第11話 ティータイム
小熊と桜井は宿直室に招き入れられた。
靴のまま室内に上がるスタイルから小熊が察した通り、室内は英国式の調度品で飾られている。
ログハウスにはかなりの確率で置いてある2by4材と建築ボルトで作った手製テーブルがリビングの中心にあり、隅にキッチンが見える。
折り畳みの階段を昇った先にあるのは寝室だろう、寒暖差激しい日本には向かないが、ブリティシュカントリー趣味の人間が屋根裏部屋に憧れないわけがない。
部屋主の女性が武器に使えそうなほど重厚な木のハンガーを手に小熊を見たので、小熊と桜井はメッシュベストつきの上着を差し出す。女性は小熊の日本ではスイングトップと呼ばれる赤いゴルフジャケットを興味深げに眺め、桜井のロンドンのパンクスを思わせるバンソンの革ジャンにも敬意を払った様子でハンガー掛けに吊るす。それから油のしみ込んだ自分のオイルジャケットを脱いで、油まみれの木綿生地に意味があるのかどうか丁寧にブラシをかけて隣に吊るす。あのいい香りとは言いかねる防水油が自分のジャケットに付くのが心配だったが、バイクに乗る時に着る実用服で今さらの話。ディーゼルの煤煙や自分の血で汚れるよりいい。
どうやら玄関隣のハンガー掛け一つ分のスペースがクロークのようだった。ハンガー掛けの隣にはクロークに欠かせない帽子掛けがあったが、ヘルメットを掛ける用には使えなさそう。
テーブルの周囲に置かれたマホガニー材の椅子を勧められ着席する。仕事の主導権を握るべく、出来れば最奥の上座に座りたかったところだが、その席にはもう部屋主の女性が座っている。教師らしいな、と思った。自分の生徒だけでなく、ビジネスやプライベートで会う人に対しても教え子であるかのような態度を隠せない。小熊は以前に出会った大学准教授を思い出した、乗っているレクサスの色が好みに合わないので、もう一度会いたいとは思わないが。
横目で桜井を見た。彼女もシスターとして人に説教する仕事をしているが、何も迷うことなく下座に座っている。一度座ってから席を少し引く、相手の物言いが気に入らない時は、いつでもテーブルを蹴っ飛ばして出口に遁走できる位置。
小熊も女の向かい側に座る。玄関と女性の席を結んだ線上、もし上座の人間が誰かに撃たれたならば、身を挺して盾になる位置、正直眺めて楽しくなるようないい女と同席する時しかやりたくない。
着席したところで、改めて挨拶をしようとしたところ、小熊より早く桜井が握手の手を差し出した。
「今回のお仕事でメインライダーを務めさせて頂く桜井叔江です。現在一時的に共同輸送社に籍を置かせて頂いておりますが、普段は清里のカトリック教会で神にお仕し、礼拝と信仰の日々を過ごしております。私たちに神のご加護があらんことを」
小熊は口の形だけで「嘘つけ」と言った。清里にある桜井の教会は同じ市内なので小熊も一度行ったことがあるが、礼拝堂で神父と二人揃ってスマホゲーに夢中で、ある意味神頼みな時間を過ごしていた。
桜井は銀の十字架が箔押しされた名刺を差し出す。女性も握手の手を握り、名刺を渡す。
続いて小熊もまだ人となりのよくわからぬ女子に握手する。握力は意外と強い
「私は今回のお仕事でライダーの指揮、管理を務めさせて頂きます。お友達の浮谷さんには普段からお世話になっております」
小熊の出したバイク便会社の名刺を見て、教師は苗字の読み方に迷っている様子。小熊はもう慣れていた。難読な漢字で、初対面の人間にはまず読めない。
「小熊で構いません」と言うと、安堵した様子。
小熊も差し出された名刺を一瞥する。分校とはいえ公立校、教職の公務員らしき生硬な名刺。名前は生沢轍花(いくざわ てっか)と言うらしい。
「小熊さんはあずちゃんとお仕事してたの?大変でしょ?あの子は」
どうやら小熊が苦手とする世間話、共通の知人についての話が始まる様子。これも仕事のうちと適当に相槌でも打って済ませようとしたところ、唐突に背後の振り子時計が鳴った。
