第6話
【片付ける】
こんまり、断捨離、ミニマリストなどなど、片付けることが認知されてしばらく経つ。家の中にあるものを全部出したら、きっと学校の体育館でも借りてこないと見渡せないだろう量がある自信はあるが、片付けの観点から行くとゴミ屋敷確定だ。私物は年単位で減らしたにも関わらず、じわじわとリバウンドしている現状を考えると、片付けとは一筋縄ではいかない。とすると、片付けるとはどういうことなのだろうか。私は、曖昧や迷いを認識し手離す行為だと思っている。。
物を減らすこととは、過去に手に入れた物を自分から離すことだ。過去、何かを望んで手に入れたもので、今もこれからも有意義に活用されていない物をこれ以上所有しないと決めることだ。言い換えたら過去の執着、所有の執着を認識して、不要になったと改めて理解する。不要な過去を手放すことで、今と未来を見ることができるようになる。
心理的に人間関係を手放す手段でもある。機会に応じて友人などから頂いたものは、物の後ろに人間が付いている。自分が物を捨てたいと思い始めてからは、こちらからの贈答品は消え物一択で選んできたが、頂くもにはそうはいかない。良い感じの物を頂いたのにライフスタイルに合わず使いそびれてしまったり、飾って楽しむ物も場所を与えてあげないと埋もれてしまう。交流のある相手なら良いが、薄れてしまった相手からのものもキチンと持ち続けることは重荷になる。手離すことで後ろにある人間とも心理的に離れられそうな気がするのは私だけか?
エッセンシャル思考と近い感覚があるが、何をするか選択肢を絞っていくことでエネルギーを集中させること、片付けるとは具体的に選択することなのかと思う。全ては手に入らないと思って物の山を見ると、これからの時間で関わっていけるものは少ない。日用品、洋服は消耗品なので手離すことは簡単だが、趣味のものは検討すらできない。なぜなら、これは私にとって未来への期待だからだ。でも、これからキチンと関わって使っていけるかという覚悟が問われる。過去ではなく、未来の自分を問うてくる。迷っているが迷わないといけない。迷っている間は片付かないが、迷わないとリバウンドする。でも、決めることまでできたらその方向で生きていける気がする。
片付けるのは、大変だ。余計な物を手放すプロセスの中で決断し続けなければならない。今まで生きてきた自分と自分の価値観で自分の未来を決める。未来を決めて、決めたルートを生きると決めるのだ。物を片付けるということは、自分の迷いを片付ける行為なだろう。
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