第12話 教会

 小熊たちが届けることになる荷物の準備が整うのが明日の早朝ということで、小熊と桜井は夕食まで集落の中を散策した

 周辺の子供たちを受け入れる分校が中心になっている集落は昔からのものではなく、民間のリゾート開発企業の主導によって作られた比較的新しい集落らしく、建物も舗装も古びた感じはしない。

 住民の居住する建物はスイス風の三角屋根が多いが、一階に無粋な土産物屋が入っていような観光用の紛い物ではなく、地元の木材で作られたシャレ―スタイルと呼ばれる重厚な木造建築

 観光客に見せるための建物でなく、そこで理想的な暮らしをするための木組みの家々、あの生沢という分校教師も、ブリティシュな色眼鏡越しに見ればハイランドと呼ばれるイギリス高地地帯だと思いこむことが出来るだろう。


 桜井は街のあちこちを指差して案内してくれるが、コンビニの類は見当たらない。集落に一つだけ食料品と生活用品を扱う商店があるが、買い物はここから数km下山した先にある開発集落で間に合っているらしい。さらに数km下れば、黒姫駅前で大概の物が手に入る。

 山道の往復に以前は車かバイクとその免許が必須だっが、今は電動アシスト自転車バッテリー容量の範囲で往復できる。

 集落の外れ、半ば森で囲まれた場所に小さな教会があった、桜井がノックもせずに礼拝堂に入る、信心など縁の無い小熊が入るのを躊躇っていると、桜井が聖水盤で指を湿して十字を切った後、振り返って言った

 「入れよ、教会は全ての人に門戸が開かれている」


 日曜でも無いのに礼拝堂はそれなりに人で賑わっていた。小熊の知る教会との違いは、礼拝席についている人たちが皆ノートパソコンやスマホを持っていること

「この集落でwi-fiがあるのがここだけなんだ。あたしらガキ共の遊び場だった」

 小熊は以前孤立集落の救援のためこの集落に来た時のことを思い出した。電気が止まりライフラインが全て機能不全を起こした村にガソリンエンジンの発電機を持って行った時、集落の住民は真っ先にwi-fiの復活を希望したが、発電機をルーターに繋いだところ停電だけでなくwi-fi基地局も被害を受けていたことが明らかになり、飢えたようにソシャゲやSNSのアプリを開いていた集落の住民は接続エラーの表示を見て教会に似合いのお葬式のような雰囲気になっていた。結局発電機や当座の食料と共に持って行った衛星携帯電話のおかげで何とか外部との連絡が可能になり、自治体への救援依頼をすることが出来た。


 神父らしき人が説教壇の上に現れた、この教会はネット通販の受け取り場になっているらしく、amazonyや楽天の段ボール箱を抱えている。浅黒い肌に長い髪、どこかジェームズ・ブラウンを思わせる神父が桜井の姿を認め、壇から降りて駆け寄ってきた。

「よう悪ガキ、久しぶりだな」

 桜井は殊勝な様子で神父の手を取り、唇を付けた

 「ご無沙汰してます。本日は神の思し召しで故郷の村への恩返しをすることになりました」

 小熊は挨拶の作法に迷ったが、結局いつも通り握手の手を差し出す

 神父は小熊の目を見つめてがっちりと手を握った。好男子とはいえないが何とも茶目っ気のある瞳をしている。

 「ゆっくりしてってくれ!飲み物はセルフだがボッタクリじゃないぜ」

 神父は親指で窓の外を指した。教会に付属するような感じで、山梨県外では珍しい廉価自販機を並べた休憩所、ハッピードリンクショップがあった。


 「まさか叔江がカタギの仕事をやってるなんて思わなかったぜ、清里でシスターをやるって聞いた時は、あぁこいつ人生終わったなって思ってたのによ」

 小熊は是非詳しい話を聞きたいと思ったが、神父は信徒、といえばいいのか集落の住民に呼び止められた。

「神父さんこれインストールがうまくいかないんですか」

 神父は「ちょっと済まねぇ」と言って小熊の前を離れ、声の主に駆け寄って、操作していたタブレットをいじくり回す。

「あーこれ容量不足だわ、この詐欺野郎はパッチの配布と一緒に馬鹿でかい更新ファイルを送ってくるんだ、おーい誰か36ギガあるmicroSDは余ってないかー」

 桜井は肩を竦め、小熊に目線で退場を促す。小熊は壇上の十字架に一礼した後、礼拝堂を出る。


 外の自販機で買ったレモンスカッシュを飲みながら桜井と少し話す。

 北米資本の電力会社で、再生可能エネルギーに関する技術者をやっているという桜井の父は転勤族だったらしい。

 発電用の基板材料となる単結晶クリスタルの埋蔵量調査と採掘のため赴任したこの集落で桜井は生まれ、その後上高地、清里と転勤を重ね、桜井もそれに伴って転校した末、清里の高校で就職活動の時期に色々ヤバくなり、昔世話になった神父の紹介で軽井沢の神学校に入学した後、清里にシスターとして赴任したらしい。


 小熊としては桜井が人生のどの部分でバイクに惹かれ、どうやって金を溜めバイクを買ったのか知りたかったところだが、それを聞くとまるでやたら桜井の過去を知りたがる厄介な女になってしまいそうなので、後々桜井が聞いてもいないのに勝手に話し出すのを待つことにした。

 小熊はただ、桜井が初恋のバイクと言っていたホンダNSR250Rとどんなふうに恋に落ち、どのように愛を重ねたのか知りたかっただけ。

 今でもまだ未練を残しているのか。今、桜井のすぐ側に居るものと、どっちが好きなのか。



 

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