重厚だが心臓をびっくりさせる類でない温かみのある音を聞いた生沢という女性は、話の途中で唐突に立ち上がった。
「お茶の時間ですね。いま淹れますから少々お待ちを」
そのまま立ち上がった生沢はカーテン替わりのユベントスの旗で仕切られたキッチンに消える。桜井が椅子の上で伸びをしながら言った。
「イギリスと戦争をするとな、いつも午前のハイティーと午後のアフタヌーンティーの時間に砲撃が止まるんだ、敵国はそれで時計を合わせる」
小熊には桜井のいらない蘊蓄より、彼女がいつも革ジャンの下は聖職者にあるまじき恰好なところが気になった。タンクトップの胸のところの生地が伸びきっている。
数分後、錫のティーポットとカップ、砂糖壺とミルクピッチャー、キュウリだけのサンドイッチの乗ったスターリング・シルバーの盆を持って生沢が席に戻って来た。
小熊と桜井の前にほんのり温かいカップを置き、慣れた手際でお茶を注ぐ。正しい手順で淹れたらしく芳香が広がるお茶のダージェリンの薫りを嗅ぎながら、小熊は型通り客にお茶に先に注ぐのかミルクを先にするのか聞いてこないのが気になったが、生沢が自分のお茶を注ぐ時に、ティーポットとミルクピッチャーを同時に持ち、両方を同時に注いでるのを見て納得した。
ロンドンにある茶の名舗フォートナ・メイスンの老番頭はそう注いでいると聞いたことがある。厳格に守られ伝承されたティーマナーのしめくくりは「好きにやれ」ということか。
生沢に目で許しを求め、自分でミルクを入れたお茶を一口飲む、桜井は砂糖を無礼なほど入れてかき回している。続いて見た目通り本当にキュウリだけしか挟まってないサンドイッチを一つ摘まみながら、桜井がサンドイッチに塗るマヨネーズなど要求する前にビジネスの話を始めた。
「で、今回お預かりする荷物についてですが」
きっと何度も鏡を見て練習したらしき優雅な仕草で午後のお茶を飲んでいた生沢は、やはり腹が立つほどの優雅な口調で言った。
「あずちゃんから聞いてましたが、小熊さんはやや結論を急きすぎる方ですね、ご先祖はケルト人かしら」
小熊は今日のネクタイの柄でも聞かれたかのように答えた。
「父方の曾祖母がそうだったと聞いてます。ベルファストの出身というだけで他に何も知りませんが」
生沢の表情が変わる。複雑な顔。あえていうならばホンダかヤマハのバイクを一生懸命ブリティッシュスタイルにカスタマイズして得意げに乗り回していたら、隣に本物のトライアンフやBSAが駐まったような顔。
生沢はさっき受け取った小熊の名刺を慌てて見返す、難読な漢字、カタカナで表記すれば、アイルランド系でよく見かける姓になる
桜井がいきなり小熊の肩を掴んで自分に向かせる。エメラルドのようなの瞳で見つめてくる
「前からそうじゃないかと思っていたけど、小熊ちゃんの瞳って片方がグレーっぽいんだな、ヘテロクリミアって奴だ」
生沢は先ほどまでの優雅の仕草を投げ捨てたかのように、テーブルをドンドン叩きながら地団駄を踏んで言った。
「アイルランドの血が入っててそのうえ金銀妖瞳なんて!どんだけ羨ましいの!いいな~!いいな~!」
小熊は少々ふてくされたようにキュウリだけのサンドイッチをもう一つ頬張った。いい香りのバターが塗ってあって塩加減も良好。もしかして今まで食べたサンドイッチで屈指の美味かもしれない。少なくとも、今交わされているあまり愉快とは言えない会話より価値がある。
やっぱり世間話なんて苦手だ、自分がオッドアイで得したことなんて覚えてる限り一度も無いし、碧眼のように見栄えのするオッドアイじゃなく、歯医者にすら気づかれない微妙なグレー系オッドアイ
キスするくらい近づく相手にしかわからない
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