第14話 花火大会と君

 俺の住んでいた境町では、年に一回、九月の半ばごろに花火大会が開かれる。普段は犬の散歩をする人しかいないような寂れた河川敷も、この時だけはびっしりと並んだ屋台とその間を行き来する人たちで大いに賑わうのだった。



 じっとりと纏わりつくような暑さの中、時間を持て余した俺は玄関の前でスマホを見ていた。ちょうどタクからメッセージが届いたので、アプリを開いて返信をする。


『今日祭り行く? 行くなら一緒に行こうぜ』


 当日に聞いてくるとは、アイツ俺のことナメてるな。俺を祭りに行く友達がいない寂しいヤツだとでも思ってるのか。

 残念だったな、タク。実際の俺はそこまで寂しい男じゃない。


 俺は自信満々に画面をタップする。


『ごめん。もう約束してるので行けません』

『約束? 誰と』

『エミリと』

『花火と一緒に爆ぜとけリア充』


 爆速で返ってきたメッセージに、俺はぶはっと吹き出す。あーあー、タクの真っ赤な顔が目に浮かぶよ。

 実際のところ俺とエミリはただの幼馴染で、それ以上の関係なんて何もないんだけどさ。


 俺が返信を打ち込んでいると、


「お待たせ」


 玄関の方から、涼やかな声が聞こえてきた。俺は顔を上げる。


「ごめんね、待たせちゃって……。って、ニヤニヤしてどうしたの?」


 濃紺に、大きな白色の花が描かれた浴衣。派手なわけではないけど、エミリに良く似合う清楚なものだ。浴衣に身を包んだエミリは、不思議そうに俺を見つめている。


 ちょっと見とれてしまった俺は、数秒遅れで慌ててスマホをポケットに突っ込んだ。もちろんメッセージは打ちかけのままだ。


「ちょっとタクと話してただけだよ。なんでもない」

「そう? 思ってたより時間かかっちゃったから、よかった。それで……どう、かな」


 エミリは不安そうに上目遣いで俺を見た。どう、と言われても、答えるべき言葉は一つしかないんだけど。


「似合ってるよ」

「本当? 変じゃない?」

「変じゃないって。かわいいよ」


 俺の言葉に、エミリがぱっと顔を上げた。それから、照れくさそうに首を傾げて笑う。


「そうかな……? 陽翔にそう言ってもらえると嬉しいかも」

「はいはい。じゃ、そろそろ行こーぜ」

「うわ、陽翔早いっ。待ってよ」


 俺が背を向けて歩き出すと、後ろの方からパタパタとエミリの足音が近づいてきた。でも、多分顔が赤くなってるだろうから振り返れない。ちゃんと自然に言えたかな、俺。


 そんなことを考えながら顔をバシバシ叩いているうちにエミリが追い付いてきて、俺たちは二人肩を並べて河川敷へ向かった。




 河川敷に着くと、そこは既に人で賑わっていた。ずらりと並ぶ屋台を見て、エミリが歓声を上げる。


「いっぱい店が出てる! ん-、いいにおい」

「やっぱ祭りの醍醐味って屋台だよな」

「ハナビじゃないの?」

「花より団子ってやつだよ」

「ふふ、私も!」


 エミリは笑って、屋台の方へ走り出した。相当浮かれているらしい。


「あ、待て。そんなに走ったら転ぶぞー!」


 俺はエミリを呼び止めて、彼女を追いかけた。



 俺とエミリは、それから屋台を満喫した。かき氷、トルネードポテト、りんご飴、綿あめ。エミリも意外とよく食べる。聞くと、屋台のために昼ご飯を抜いてきたらしい。気合入れすぎだろ。


 俺は昼にラーメンをガッツリ食べてしまったから、既にお腹いっぱいだ。屋台巡りをしているうちに車道の方に上がる階段を見つけたので、そこで休憩することにする。


「あ、あそこにあるのってたこ焼きだよね? 買ってこようかな。陽翔もいる?」

「んー……。俺はいいや。多分そんなに食べられないし」

「わかった。ちょっと待っててね、私の分買ってくるから」


 まだ食べるのか、と言いかけたけど、怒られそうな気がしてやめた。小走りで屋台に駆けていくエミリを見送ってから、俺はスマホを取り出す。そういえば、タクに返信をしていなかった。


