていたが。

 それだけでなくヘルメット自体の臭いもある。工場で製造してからずっと帽体や内装材の樹脂は揮発し続け、揮発が落ち着いて硬化、劣化が始まる製造後三年から五年が、ヘルメットの寿命と言われている。


 頭で臭いは嗅げないので、小熊には臭いという実感は無いが、メロンにとっては致命的だろう。

 自身の言葉を実証すべく、隣に居る桜井の肩を掴んで引き寄せ、頭を鷲掴みにして鼻から息を吸い込んだ。桜井の「ひゃっ!」と女の子みたいな声を上げる姿も、小声で「ばかっ」と言いながら白い肌を紅潮させ、小熊に嗅がれた髪を何度も撫でている仕草も全然似合ってない。

 やっぱり芳香が重要な意味を持つメロンに、女の髪の匂いを付加価値とするのは無理がある。それに、この髪の匂いが金さえ払えば誰のものにでもなるというのは気にいらない。

 生沢はヘルメットを手に取った。底部とシールドの開口部分は不織布で覆われている。微かにメロンの薫りがするところから、内部は密封状態ではなく、コーヒーやワインのように品質維持に必要な最小限の空気を通す状態らしい

 

 生沢が底部の不織布を剥ぐ。辺りに濃厚なメロンの香りが広がる。人間の頭替わりにヘルメットの中に鎮座するメロンをそっと取り出すと、ヘルメット内部は丸々取り換えられていた。

 淡い褐色の緩衝材。生沢の説明によるとキビガラ系の材料を使い、樹脂のように揮発物を発生させないらしい。その中にはバイク用のヘッドクーラーが入っていて中身を定温に保ち、一日持てばいい仕様の小さなリチウムバッテリーは、発熱がメロンや内装材に伝わらないように、フルフェイスヘルメットの顎の部分に設置され、断熱材で隔てられている。

ヘルメット自体も生沢がジャガーで~生沢はジャギュアと発音していた~出場していたクラブマンレースで使いこんだ品で、もう樹脂揮発の時期は終わってるらしい。

 ヘルメット底部には液晶の画面があって、メロンの採取時間と温度、出荷前に測定した糖度が表示されていた。


 どうやらこの集落の住民は、このメロンの栽培と商品化に並々ならぬ熱意を注いでいて、小熊が考える程度のことはとっくに対策済みらしい。そしてその最後の工程を受け持つのが、小熊と桜井のバイク。

 ヘルメットから取り出したメロンも、桜井と共に平らげる。半分はメロンの生ハム添え。これも本来はマスクメロンではなくこのキャンタロープを使うのがイタリアご当地流らしい。添えられた生ハムもこの集落の洞窟で熟成したもので、こちらは既に商品化済みで東京のデパートで結構な値をつけて売られている。

 それゆえハムだけでなくメロンの供給に成功すれば、一つの完成した高利潤商品になる。

 残り半分のメロンに近隣の集落で作られたというリンゴのブランデーをふりかけてた食べた後、眠気が差してきたので、生沢に今夜の宿へと案内して貰う

 

 この集落には今、宿泊施設の類が無いらしい、数ヵ月前まで冒険者の宿屋をイメージしたというヨーロッパ式パブと兼用の旅籠があったらしいが、シチュエーションにリアリティを持たせるためどこかのドラゴンがサービスしてくれたのか落雷で半焼し、今は営業停止している。

 小熊たちが招かれたのは、清潔でベッドのある場所、ここが学校だった頃に保健室として使われていた部屋だった

 室内は一目で生沢の趣味でやったとわかる模様替えが行われていて、薬棚もステンレスの医療器具が立てられた保険医の机も、虫歯予防のポスターも無いが、壁にしみ込んだ消毒液の匂いがまだ残っている気がする。


 部屋の中にはカーテンで仕切られ二つのベッド、小熊も桜井も学生時代、保健室には怪我を消毒してもらう以外縁が無く、保健室のベッドの世話になった記憶は無かったが、つい最近まで小熊と桜井は、バイク事故で、これとよく似た病院のベッドで毎日寝て過ごす生活をしていた。

 懐かしいようなもう二度とゴメンと思うような複雑な感情を斟酌する暇など無さそうなので、今すぐベッドに沈み込みそうな桜井を引っ張るように校舎内を歩き、部活生徒に使われたたという、それにしては贅沢すぎる檜の風呂に入り、桜井の長い金髪をブローした後、生島の用意した糊の利いた浴衣を着てベッドに入る。

 スマホでメールチェックをした後、明日の起床時間に目覚ましをセットし、なんとか生活の義務を終えたところで小熊は力尽きてスマホを放り出し、妙に艶っぽい桜井の寝息を聞きながら眠りに落ちた。

 

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