第1話 飛び降りた先

 俺は教室に顔を出した。思ってたより遅くなったけど、自分の席で本を読んでいる彼女の姿を見つけた。思わず笑みがこぼれる。


「エミリ」


 俺が声をかけると、エミリはぱっとこちらを振り向いた。


「あ! もう終わったの?」

「うん。ごめん、顧問の話結構長くってさ」

「いいよ。私も図書室に行って、新しく本を借りてきたから」

「そう?」


 それなら良かった。俺は自分の席に荷物を取りに戻りながら、聞く。


「今日は何の本借りたの?」

「フランスの本。まだパラパラとしか見れてないけど、パリって素敵なところだね。実際に行ってみたくなったよ」


 エミリは本を閉じながら答えた。エミリは、よく外国についての本を読んでいる。そのほかにも新聞もちゃんと読むし、政治にも興味があるらしい。俺なんて自分が住んでいる市の市長すら知らないのに、立派なことだ。


 俺たちは荷物を持って、帰路につく。九月下旬の午後四時過ぎは、じんわりと汗ばむ暑さだ。


「暑いね」

「暑いな」


 俺たちの足は、自然とコンビニへ向いた。通学路途中のコンビニに駆け込み、アイスを買う。袋を破ってゴミ箱に捨て、パッキンアイスを二つに割った。


「はい」

「ありがと。あー、冷たい」


 エミリはアイスを一口かじると、きゅっと目を細めて笑った。

 せっかくアイスを買ったことだし、河川敷に行くことにした。家までは少し遠回りになるが、このコンビニから歩けばすぐに着く。


陽翔はると、アイス溶けてる!」

「えっ? うわっ、やべえ!」

「あははっ、よそ見してるからだよー」


 騒ぎながら、俺たちは河川敷にどかりと腰を下ろした。アイスは溶けかかって、手に垂れている。

 隣でエミリがポケットからハンカチを出し、俺に差し出してきた。


「はい、どうぞ」

「ごめん。助かる。洗って返すよ」

「気にしなくていいよ。アイスおごってもらっちゃったし」


 俺はハンカチでアイスをふき取ると、ポケットに入れた。これは洗濯して、明日エミリに返さないとな。いつも迷惑かけてばかりだ。

 噛みついたアイスのソーダ味は、夏も終わりかけの九月の夕方には少し爽やかすぎる。


「~~~♪」


 隣でエミリが小さく歌を口ずさんでいる。これはエミリがよく歌う歌で、外国の歌なのか、俺には歌詞がよく聞き取れない。いろんな国に興味があるエミリのことだ。どこの国の歌を知っていても、不思議じゃない。


「それ、何の歌なの?」

「え?」


 エミリが俺の方を見た。それから、少し恥ずかしそうに笑う。


「私も、何の歌かはよくわかんない。おじいちゃんが教えてくれたんだ」

「へえ。いい歌だなって前から思ってたんだよ」

「うん。私も好き」


 切ないメロディラインが、エミリの綺麗な声によく合っている。ずっとそう思っているけど、恥ずかしくて口には出せない。俺はもう一度「いい歌だな」と呟いた。


 アイスはすぐに食べ終えてしまった。俺とエミリは、川面を眺めながらのんびりと話をする。


「ねえ」


 不意に、エミリが言った。今までの雑談のトーンとは違うような気がして、俺は視線を彼女に移す。


「うん?」

「夢を見てたの」


 エミリはどこか遠くを見つめている。川よりももっと向こうを。


「幸せな夢。家族がいて、友達がいて、……大切な人がいて。そんな当たり前に幸せな夢だった」

「ふうん。いい夢で良かったな」

「本当に、良かったのかな?」


 予想外の質問をされた。俺は戸惑いながら「どうして」と尋ねる。


「だって、夢は夢だよ。いつか覚める。悲しい結末を迎えるってわかってるのに、かりそめの幸せを夢見てしまうのは、悲しいことじゃないのかな」

「あー……」


 難しい話だな、とぼんやり思った。俺は良い夢を見られたら嬉しいなーくらいの楽観的な人間だから、悲しいことなんて思ったことはなかったけど。でも、確かにエミリの考え方も納得は出来る。


 とにかく、適当な相槌や返事はすべきじゃないってことだけはわかった。でも、考えてもどう返せばいいのかわからない。エミリが何を思ってこんなことを話してきたのかがわからなくて、俺はただ黙り込んでいた。

 

