千葉県山武市が独自の緊急事態宣言
どっぐす
千葉県山武市が独自の緊急事態宣言
『新型コロナウイルス感染拡大防止のため、千葉県サンムシが独自の緊急事態宣言を出した模様です』
自室でのテレワークを終え、リビングのソファーでみかんを食べていたら、テレビからそんなニュースが聞こえてきた。
ん? と思って画面を見る。
字幕を見るに、どうやら「山武市」と書くらしい。初めて聞く名前だ。
「あら、千葉県にはこんな市があるのね。知らなかったわ」
「わたしもー」
ソファーに座っていた妻と娘の二人も、初耳だったようだ。
我々東京都民からすれば千葉県は隣。にもかかわらず、うちの家族は全滅で誰も知らない。
俺はみかんを頬張りながら、手元のスマホでツイッター住民の反応を見てみた。
『山武市ってどこやねん』
『なんだこの市? 知ってる奴いるの?』
『マイナーすぎて草』
『くっそワロタwwwこんな市誰もわからないだろwwwww』
『千葉県民だけど知りません』
『市が緊急事態宣言って出していいんだっけ?』
『意味ねーだろこれ』
やはり荒れていた。
まあそうだよなと思いながら、惰性でマウスを転がしてゆく。
すると、ポツンと一件、
『イチゴが有名なところですね。前に行ったことがあります』
山武市を知っている人のツイートがあった。
興味をひかれたというわけではないが、なんとなくウィキペディアでこの市を調べてみた。
山武市は千葉県北東部にある市だった。人口は五万人にも満たないようだ。やはりイチゴが特産物であると書かれていた。
続けて、新型コロナウイルスの感染状況も検索して確認してみた。
「ん? 別にコロナがいっぱい出てるわけじゃないのか」
独自で緊急事態宣言を出すくらいだ。さぞ酷い状況なのだろうと思ったのだが、昨日の新規感染者はゼロ人。重症者数もゼロ人だった。
これで緊急事態宣言? 意味がわからない。テレビからも、コメンテーターの「疑問ですねえ」という声が聞こえてくる。
――まあ、どうでもいいか。
俺はそれ以上考えるのをやめ、みかんをもう一個食べようとした。
「あれ? みかんはもうないのか?」
「ないわよ? 今のが最後の一個」
「じゃあ他に何かフルーツは?」
「何もないわ。あなた、またネットで何か注文してもらえるかしら?」
妻に言われ、またスマホを見る。
今の季節といえば、みかんと………………イチゴか。
「イチゴを頼んでみるか」
二人から賛成という声が返ってきた。
イチゴ。
『山武市はイチゴが有名なところですね』というツイートが頭によみがえる。
せっかくだからということで、山武市の店を探して宅配をお願いすることにした。
探すと、現地のイチゴ園のホームページが大量に出てきた。
多くは似たようなレイアウトで、つい最近に制作したような雰囲気のホームページだった。
少し「ん?」とは思ったが、詐欺サイトなどではなさそうなので思い切って注文してみた。
* * *
イチゴが届いた。
大きさは普通かやや大きめといったところか。
形は見事に揃っている。
色も『へた』に近い部分まで鮮やかな赤。きれいだった。
さっそく、妻や娘とリビングのテーブルを囲み、食べてみることに。
「うわ、なにこれ。めっちゃおいしいんだけど」
「そうね。こんなにおいしいイチゴは初めて食べたわ。ねえ? あなた」
「確かにうまいな」
ジューシーでありながら変な水っぽさがない。
噛むたびに、濃厚な甘みが口の中にサッと浸透してゆき、実の中に凝縮されていたであろう香りがスッと鼻に抜けていく。
今まで食べたイチゴとはまったく違った。
感動したと言ってよいくらい、おいしかった。
スマホを開き、ツイッターを確認する。
同じように山武市のイチゴを注文した人は多かったようで、おいしいという声であふれていた。
俺はツイッターを閉じると、また山武市のイチゴを注文した。
* * *
リビングで山武市のイチゴを食べていた俺は、なんとなくテレビを見ていた。
また山武市のニュースが流れてきた。
『山武市のイチゴの出荷量が、前年の三十倍のペースだそうです。また、ふるさと納税の寄付金額は現時点で前年の二十倍にも及んでおり――』
なるほど。確かにネットであれだけ話題になれば、そうなるか。
……もしくは最初からそれが狙いだったのか?
俺はまんまと罠にはまってしまった一人なのだろうか。
まあ、イチゴは本当に美味しいからいいか。
俺はやや複雑な心境で、山武市のイチゴを注文した。
* * *
『千葉県
いや、だからどこだよ。
リビングで山武市のイチゴを食べながら、心の中でテレビ画面に突っ込んだ。
『えー、千葉県香取市も独自の緊急事態宣言を出しました』
『あっ、今入ってきたニュースです。千葉県いすみ市が独自の緊急事態宣言を出しました』
聞いたこともない市や町による緊急事態宣言のニュースが続く。
ツイッターを開くと、また『知らねーよw』というような突っ込みであふれていた。
俺は心の中でそれらのツイートに同意しながら、山武市のイチゴを注文した。
* * *
ネット通販で『多古米』『香取市産サツマイモ』『いすみ米』『いすみ市産キウイフルーツ』などが大人気となり、売り切れ続出となった。
さらには、多古町・香取市・いすみ市に莫大な額のふるさと納税が集まったようだ。山武市のイチゴも相変わらず好調らしい。
千葉県内の知名度の低い市町村による緊急事態宣言は、連日のように続いている。
もう間違いはないだろう。山武市は最初から宣伝目的で緊急事態宣言を出したのだ。手っ取り早く全国での知名度を上げられるお得な宣伝方法だったというわけだ。
三十倍の出荷量が実現できたのも、現地のイチゴ園のホームページに新しい雰囲気のものが多かったのも、事前に市が農家に根回しをして準備させていたのかもしれない。
そして今、山武市がうまくいっていることを確認した千葉県内の他の市町村が、山武市のまねをしている。どうもそういうことのようだ。
『千葉県
また知らない市の緊急事態宣言がテレビから流れてくる。
『緊急事態宣言のバーゲンセール(笑)』
『この乱発されてる状況が緊急事態だろw』
俺はそれらのツイートのいいねボタンを押すと、山武市のイチゴを注文した。
* * *
千葉県の市町村による緊急事態宣言ラッシュは、唐突に終わりを迎えた。
「売名目的の緊急事態宣言はやめるように」と、政府から怒られたらしい。
当初政府は「コメントは控える」としていたのだが、とうとう堪忍袋の緒が切れたようだ。まあ当然だろう。
俺としては、ラッシュ終了は割とありがたかった。知らない市の緊急事態宣言のニュースが続いてネットが荒れていると、他のニュースが全然頭に入ってこなくなるからである。
あ。
そういえば忘れていたが、危ぶまれている五輪開催はどうなっているのだろう?
ちょうどニュース番組がやっている時間だった。
五輪の話題も出るかもしれない。俺はテレビのリモコンのボタンを押した。
『今入ってきたニュースです。山武市が二〇三二年夏季五輪の招致を目指すことを表明しました』
……。
やれやれ。
世界に羽ばたくであろうイチゴを、俺は注文した。
- 完 -
千葉県山武市が独自の緊急事態宣言 どっぐす @dogskiller
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます