第26話 女王の目的

 研究室に戻ると、机に本の山を作ったエレンが何やら調べ物をしていた。エレンは俺たちの帰りに気づいて、椅子からこちらを振り返る。


「あぁ、お帰り…………って、陽翔!? どうしたんだその怪我!」

 

 穏やかな表情から一転、エレンは慌てて俺のところへ駆け寄ってくる。


「あいつらにやられたのか!? メアは大丈夫か?」

「アタシは無傷。陽翔は一発殴られた。今から手当するから、ちょっと椅子と机貸して」


 メアは俺の手を掴むと、ずんずんと研究室の中を進んでいき、俺を椅子に座らせた。エレンの本をどかして買ってきた薬や布を置く。


 少し遅れて俺たちを追いかけてきたエレンは、何だか怒っているような悲しんでいるような複雑な顔をしていた。


「だから危ないって言ったのに……。相当腫れてるよ。痛いだろ」

「やっぱ腫れてる? そうだよな、エレン一目で気づいたもんな……」

「左頬の辺り軽く変形してるわよ。はいこっち向いて!」

「変形……」


 鏡で惨状を見てしまったら余計に痛くなるような気がして、ここまで怪我の様子を見ないまま帰ってきた。変形してるとか言われると、本当に見る勇気が出ないよな……。こんなことならもうちょっとケンカ慣れしておくべきだった。


「メア、まさか自分でやるつもりなのか? 今まで怪我の手当は僕任せで、自分ではまともにやってこなかっただろ。出来るのか?」


 エレンの問いかけにつられてメアの手元を見ると、たどたどしい手つきで薬の缶を開けているところだった。メアは不機嫌そうにぷいと兄から顔を背けた。


「うるさい。これくらい出来るし。陽翔の面倒はアタシが見るから。ほら、薬塗るから動かないで」

「んー」


 メアが指で薬を塗ってくれる。薬は思っていたより冷たくて、メアの少し戸惑っているような力加減がくすぐったい。


 エレンはそんなメアを見て困ったように笑うと、俺へと視線を戻した。


「やっぱりその怪我、反女王勢力にやられたのか? ってことは、協力は……」

「もちろん交渉は決裂。……あ、言い忘れてたけど、この怪我はあいつらのせいじゃないよ。俺のせい」


 俺は頬を指さした。エレンは椅子をもう一脚引っ張ってきて、腰を下ろす。


「陽翔のせい?」

「うん。俺、考え方が甘かったんだ。空砲鳴らしてる奴らなんだから、女王に一泡吹かせたがってるとばかり思ってた。でも、それは本来の目的じゃなかったんだよ。あいつらは理不尽がない生活を求めてたんだ。俺はあいつらを見下してた」


 言い方は悪いけど、暴力ばかりで知能のない生き物みたいな、そんな風に考えてしまっていたんだと思う。反省だ。


 薬を塗り終え、メアがガーゼを当ててくれた。これでしばらく大人しくしておけばいいらしい。なんかガーゼがシワシワになっているような気もするけど、手当をしてもらって痛みが和らいだ。


「でも、やっぱりあの人たちに協力を仰ぐしかないと思う。多分話せばわかってくれる。俺は嫌われてるけど、もう一回行ってみるつもりだよ」

「殴られてもまだ行くなんて、陽翔も懲りないわね。でも、ここからどうするの。アイツらは『メリット』を求めてんのよ? アタシたちがアイツらに用意できるメリットなんてある?」

「そこが問題なんだよな……」


 正直言って、ない。何もない。でもあのリーダーはそれなりに信用できるような気がしたし、メアのおかげでもう一押しのような気もする。それに、あの人たちしかもう頼れる人がいない。


「計画を話してしまった以上、まあ仲間に引き込む方が安全ではあるからね。彼らが城の関係者に僕たちの話をするとは考えづらいけど、その可能性はちゃんと考慮しておかないと」

