幼馴染を追いかけて、俺は異世界に飛び降りる
@amaneiro
プロローグ
「昨日、エミリが亡くなった」
ギリギリで滑り込んだ朝のホームルーム。そこで担任の教師から告げられたのは、幼馴染の訃報だった。
今朝は、いつも通り七時にセットしたアラームで飛び起きた。母さんが用意してくれていたコップ一杯の牛乳を飲み干して、トーストにかじりついて、慌てて制服を着て、寝癖もいつもと同じように跳ねていて。
とにかく幼馴染が待っているからと、遅刻しないように支度を急いだ。
俺と幼馴染のエミリは、家が隣で、昔からずっと一緒だった。俺とエミリ、どちらかの負担にならないように、お互いの家のちょうど真ん中で待ち合わせする。それが小学生の頃から高校生になった今まで、決して破られることのなかったルール。
いつも通り俺は一分遅れで家を出て、玄関のステップを飛び降りた。
「おはよう!」
いつも通りじゃなかったのは、そこからだった。
いつもだったらいるはずのそこに、エミリはいなかった。俺が遅刻することは数えきれないほどあったけど、エミリが遅刻するのは初めてだった。
「エミリが遅れるなんて珍しいな」
一体、エミリはどんな様子で家から出てくるんだろう。そう考えてみると、彼女を待つ時間がどこか楽しくなった。
ボサボサの髪で出てきたりするかな。いや、身だしなみはちゃんとしてそうだ。申し訳なさそうにドアから顔を出すエミリを想像してみる。ちょっとからかうのも楽しいかもしれない。
そう思っていたのに、何十分経っても、幼馴染は姿を見せなかった。電話もしたしメールもしたし、玄関のインターホンも連打した。それなのにエミリは出てこなくて、遅刻しそうな時間になって、結局彼女を待たないまま走って学校に向かった。
そうして滑り込んだ朝のホームルームで、俺は彼女の死を知った。
こんなのって、ありかよ。
力が抜けてしまって、俺はリュックも下ろさないまま椅子に座り込んだ。教卓の前に立った担任は、俯いて途切れがちに話す。
「昨夜、この学校の屋上から落ちて……。何も理由はわかっていない。本当に急なことで、先生たちも何が起こったのかわかっていないし、そもそも、本当に起こったのかも信じられないくらいだ……!」
教室が、押し殺すようなすすり泣きで満ちていく。俺は何も考えることが出来ないまま、体を動かすことも、涙を流すことも出来ないまま、呆然と担任の話を聞いていた。
エミリが死んだ? 昨日? なんで? 他殺? 自殺? エミリは恨まれるような人間じゃないし、明るい子だ。なんで、どうして、こんなことが。
「おい、ハル。ハル!」
俺を呼ぶ声が聞こえて、現実に引き戻された。前の席のタクがこちらを振り返り、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「次、移動教室だぞ。大丈夫か……って、大丈夫じゃないよな」
タクは力なく笑った。気づけば俺たち二人以外誰もいなくなった教室に、始業を告げるチャイムが空しく響く。
「あ、一限始まった。……焦らなくていいからな。こんな時だ。遅れたって、誰も何も言えねえよ」
ゆっくり行こうぜ、とタクは言った。俺は頷いて、ようやくリュックを下ろした。
体が錆びついたように動かしづらくて、俺とタクは授業中の学校をゆっくりと歩いた。生徒たちの笑い声が、遠くに聞こえる。
「信じられねえよな。エミリが死んだなんて」
「……ん」
「ハル、大丈夫か? 体調悪かったら保健室行くか、家に帰るかしろよ」
「あはは、うん。そうだな」
確かにそれがいいかもしれない。このまま学校で授業を受けたって、集中できる気がしない。渡り廊下から、外へ視線を移す。
職員室の前にはプランターがいくつか並んでいて、園芸部が育てている花がまばらに咲いている。音楽室から歌声が、グラウンドからランニングの掛け声が聞こえてくる。
いつも通りの学校風景。いつもと何も変わらない。ただ、ここに彼女がいないだけだ。
「……いつも通り?」
気が付けば、足を止めていた。数歩先を歩いてから、タクがこちらを振り返る。
「どうした?」
「いつも通りなはず、あるか?」
生徒が一人、学校で死んだんだ。自殺か他殺かもわかっていない。それなのに、俺たちの周りは何も変わっていない。普通、警察が来たり、先生ももっと慌てたりするんじゃないのか? こんなにも何も変わらないものなのか?
彼女の死は、周りには何の影響も及ぼしていない。まだ彼女が死んでから一日も経っていないのに、こんなに無関心なことってあるか?
