第14話 専用ケース
生沢はハイランド・スコッチの高級銘柄、グレン・モーレンジの酔いが入ってるに関わらず、誇らしげに自慢し始めた
アメリカでは庶民的なダイナー等で広く食べられているキャンタロープ・メロンは今まで日本では、ドライフルーツや加工菓子でしか食べられなかったらしい。
その理由はメロンが収穫されてから食べごろになるまでの追熟期が、二四時間ほどしか無い特殊なメロンだから。
世界には同様に地元でしか味わえないローカルなメロンは多数あるが、キャンタロープは近年スターバックス(※問題あれば「シアトル資本の高級コーヒーチェーン」などに差し替えます:トネ)のフルーツフレイバーに採用され人気を博したこともあって、フルーツ系スイーツ好きな人間やその仲買人から注目されたことで知名度が上がり、今までに無いビシネスチャンスとなっている。
前述の理由で、空輸でも船便でも日本で入手可能なのは菓子材料向けの果汁やドライフルーツのような加工品のみ。しかしながら、もし国内で生鮮のキャンタロープが供給可能であれば、ブランドバリューは国内のあらゆるメロンを上回ると、実際に試食に来た大手フルーツパーラーの買い付け人が太鼓判を押していた。
既に北海道を中心に幾つかのメロン生産業者が国内での栽培を試みたが気候や土壌の違いで失敗し、唯一根付き結実したのは、冬季には極地並みの低温となるこの黒姫山だった。
元々アメリカでは安価に供給されているメロンで虫害や気候変動、土壌の変化にも強く、高級メロンのように絶え間ないケアと大規模な設備投資も不要でローコストな安定供給が可能、ただこの黒姫の気候と土があればいい。
話を黙って聞いていた桜井がスマホを操作し始めた、聞く気が無いのかそれとも、と思っていたら、桜井はある画面を表示させた。画面には北米の大手会員製スーパーのショッピング画面。町田にある小熊の自宅近くにも巨大な店舗があるが、年間会員費が高額のため入ったことは無い。
「キャンタロープなら何年か前から売ってるよ、ほら、南米産メロンの輸出規制が解除されたから、生のカットフルーツが通販で売ってる」
画面を一瞥した生沢は、教師特有の噛んで含めるような口調で言った
「それは改良種ね、日本での商品価値を上げるため皮がマスク状になるように栽培し、他種との交配で追熟期も伸びてる。うちで栽培しているのは原種。糖度も芳醇さも比べ物にならないわ」
桜井が軽く手を上げて話を中断させたことを詫びた、白く長い指と薄桃色のネイルが綺麗な手を相手に向け、話の続きを促すと、話したくてたまらないらしき生沢は説明を再開する。
生沢によれば、もしも今回のプレゼンで良好な評価を得られれば、キャンタロープはこの集落だけでなく、黒姫山周辺に点在する集落全体の経済状況がひっくり返る商品になりうる。
今まで富裕層の多い移住者からの税収と自治体からの開発支援金で支えられていた集落も、いつまでも住民の高収入高額納税を維持できるとは限らない。他の地方集落より住民は若いが、歩みは遅くとも確実に高齢化は進んでいる。
ついこないだまで老人しか居ない他の自治体を笑っていた自分自身がいつのまにか何もしない日々に慣れ、余所者を嫌う高齢者になるくらいには。
それらの悪循環を断ち切るための産業創出は各集落で考えられていて、この集落が選んだのは日本のどこにも無いここの地の気候と、ここでしか育たないメロン。まだ弊害の多いソーラー発電業者に土地を切り売りして土砂災害や水源汚染のリスクを負うよりずっといい。
それらの事情から、この丸一日で商品として価値を失う可憐な花のようなメロンを、銀座本社のランチタイムに行われるというプレゼンまでに送り届けるためにバイク便のスピードが必要になる。
商品化に成功すれば大手運輸会社から専用車が運行されるらしいが、高地まで登坂し高級果実を運搬し、東京まで直行するSUVベースの専用車は長野県内にも数台しか無く、チャーターすれば多額の金が飛ぶ。
小熊たちに依頼したのはそれらの費用を何とか自治体予算内に納めるためだが、距離相応の報酬に、僻地や高額商品などにはオプション料金がつくバイク便、10日働き詰めでも稼げるかどうかという輸送費が提示されていて、内々にプレゼン成功時の報酬が約束されている。
生沢の長広舌を聞かされた小熊は、一つだけ要求した。
「商品の梱包を自分の目で確認したい」
もう小熊も普段なら就寝している時間で、隣の桜井はうつらつらして時々小熊の胸に頬を預けて吐息を漏らしているが、これだけは翌朝の出発直前に確認していいものではない。
小熊も高級果実の急送は経験があった。静岡の高級メロンを都内のテレビ番組収録現場に送り届ける仕事。芸人が高級メロンを正拳突きで割るという企画に必要になったとかで、真っ二つになったメロンはスタッフと、現役女子高生のバイク便ライダーということで是非取材、撮影させて欲しいとスタッフに頼まれた小熊が美味しく頂き、数カットながら出演する羽目になった。
その時に大きな栽培施設を備えた果実業者が用意したのは、耐衝撃性と保温性を備えた何やらハイテクそうなFRP製の専用ボックスだった。小熊が興味を持って内部構造について色々聞いてみたところ、ダークスーツ上下のメロン農家とはほど遠い恰好をした社員は、「企業秘密」とだけ言って教えてくれなかった。
小熊の声を聞いた生沢は頷いて隣の実習室に消え、間もなくミカン箱ほどの大きさのジュラルミンケースを自慢げに持ってきた。
バックルを音たてて開き、蓋を開ける。小熊の横から箱の中身を覗き見た途端笑いだした
あの高級果実を取り扱っていた企業の専用ボックスほどの機材をこの集落に期待していたわけじゃない。せいぜい発泡スチロールのケースにプチプチの緩衝材と保冷剤が入っている程度のものだと思っていた。
月の石を地球まで運ぶのに使われ、現在ではアメリカ大統領が核ミサイル発射の特別通信ユニットを入れて常に携行しているというジュラルミンケースの中に納まっていたのは、小熊が知る限り最も高価なものを運ぶ容器。
真っ白で上部が60年代のホンダFIの日の丸のように真っ赤な円形に塗られ、日の丸の中には丹頂鶴が描かれた。
モータースポーツ用のフルフェイス・ヘルメットだった。
小熊と桜井にとって、命と同等の大切なものを収める器。
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