第19話  "二つの魔法"

 その翌日、俺は部屋で一人きり、椅子に座ってぼんやりしていた。さっき行った検査の結果待ちだ。どんな検査だったかはあまり思い出せないけど、数分で終わった気がする。


 そんなよくわからない検査に意識を向ける余裕なんて、今の俺にはなかった。


 俺は、いつの間にか握りしめていた手を開いた。手の中には、手作りのマスコットがちょこんと乗っかっている。


『これあげるよ』


 脳裏に蘇った彼女の声に耳を澄まして、俺はゆっくりと目を閉じた。




「これあげるよ」


 ある日の帰り道、エミリが突然俺にマスコットを渡してきた。突然のプレゼントに全く心当たりがなくて、驚きながらそれを受け取る。


「え、なんで? ってかすげー上手い。エミリって手芸得意だったっけ?」

「得意だよ。私の一番の特技っていっても大袈裟じゃないくらい」


 そうだっけ、と呟いて、俺はそのマスコットを見つめた。天使みたいな白い羽が生えている、クマなのかネコなのかイヌなのかわからない曖昧な姿の動物が、ほんわかとした笑顔を浮かべている。こんな不思議な生物に見覚えはない。


「このキャラクター、最近流行ってたりするのか?」

「ううん。私が作ったキャラクターなの。ニコりんって言うんだけど」

「ニコりん? ……あー、確かにニコニコしてるな」

「えへへ、そうでしょ」


 エミリが笑う。俺もニコりんという名前の奇怪な動物がちょっとかわいく見えてきた。エミリが考えたのか、ともう一度ニコりんを見つめる。


「そんなにまじまじ見られると困るんだけど……」

「渡してきたのはそっちだろ。そうだ、なんで俺に? 嬉しいんだけどさ」


 俺が聞くと、エミリは「んー」と指を口元に当てて、黙りこんだ。沈黙の後、


「お守り、かな」


 エミリは微笑んだ。切なげにその目を細めて。


「お守り?」

「そう。……持っててくれる?」


 エミリが俺の顔を覗き込んだ。何のお守りかは教えてくれないらしい。俺はその視線を受け、笑って答えた。


「もちろん。大切にするよ――」




「――陽翔!」


 俺を過去の記憶から引きずり出したのは、エレンの声だった。目を開けると、エレンが俺の隣に立っていた。


「ごめん、寝てた?」

「寝て……は、ない。でも夢は見てたかも」

「不思議な話だね」


 座りながら答えたエレンの横顔は晴れない。俺は伸びをしてから、「どうだった?」と聞く。


「え?」

「検査結果。出たからここに来たんじゃないの?」

「ああ、うん。その通り」


 やっぱり様子がおかしい。歯切れが悪いし、俺と目を合わせようとしない。隣に座っているだけで、エレンが緊張していることが伝わってくる。


 恐らく検査結果が書かれているであろう紙を見て、息を吐きだして、エレンは言った。


「今、陽翔は二つの魔法にかかっている状態だと判明した。一つは陽翔自身も心当たりがあると思う」

「小屋で会ったおじいさんにかけてもらった魔法のことだよな。それならわかるけど、二つ目は……。エレンはもうわかってるのか?」

「いや。まだ、ハッキリとはわかってないんだけど」


 エレンは固い声で答えた。ぐしゃ、と手に持っていた紙を握りしめる。


「陽翔。今から僕が言うことは、ただの推測だ。想像だ。だから、そんなに重く受け止めすぎないでほしいんだけど」

「……え、」

「二つ目の魔法は、君とエミリさんとの記憶に関する魔法なんじゃないか」


 一瞬、エレンが何を言っているのかわからなかった。声も出ない俺から目を逸らし、エレンは無慈悲にも続ける。


「陽翔が昔のエミリさんのことを思い出せないのは、事故のせいじゃない。魔法にかかっているからなんだ。魔法でエミリさんとの記憶を消されたか、それとも……」

「ちょ、っと待て」


 ようやく声が出た。俺はエレンを呆然と見る。


「誰かが、俺がエミリと過ごした九月より前の記憶を消したってことか? 何のために? そもそも何か魔法にかけられた記憶なんて……。まさか、あのおじいさんが俺にその魔法をかけたってことか!?」


 俺にエミリを探すアドバイスをしたと思わせて、本当は俺の記憶を消してたっていうのか。俺だって、こんなこと疑いたくない。でも魔法をかけてもらったのは、あれが最初で最後だ。俺が知らないうちにやられてたって可能性はあるけど、そうしたら犯人は……。


「……それはないよ」


 目が回る思いで考えていると、エレンはゆっくりと首を振った。


「この検査では、魔法をかけられた時期もわかるんだ。陽翔がその魔法にかけられたのは、おじいさんに会うより前――陽翔の住んでいた場所の暦に合わせれば、九月だ」


 今度こそ、言葉を失った。


 九月。まだ俺が、こんな摩訶不思議な世界の存在さえも知らなかった頃。それなのに俺は、既に魔法にかかっていた?


「陽翔がエミリさんと過ごした記憶を思い出せるのは、九月からだって言ってたよね。時期がちょうど合致する。……陽翔。君の九月以降の記憶は、魔法で書き換えられていて当てにならない可能性が高い。君の幼馴染は――」


 握った手を、思いきりテーブルに叩きつけた。重い音に、エレンがびくっとして口を噤む。


 脳裏に蘇るのは、エミリと過ごした日々だ。一緒に学校に行って、授業を受けて、他愛のない会話をして、寄り道しながら帰って、たまに休日にもどこかへ出掛けたりして。そんな幸せな記憶が、書き換えられたものだった?


「……っ、わけわかんねぇよ。どうして、人間界で普通に暮らしてて『魔法』なんて滅茶苦茶な存在が登場するんだ? 学者さんに言うのも気が引けるけど、お前のその推測は間違ってる。俺の……俺のこの記憶は、間違いなく本物なんだよ!」


 叫んだ。手の中のマスコットを強く握りしめる。その存在を確かめたくて、綿が飛び出しそうなくらい力いっぱい握る。


 嘘じゃない。嘘じゃない。何も不確かなことなんてない。なあニコりん、お前は本物だよな。お前はエミリが作ってくれたんだよな。何も間違っていない。エミリが俺に向けてくれた言葉も、笑顔も、全部全部紛れもない本物だ。

 

 長い沈黙の後で、「ごめん」とエレンの声が聞こえた。顔を上げると、エレンは思いつめたような顔で俺を見ていた。


「君の気持ちも考えずに、変なことを言った。あくまでこれは僕の推測なんだ。不愉快な気持ちにさせて、ごめん」

「あ……」


 ようやく、頭が冷えてきたような気がした。俺は少し黙って頭の中を整理するように努める。でも、駄目だ。ごちゃごちゃ散らかった中から、どうにか言うべき言葉を拾い上げる。


「俺の方こそ、酷いこと言ってごめん。ちょっと頭に血が上ってた。本当にごめん」

「気にしないでいいよ。……僕の今の話は、忘れてもらっていいから」


 エレンは俯きがちにそう言った。忘れるなんて出来るわけがない。たとえもう一度事故に遭ったって、この話を忘れることは出来ないだろう。


 気まずい沈黙。その空気を入れ替えるかのように、部屋のドアが勢いよく開いた。


「戻ったわよ! 貼り紙、これでいいのよね?」


 腕に紙の束を抱えたメアが、俺とエレンに向かって叫ぶ。それから眉間に皺を寄せた。


「なによ、この重苦しい雰囲気。何かあったの?」

「何もなかったよ。ありがと、メア。助かった」


 俺はメアの方へ歩み寄ると、貼り紙を一枚手に取った。プリクラのエミリの写真を載せて、探し人と大きく文字で書いてある。


 俺はその貼り紙を見つめながら言った。


「エミリは見つかる。絶対に」


 それはほとんど自分に向けた言葉だった。


 



 それから数日間も、俺はエミリを探し続けた。


 エミリは、あの曲を「おじいちゃんから教わった」と言っていた。もしかしたら……もしかしたら、おじいちゃんも俺と同じような境遇だった可能性がある。何らかの理由でこの世界にやってきて、それから人間界に戻ってきた人だという可能性。それなら、知っていてもおかしくない。


 考えれば、エミリがあの歌を知っている理由なんていくらでも思いつく。どれも何の証拠も信憑性もないものばかりだけど、それに縋っていないと立ち上がることすら出来ない気がした。



 そして、城下町に来て四日目の朝、俺は掲示板の前で落胆していた。


「ここも剥がされてる……」


 一昨日、作った貼り紙を城下町のいろんなところに貼ったのだが、今朝見たらそのほとんどが剝がされていた。


「無許可で貼ったのがまずかったかな」

「それしかないだろうな。結局連絡一つもなかったし……」


 結構な枚数を貼ったけど、全滅するとは思っていなかった。空砲をバカバカ撃ってるのは見逃してるくせに、こういう捜し人の貼り紙は剥がすなんて、役人もケチなことをする。


 俺は肩を落としながら、最後に貼り紙をした場所へ行く。その場所は住宅街。流石にここは許可をもらってから貼ったから、剥がされていないと思うけど……。


 角を曲がって、貼り紙を貼った場所を確認する。その塀には、ちゃんと長方形の紙が貼られたままだった。唯一の生き残りだ。


 ほっとしたのも束の間、メアが「あれ何?」と指さす先を見て、俺たちは落胆に突き落とされた。


「なんだよこれ……」


 俺は貼り紙に歩み寄ると、自らそれを破り取った。エミリの顔写真の上には、汚いデカい字で「ユーレイ!」と落書きされている。俺の手元を覗き込んだメアも、「ひどいわね」と呟いた。


「子供のイタズラ? せっかく剥がされてなかったのに」

「ホントにな。これで貼り紙も役に立たないことがわかった。……もしかしたら、エミリは本当にここにはいないのかもしれない」


 俺は手元の貼り紙をグシャッと握りつぶした。エレンが静かに目を伏せ、メアは「結局諦めるの?」と聞いてくる。大体、こうして俺に発破をかけてくれるのはメアだ。


 もちろん俺は首を振る。


「まさか。でも、ずっと同じ場所を探してても意味ないだろ。城下町に行けってヒントをくれたおじいさんにもう一度会いに行く。それで、もっと詳しい話を聞く」


 ここでずっと足踏みしているくらいなら、少し戻ることになっても動く方が良い。それが俺の考えだ。


「……今のところ陽翔の魔素に対する力の解明も、ゴンゴさんからの結果待ちみたいなところはあるからね。いいんじゃないかな。僕も賛成だよ」

「アタシも賛成だけど、一つだけ」


 メアは人差し指を立てると、そのまま空を指さした。


「星送りは明日なのよ。せっかくなんだし、それだけ見て帰りましょ」

「あー、そうだっけ……」


 俺はメアの指先を見上げるように顔を上げた。確かに、初めて来たときよりも街が活気づいているような気がする。もう星送りの祭りが近いのか。


 上を見たままぼんやり考えていると、「陽翔」とメアに声をかけられた。メアは神妙な顔で俺を見ている。


「最近のアンタは自分を追い詰めすぎ。一日くらい休んだ方がいいわよ。ってゆーか、休ませるから。明日は絶対に息抜きの日ね」


 少し強めの口調で言って、メアは優しく微笑んだ。なんだかそれが眩しくて、情けなくて。俺はメアから少し視線を逸らして頷いた。


「ん。ありがとな」

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