「あってたまるか!」
俺は吐き捨てるように叫ぶ。
まるで、エミリの存在が消えてしまったかのような錯覚を覚えた。実際にはそんなことはない。クラスメイト達だって悲しんでいたし、目の前のタクだってエミリのことを覚えている。それなのに、そんな馬鹿げた恐怖は纏わりつく。
突然叫んだ俺に、タクは顔をひきつらせた。
「は、ハル。やっぱ保健室行こう。お前無理してるよ」
「……急に叫んだりして、ごめん。でも俺行かないと」
「どこに!?」
「エミリの死を確認しに行く。どこでエミリが死んだのか見に行く。じゃないと、納得できない」
俺はその場に教科書を落とした。渡り廊下の外へ飛び出す。
「先生には遅れるって言っといて!」
それだけタクに伝えて、俺は上履きでコンクリを蹴った。
職員室には、グラウンド側にも入り口がある。俺はそこのドアを思い切り開けた。
「すいません!」
授業中に外から乗り込んできた生徒に、職員室中の教師の目が一斉に向けられた。一番近くにいたおばさんが、俺に声をかけてくる。
「どうしたの? 今は授業中よね?」
「昨夜亡くなったエミリさんのクラスメイトです。誰がエミリさんを見つけたんですか。エミリは、どこで見つけられたんですか!?」
俺はまくしたてた。俺の前のおばさん先生は、困ったように後ろを振り返る。職員室がざわめきだす。
一番に学校に来た人だったよな。どなたでしたっけ。少なくとも、今ここにいる先生ではないよね。
その会話を聞いていて、ぞっとした。エミリがどこで死んでいたのか、誰も知らないのだ。それどころかエミリの姿すら見ていない。
「じゃあ、警察は!? 警察は来たんですか!?」
「え、えぇ? 警察なんて来ていないけど……」
「生徒が死んでいたのに!? 理由も何もわかっていないのに!? じゃあ、エミリの体はどこへ行ったんですか!」
「そんなこと、私たちには……」
おかしいだろ。どうして、勤務校で死んだ生徒のことを、誰も知らないんだ。どうして、誰も……!
俺は戸惑っている教師たちに背を向け、何も言わずに職員室の外に飛び出した。
担任の話によれば、エミリは屋上から落下したとの話だった。それなら、校舎の周囲を確認していけば、痕跡くらい見つかるはずだ。彼女の命が尽きた場所に辿り着くはずだ。
そう思って、俺は職員室から隣の棟に向かって走り出した。それなのに、一度も足を止めることなく、校内を一周してまた職員室の前に戻ってきていた。俺は呆然としながら、地面を見つめる。
どこにもなかった。今朝エミリが見つかったのなら、少しの痕跡は、残っていると思ったのに。残っていないはずがない。残っていないはずがない。
俺はポケットからスマホを出し、エミリの家に電話をした。『お掛けになった電話番号は、現在使われておりません……』。スマホから流れる無機質なアナウンスに、俺はゆっくりとスマホを持った手を下ろす。
こんなの、本当にエミリが消えてしまったみたいじゃないか。どうして、こんな……。
「あの」
不意に、声をかけられた。立ち尽くしていた俺は、少しだけ遅れて反応する。
「はい?」
振り向くと、そこには体操服姿の少女が立っていた。体操服ということは、体育の授業を抜け出してここにいるのだろうか。日に焼けた肌からは活発そうな印象を受けるが、顔色は優れていないように見える。
少女は思いつめたように俯きながら言った。
「昨日屋上から飛び降りて、亡くなった人のことを調べてるんですよね。さっき聞こえてきて……」
「!」
ようやく、俺以外にエミリの死の真相に踏み込む存在が現れた。思わず少女に「何か知ってるのか!?」と詰め寄る。
少女は俯いたまま頷いた。
「実は、私見たんです。昨日の塾の帰り……あ、私の家がここの近くで、たまたま通りかかったんですけど」
少女は強く手を握ると、勢いよく顔を上げた。
「そのときに、屋上から飛び降りる人影を見たんです。暗かったし見間違いかもしれないって思ったんですけど、今朝来てみたらやっぱりそうみたいで……でも」
「でも?」
「……落ちたようには、見えませんでした」
は、と小さく声が零れた。少女は胸の内にあるものをすべて吐き出すように言う。
「信じられないかもしれませんけど……っ。でも、私の目には、その人影は宙で消えたように見えたんです……!」
少女と別れた俺は、屋上に来ていた。屋上のドアの鍵は、何者かによって壊されていたので、簡単に侵入することが出来た。
青空が視界いっぱいに広がっている。幼馴染が死んだなんてことがなければ、気持ちのいい日になっていたことだろう。
俺は空気を肺いっぱいに吸い込んで、屋上のフェンスへと歩み寄った。
「ここから、エミリは飛び降りたのか」
今俺が置かれているのは、どう考えたって異常な状況だ。誰もエミリの死の真相を知らず、そのことに違和感も覚えない。学校の人間だけじゃない。普段家にいるはずのエミリの親だって、インターホンや電話に応えなかった。
――エミリは、俺にとって大切な存在だ。
あの少女は、エミリが消えたと言った。つまり、エミリが死んだところを、誰も見てはいないことになる。エミリの死を証明する証拠は何もない。
ということは、エミリはまだ死んでいない。どこかへ姿を眩ませただけで、まだ生きている。そう考えることも出来るんじゃないか。
自分でも笑ってしまうくらい無茶苦茶な理論だ。でも、そんな馬鹿げた想像を信じてしまえるくらいには、俺はエミリに会いたかった。彼女の名前を呼んで、振り向くその笑顔が見たかった。
俺はフェンスに足をかけた。思っていたより低い。これなら、エミリの背でも乗り越えるのは簡単だろう。
ここから飛び降りたら、エミリと同じところへ行けるだろうか。
俺はフェンスの上に立つと、一つ息を吸って、彼女の元へと飛び降りた。もう一度君に会えることを強く願って。
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