「あー、そっか。そういうのもあるもんな……。やっぱりエレンの言ってた通り、もうちょっと策練って突っ込むべきだったな」


 今更悔やんでも遅いけど。俺たちは頭を突き合わせて唸る。


「説得の材料と言えば、女王の目的が何か、とかか」


 やがて、エレンがぼそりと呟いた。女王の目的。確かに、それによってはあいつらも協力してくれることだろう。


「でも俺たちもそこまで知らないんだよな、女王の目的って。あいつらはエミリを知らないわけだし、エミリが閉じ込められてるって聞いてもそこまでの正義感を働かせてくれるとは思えない」


 そもそも、女王がエミリを閉じ込めているのは魔素に対抗する手段を見つけ出すためだ。逆に女王に賛成する可能性もある。


「となれば、カギは人間界への遠征ってことになるね。陽翔、エミリさんは何か変わった行動をとっていたりしなかった?」

「変わった行動……。俺が覚えてる範囲ではないかな。俺の記憶が信用できるものなのかは別として……」

「大丈夫なんじゃない?」


 メアが薬やら包帯やらをポーチの中に突っ込みながら言った。


「エミリと関わった人間でアンタ一人だけなんでしょ。エミリが本当に死んだのかって疑ったのは」

「た、ぶん」

「それなら、きっと陽翔にかかった魔法はほとんど解けちゃってるのよ」


 少しぶっきらぼうな口調だ。

 メアの言う通りだったらいいなと思う。俺も、エミリと過ごした日々をすべて疑ってかかりたくはない。出来るなら、純粋に楽しかった日々の記憶としてとどめておきたい。


 エミリと過ごした日々を思い返して、ふと気が付いた。


「そうだ、エミリはいろんな国について調べてた。主に地理とか政治とか、難しそうなことばっか。何か関係あると思うか?」

「人間界オタクのお兄だったらわからなくもないけど、普通だったらそんなめんどくさそうなこと調べないんじゃない? やっぱ関係あるでしょ」

「何の目的で人間界へ行っていたのかも謎ではあるよね。人間に魔素を分解する能力はないんだから、魔素の大氾濫を打開する方法を見つけられるとは思えない」

「人間を調べるのが目的だったんじゃない?」

「それなら、適当な人間をこっちへ連れて帰ってこればいいだけだろ。一か月も滞在する必要なんてない。そう考えれば陽翔なんてうってつけの人材じゃないか」


 そう。エミリは俺が知る限り、特に何も不審なことはしていなかった。もちろん俺が知らないところで悪さを働いていた可能性もあるけど、エミリにはそんなこと出来ないような気がする。それなら、一体何のために女王は人間界へ偵察に行かせたのか。


「…………一つだけ、思い当たることがある」


 エレンが眼鏡の奥の目を細めた。俺も少し引っかかっていることがあり、「エレンもか」と椅子の背もたれに体重を預けた。


「ちょっと、何よ。アタシわかんないんだけど」


 不満そうに頬を膨らませるメアに向かって、俺はなだめるように手を突き出した。


「まあまあ。まだ空想ってレベルの話だからさ」


 エレンへ視線を流すと、エレンは俺を見て小さく頷いた。


「陽翔が何を考えているのかはわからないけど、多分僕と同じだと思う。話していいよ」

「あ、これ俺が話す感じか。違ってたら恥ずかしいな。えーっと、コホン」


 何でもないことなのに、少し緊張する。俺は一つ咳払いすると、その考えを口に出した。


「多分、女王様は人間界に来るつもりなんだと思う。この世界を捨てて、魔素のない場所へ避難するんだ。……エレン、合ってる?」

「ああ、合ってるよ。もっと自信もっていいのに」


 エレンは小さく笑う。話を聞いていたメアが「それって」と眉間に皺を寄せた。


「人間界、大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないと思う。…………まあ、陽翔の言った通り、これはまだ僕たちの空想でしかない。仮説でもないんだ。今ここで心配していてもどうしようもないし、明日適当に話聞いてくるよ」


 カタン、と椅子を鳴らしてエレンが立ち上がった。俺は「どこに?」とエレンを見上げながら聞く。


 エレンは普段あまり見せない得意げな顔で、俺とメアを見下ろした。


「実は、明日城の研究所に呼ばれてるんだ。そこで少し調べてみるつもり。城で働いているのなら、誰か人間界の偵察を知っていてもおかしくないはずだからね」


 

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