 通知が二件来ていた。二つともタクからだ。そのあまりにもアイツらしい内容に、思わず笑ってしまう。


「ははっ。ホント、お節介な奴だな」



 その後、エミリはすぐに舟のような包み紙に乗せられたたこ焼きを手にして戻ってきた。


 階段に二人並んで腰を下ろし、エミリは意気揚々と爪楊枝をたこ焼きに刺す。


「いただきまーす。……ふぁふっ!?」


 丸々一つ口に放り込んだエミリは、すぐに間抜けな声を上げて口元を押さえた。はふはふ言いながら、涙目で俺を見てくる。


「熱かった?」


 ブンブンと頭を縦に振るエミリ。俺は頬杖をついて、その様子を見守る。


 やがてたこ焼きを食べ終えたエミリは、大きくため息を吐いた。


「熱かった……。熱すぎて味がわかんなかったよ」

「もったいない」

「うん。次からはちゃんと冷まして食べる」


 こくん、と頷いた。それから、屋台の方へ視線を向ける。


「お祭りって楽しいね。こんなに美味しいものがたくさんあって……。これもかわいいし」


 そう言って、エミリは浴衣の袖をひらひらさせた。


「気に入ってもらえてよかった。いきなりでごめんな。母さん、どうしてもエミリに着てもらいたいって言って聞かなくてさ」

「むしろ嬉しいよ。帰ったらおばさんにお礼言わないと。でも、陽翔が普段着なのはちょっと残念かな」


 エミリは不満げに口をとがらせる。エミリが浴衣でお祭りスタイルなのに対して、俺はTシャツにジーンズ、普段と変わらないテキトーな格好だった。


「仕方ないだろ。その浴衣、親戚の姉ちゃんの忘れ物で、男物の浴衣なんて持ってないんだから」

「うーん……。でも、見てみたかったなあ」


 エミリはたこ焼きをまた一つ口の中に入れると、「おいしー……」ととろけるように呟いた。


「さっきは熱くて味がわかんなかったけど、ちゃんと食べるとすっごく美味しいよ。すごい……」

「そんなに美味いんだ」

「うん。……あ、陽翔も食べる?」


 エミリは思いついたように、また新しいたこ焼きに爪楊枝を刺した。ふーふーと冷ますように何度か息を吹きかけて、俺の顔の前に突き出してくる。


「はい、どーぞ」

「……え」


 突然突き出されたたこ焼きに、一瞬躊躇う。でもたこ焼きの向こうで悪戯っ子みたいに笑うエミリを見ると、食べないわけにはいかないし……。


 俺は意を決すると、ぱくりと目の前のたこ焼きに食いついた。


 ……確かに美味いけど、値段の割にはって感じだ。絶賛するほどじゃないような気もするけど、祭りだししょうがないかもしれない。それに。


 俺がもぐもぐとたこ焼きを食べているところを見つめていたエミリは、やがて「おいしい?」と首を傾げた。さらりと彼女の髪が揺れる。


 俺はたこ焼きと気恥ずかしさを一緒に飲み込むと、「美味かった」と答えた。


「ほんと?」

「ほんと。人生で一番美味かった」

「よかったぁ」


 エミリは心の底から嬉しそうに微笑む。


 たこ焼き一つでここまで幸せな気持ちになれたのは初めてなんだから、人生で一番美味いって言っても嘘にはならないだろう。





 そうして階段に座って過ごしているうちに、花火の時間が近づいてきた。周りにも人が増えてきている。


 俺は立ち上がると、隣のエミリに手を差しのべた。


「もうそろそろ、俺たちも移動しようか」

「? ハナビ見ないの?」

「花火を見るために移動するんだよ。とっておきの場所を教えてもらったんだ」


 エミリはぱっと顔を輝かせると、「うん!」と俺の手を掴んだ。


 そのとっておきの場所は、河川敷から少し離れた橋の上だった。運の良いことに誰もいない。俺は息を吐くと、エミリの手を離した。


「ここかあ……。よく見えるの?」

「いや、俺も初めて来た。タクが教えてくれたんだ」


 タクからのメッセージを思い出す。


『どうせ2人で花火見るんだろ? じゃあいいトコ教えてやるよ。俺たちは屋台で何か食ってる方が楽しいし』

 

 そして、この橋を示す地図が添付されていた。本当に、世話好きな奴だなあと思う。今度ラーメンでも奢らないとな。


 「拓哉くんに感謝だね」とエミリが笑ったとき、彼女の背後でひゅるひゅると光が上っていくのが見えた。俺が「後ろ!」と指さすと、エミリもはっと振り向いた。


 晴れ渡った夜空に、赤色の大きな花火が打ちあがる。続けて、青、黄。弾けた光は、九月の夜を華やかに照らす。少し遅れて花火の音と、遠くから人々の歓声が聞こえてきた。


 確かに、この場所からは花火がとても良く見える。今、俺とエミリはこんな絶景を二人だけのものにしているのだ。こんな贅沢許されていいのか。お礼はラーメンじゃ足りないかもしれない。


 そんなことを思いながら隣のエミリをちらりと見る。色とりどりの光に照らされているその横顔は、とても綺麗だ。しかし、頬には一筋の涙が流れていた。


「え、エミリ、どうした?」


 突然の涙に、動揺を隠せないまま尋ねる。エミリは「え?」と俺を見る。


「え? って……どうして泣いてるんだよ」

「……あ、本当だ。泣いてた……」


 頬に指を伸ばしたエミリは、そこでようやく自分が泣いていることに気づいたらしい。指先の雫に目を瞠る。それから、また花火を見上げた。


「幸せだなって、思ってたの」

「幸せ……?」

「うん。かわいい浴衣を着て、美味しいものをお腹いっぱい食べて、陽翔と二人で綺麗な花火を見て。これ以上ない幸せだなーって思ってたら、いつの間にか泣いちゃってたみたい」


 そう微笑む彼女の後ろで、演出のように花火が上がる。花火の美しさは一瞬だ。ほんの一瞬夜空で輝いて、すぐに崩れて暗闇に溶けてしまう。


「だからって、泣くことないだろ……」

 

 一年に一度、天候不良じゃなければ開かれる近所の祭りだ。花火の規模もそこまで大きいわけじゃない。もう何年も繰り返されてきた、決まった九月の風景。


 ありふれた世界を見て涙を流した彼女が、まるで花火のように儚いもののように思えてしまった。俺は引き留めるように「エミリ」と彼女の名前を呼ぶ。


「また来年も来よう。来年は俺も浴衣着るし、もっとエミリに似合う浴衣も探そう。いっそ昼から来て、屋台全部食べつくすのもいいな。今年は食べるだけで終わっちゃったけど、来年は射的もやろう。射的得意なんだよ、俺。それで、やっぱり来年もここで花火を見るんだ」


 だから、そんな泣くなよ。不安になる。君にはいつだって笑っていてほしい。


 エミリは驚いたように俺を見ていたけど、やがて小さく「来年」と呟いた。それから、今にも泣きだしそうに、苦しそうに、幸せそうに微笑む。


「うん。そうなったら、素敵だなあ」


 最後の花火が、黄金の花を咲かせた。



 

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