「……ごめんね。変なこと言ったよね」


 やがて、エミリがそう笑った。哀しげなその微笑に俺はハッとする。


「いや、全然――」

「もう帰ろっか。ふふ、アイス美味しかったな」


 エミリが立ち上がった。スカートについた砂を払ってから、俺を見下ろす。


「陽翔。行こう?」

「あ、うん……」


 答えられないまま、俺は立ち上がった。エミリは相変わらず笑ったまま。そして、その日の夜にエミリは俺の前から姿を消した。


 今になって思う。俺があの時何か答えられていたら、エミリはいなくなったりしなかったんじゃないか、と。





 食べ物が焼けるいい匂いで、俺は目を覚ました。木の天井。体を起こすと、今自分がどこかの小屋のような場所にいることがわかった。

 ここ、どこだ? 俺は確か、屋上から飛び降りて……。


「~~~~~~~~~」


 そこで、誰かの声が聞こえた。部屋の奥からおじいさんが出てきて、こちらへ歩いてくるところだった。そのおじいさんはにこやかに笑って、俺の方に手を振ってくる。


「……ッ!!」


 しかし、俺はベッドの上で後ずさっていた。すぐに背中が壁にぶつかる。自分でも驚くくらいビビっている。


「~~~~~~~~~~」


 何を言っているのか、わからない。異国語を話しながら、紫色の肌をした老人が、俺に歩み寄ってくる。


 ここはどこだ? 確か、俺は屋上から飛び降りて……。じゃあここは死後の世界? いや、そんなまさか。


 ほとんどパニックに陥った俺は、ベッドの上で土下座した。


「ちょっ、やめ、ごめんなさい。面倒見てもらってすいませんでした。俺もうすぐ出てくんで、勘弁してくださいっ」


 そこで、ぴたりと老人が動くのをやめた。目を見開いて俺を見つめている。今のうちにここを出よう。何か悪いことが起きる前に……!


 俺がそろそろとベッドを抜け出したところで、


「待て」


 老人が、喋った。今度は理解できた。俺は恐る恐る老人を振り返る。


「日本語……?」

「君はどこから来た?」


 さっきまでの笑顔と違って、今はとても真剣な顔をしている。敵意はなさそうだ。……よくよく思い返してみれば、今までこの人は危害を加えるそぶりを見せなかった。俺が、勝手に怯えていただけで。


 俺は意を決しておじいさんに向き直ると、「日本の境高校です」と答えた。


「幼馴染が消えて……その子を追いかけて、屋上から飛び降りて、気づいたらここにいました」

「ふむ……」

「あの、ここはどこですか?」


 俺が聞くと、おじいさんは手を突き出してきた。大きな皺だらけの手だ。


「その前に、私から贈り物をしよう」

「お、贈り物?」


 贈り物ってなんだ。

 思わず身構える俺の前で、老人は何かをぶつぶつと唱え始める。その言葉も、当然聞き取ることが出来ない。


 今のうちに逃げるか。そんな考えが頭をよぎったが、頭を振って振り払う。このおじいさんは、きっと俺に対して誠実だ。人を見る目はあると思っている。信じよう。この人のことを。


 やがて、おじいさんが口をつぐんだ。それから柔らかく微笑んで、「どうだい?」と聞いてくる。


「私の話がわかるかな。言葉は通じているかい?」

「あ、ああ。それはもちろん……」

「良かった。成功したようだね」


 おじいさんはほっとしたように胸をなでおろした。それから小屋のドアを開け、俺に外を見るよう促す。

 ドアの向こう。そこには、どこを見ても木・木・木の森が広がっていた。俺は額を押さえる。


「おかしいな。俺、学校の屋上から飛び降りたはずなんだけど……」

「混乱するのも無理はない。ここは、君がいた世界とは違う世界だからね」

「……マジか」


 いや、何となく想像はついてた。うちの学校にはこんな小屋はないし、森もない。何より俺が無傷なのがおかしい。とりあえず死後の世界とかじゃなさそうだ。


「どういうことなのか、説明してもらえると助かります」

「ああ。私もそうしようと……」


 そのとき、ピシッと乾いた音が聞こえた。音のした方を振り向くと、棚の上の水晶玉を見つけた。綺麗な紫色の水晶玉に、亀裂が走っている。

 それを見たおじいさんの眉間に皺が寄った。


「これはまずい。少年、今すぐここを出なさい。ここを出ると、一際背の高い木が見える。その木の方向へ向かっていけば、日が暮れるまでには村に着くだろう。そこでしばらく過ごすといい」

「は、はいっ」


 その間にも、水晶玉にはヒビが入り続けている。俺は戸惑いながらも、すぐに小屋の外へ飛び出した。


「村へ着いたら、協力を仰いで城下町へ向かいなさい。魔法をかけたから、今なら言葉も通じるだろう。城下町へ向かって、それでもやはり幼馴染を助けたいという気持ちがあるのなら、またここへ戻ってきてほしい。少年――」

「陽翔!」


 俺は咄嗟に叫んだ。おじいさんは一瞬驚いたようだったけど、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。


「陽翔、どうか頑張って」

「はい! 頑張ります!」


 元気よく返事をした。気になることや突っ込みどころは盛りだくさんだけど、今はそんなこと気にしている場合じゃなさそうだ、ということくらいわかる。


 辺りを見回す。見つけた。一番背が高い木!


 地面を蹴り、その木へ向かって走り出す。背中の方から、パリンと何かが砕ける音が聞こえたけど、何となく振り返っている余裕なんてないような気がした。


 俺はひたすら、背の高い木に向かって走り続けた。

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