第37話 エミリ救出作戦―④

「俺に、強化魔法をかけてくれないか」


 何度目かもわからない俺の頼みを聞いたメアは、すぐに大きなため息を吐いた。


「またそれ? 嫌よ。陽翔には危ないって、ずっと言ってるでしょ?」

「これまでと今とはわけが違う。こんなこと自分で言うのも情けないけどさ、多分今のままじゃ俺まともに動けないよ。すげえ痛いもん」


 俺はさっき矢が掠めた脇腹を指で指した。血で滲んだシャツを見て、メアが少し目の色を変える。


「今のままじゃ、俺はエミリの元に辿り着く前に死ぬ。だからたとえ危ないって言われても力がほしいんだ。こんな土壇場でごめん。でも、納得できる理由がない限り俺も引けない。具体的に何がどう危ないんだよ」


 メアはまたため息を吐いた。今まで俺たちの話を聞いていたグエンさんが「おい」と口を挟んでくる。


「何の話をしてるんだ? 強化魔法なんて魔法、俺は知らないが」

「え?」


 その予想外の問いに、俺は目を丸くする。強化魔法を知らない? 

 俺が困惑していると、メアがいかにも面倒くさそうに口を開いた。


「言ってなかったけど、アタシの『強化魔法』は単純に身体能力を引き上げる魔法じゃないのよ。体内に蓄積した魔素を微妙に変換して、体内から変化させるの」

「はあ? そんなことが出来るのか」

「みんながみんな出来るわけじゃないと思う。現にうちの兄は全く出来てなかったし。で、陽翔に危ないって言った理由はここから」


 メアは自分を指さす。


「体内の魔素を活性化させるわけだから、一歩間違えたら何が起こるかわからないでしょ? アタシが自分に魔法をかける時は自分の状態がわかってるから安全だけど、それが他人になると話は変わっちゃう。安全なラインがわからなくなるの。アタシがお兄にこの魔法を使ってないのもそれが理由。じゃなかったらあんなノロマなお兄を無策に行かせるワケないじゃない」


 肩をすくめたメアは、俺に視線を流す。


「相手が陽翔となると、余計に危ない。アンタは今あり得ない量の魔素を体内に溜め込んでるんだから、アタシが無理やりいじったらどうなるかわかんないでしょ。アタシ、自分の魔法で誰かを苦しめたくないのよ」

「…………」


 俺はその話を黙って聞いていた。なるほど。メアが俺にその魔法を使いたくない理由は十分にわかった。メアはメアで、俺のことを考えてくれた上での拒否だったんだろう。


 でも。


「メアの理由はわかった。でもその上でもう一回頼みたい。俺に強化魔法をかけてくれ。俺に力を貸してほしいんだ」


 何が起こるかわからないなんて、そんなリスクは屋上から飛び降りた時から覚悟している。ここで怖気づいている余裕なんてない。


 俺の言葉を聞いたメアは、またため息を吐く。それから仕方なさそうに「手出して」と言った。


「そう言われることはわかってた。ガンコだから。今から魔法かけたげる」

「ありがとう」

「はいはい」


 言われた通りに右手を差し出すと、メアがぎゅっと両手で掴んできた。両手で包み込むように俺の手を握り、目を閉じる。


「気分が悪くなったらすぐに言いなさいよ。結構これ荒技だから」


そう前置きして、メアは囁くように呪文を唱え始めた。じわじわと体が熱くなってくる。それと同時に、脇腹の痛みも気にならなくなってきた。

 治ったわけじゃないだろうけど、痛みが引いただけでも助かる。これが魔法の効果なんだろうか。やっぱ魔法ってとんでもない。


「…………こんなところかしら」


 メアが呟いたのと同時に、体の奥から熱が流れ込んでくるような感覚は止まった。「ありがとう」とお礼を言う。


「助かった。危ない魔法だって言ってたけど、全然悪いトコロとかないよ。流石メアだな」

「………………」


 しかし、メアは俺の手を握ったまま離そうとしなかった。それどころか、俯きがちのまま握る手に力を込める。その力は、まるで少し名残惜しんでいるようだった。


「メア?」


 どうしたんだろう。もう強化魔法はかけ終わったはずだよな?


 俺が不思議に思って声をかけると、


「陽翔は何だってするのよね。エミリのためなら」


 そんな微かな呟きが聞こえたような気がした。


 俺が目を見開いたと同時に、急にメアがぱっと手を離した。左手を腰に当て、右手で俺を指さす。違和感も何もない、いつも通りの仕草だ。


「これで魔法はかけ終わったわよ。もう一回確認するけど、体調に変化はないのね?」

「あ、ああ。痛みも和らいだし、これでバッチリ」

「ちょうど良いタイミングだな。外の奴らもここを離れたようだぞ」


 戸惑いながらもサムズアップすると、グエンさんが声をかけてきた。俺とメアはドアの方へ駆け寄る。


 グエンさんは慎重にドアを開け、廊下へ顔を出した。


「さっきの様子だと、お前らは渡り廊下から尖塔に行こうとしているんだろう。だが、それは厳しい。あそこのセキュリティは国内でも最高の強度を誇る」

「それは、魔法の強度がすごいってこと?」

「それもそうだが、何か異変があったら、すぐに兵士たちが駆けつけることになっているし、一度閉じ込められてしまうと外に出るのは難しいだろう。それに、もう一人の見張りは強い。なるべく敵には回したくない相手だ」


 廊下の様子を確認して、グエンさんが「出ていいぞ」と振り返った。俺たちはグエンさんの先導で部屋を出る。


「じゃあ、どうすればいいの?」

「屋根を伝って外から行く。それなら気づかれにくい。今のうちにここの廊下を抜けるから、ついてこい」

「屋根!?」


 予想外のルートに驚いたが、グエンさんは特に答えることなく走り出してしまった。

 まだまだ説明不足な気はするけど、とにかくグエンさんについていく。廊下をまっすぐ進んでいき、曲がり角に出た辺りで、グエンさんに止められた。


「ここで少し待っていろ。見張りを誘導してくる」


 そう言って廊下へ出て行ったグエンさんは、見張りに立っていた兵士に声をかけた。その隙に、俺はペンダントに声をかける。


「ロジクルさん、今の事情だけど……」

『聞こえていたよ。もう私の誘導は必要ないかな?』

「うん。ロジクルさんには、もうそろそろこっちに来てほしい。もしかしたらまた連絡するかもしれないけど」


 メアとロジクルさんには、この後合流して城の牢屋に向かい、エミリの家族を救出してもらうことになっている。ロジクルさんはあの小屋から城下町まで転移魔法を使うらしいし、早めに動いてもらった方がいいだろう。


『わかった。すぐに準備をする』


 ロジクルさんの返事を聞いた直後、グエンさんが「こっちだ」と顔を出した。


「長くは持たない。早く行くぞ」


 グエンさんの後に続いて、俺とメアは走り出した。


「屋根を伝って行くなら、資料室から窓の外に出るのが一番良い。資料室は左に曲がってすぐだ」


 グエンさんの言う通り、廊下を左に曲がるとすぐに「資料室」のプレートを掲げた部屋が見えた。俺たちは資料室の中へ入り、窓の傍へ駆け寄る。


「この窓から外へ出て、屋根を伝っていけば……」


 そう言ってグエンさんが窓枠に手をかけた時、


「こっちだ!!」


 突然、部屋の外から怒号のような声が聞こえてきた。



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