ゴーストメイドは眠れない

佐島 紡

第1話 振り向けば山椒

 ゴーストメイドは眠れない


 若干低くなった天井を仰ぎ、その後逆に高くなった廊下を見下ろしスワンは静かに途方に暮れた。瞬きしていたら突きつけられた、受け入れがたい現実にどう手を付けたらよいのか皆目見当もつかないのだ。状況を整理しようとして記憶を辿ろうと試みるも、あまりに頓珍漢な有様に呆れを通り越して失笑が漏れる。とりあえずこじつけようと思考を巡らせ、全て主様の企みだということで飲み込むことにした。そう、これはあの変わり者の主様のまたよく分からない計らいなのだ。そうとしか考えられない。忙しい他のメイドを使うわけには行かず、度々私を実験台にいろいろとしでかしていた主様だが、今度は何をしでかしたのか。

 そう考えたスワンは自分でも驚くほどに落ち着いたが、代わりに滾るような怒りが沸々と腹の底から競り上がってきた。体の芯に刻まれた、穏やかな笑みだけは何とか崩れなかったものの、その顔も若干のこわばりが見え、考えなしに触れてしまったら爆発してしまいかねない雰囲気が漂っている。

 もし仮に主様が張本人でなかったとしても自分の身の状況を小一時間ほど問い詰めたく思い、主が住む部屋に向かおうとした矢先、廊下の先に多くの従者やメイドに囲まれて歩いてくる主様の姿が見えた。顔を下に向けており、その表情は読み取ることが出来ない。周りが必死で明るくしようと努めているのを見る限り、何やら気落ちしているようだ。

 だが今の私には関係ない。それよりもこの状況を聞く方が先決だろう。

「ちょっと、主様」

 まっすぐ向かってきた主様の道を防ぐように仁王立ちしたスワンは、いつも以上に冷たく、固い調子で声をかけた。いくら気持ちが沈んでいるとはいえ、ここで思いやるわけには行けない。今回ばかりは悪趣味が過ぎる。いつもなあなあで済ませていた分、今回ばかりはしっかりとお灸を据えてやらねば。

「あの、今の私なのですが……」

 予想通り張本人が主様だった場合、狼ですらもひっくり返るような剣幕で叱りつけてやろうと思っていたスワンだったが、全く足を緩めずに近づく主とメイドたちに流石にたじろぐ。声をかけても顔すら上げない彼らに急な疎外感と不安を覚え、主の肩をゆすろうとすると、認めたくなかった現実に嫌でも向き合わせられることとなった。スワンの手は両方とも見事に主の体を貫通し、構わず歩を進める主はさも当然のようにスワンの体を通過していく。

 思わずスワンの口から小さな悲鳴が漏れ、主たちから距離を置こうとしたものの、意志に反して足は全く動こうとはしなかった。つっかえがなくなったように軽く動く上半身とは打って変わって下半身は麻痺したかのように感覚がなく、体制を崩したスワンはその場でぐるりと宙を一回転する羽目になった。その際奥の部屋に消えていく主の姿を視界に捉え、「主様!」と呼びかけるも、スワンの声は決して主に届くことはなく、主の後に続いたメイドたちと共に扉はぱたりと閉じられた。

 早々に裏切られた予想が嫌でも現実を認めさせる。そもそも現実なのかというところに念入りに調査が必要だとは思うが、スワンはこの世界が漠然と現実なのだろうなと感じていた。

 スワンの脳裏に強く焼きついたワンシーン。棚の上から降り注ぐ恐ろしいほどに分厚い蔵書の数々。赤く染まった視界。力入らず倒れた私。重くなる瞼。

 ーー暗闇

 思い出すだけで身震いがする。傷はないはずなのに蔵書でぶつけた頭が疼いた気がした。

 これからどうなるのだろう。結局戻ってきた思考にどうけじめをつけたらいいのか全くわからず、知恵熱か何かでぼうっとしてきた頭をひとまず休めようと寝室に足を運ぶことにする。

 が、やはり足は全く意思に応えようとせずに、スワンはまたも宙をゴロリと一回転。寒々しい(寒さは感じないが)廊下に取り残されたスワンはもううんざりして、ついにどこにぶつけたらいいのかわからない不安やら疑問やらをないまぜにした怒りを吐き出すことになった。そうだ、まだこれが足りていなかった。これを言わねばいつまで経っても状況を受け入れることもできず、ずっと突っ立ったまま無駄な時間を過ごすことになる。例え物は触れず、声も届かない不便な体だったとしても、何もかも放り出すにはまだまだ早いのだ。

 聞き及んだ話によるとこの体になる理由は、何か未練があるのだとか。

 もしかしたらもう一度元の体に戻ることができるのかもしれない。

 さまざまな言葉で自分を上げに上げながら、スワンは深く息を吐き、そして吸う。胸は膨らみもへこみもしていないので恐らくこの行動に意味が全くないのだが、気持ちとしてはだいぶん違うものがある。

 全ての理不尽を喉に託して、スワンはある限りの声で、叫ぶ。

「はああああああああああああ!!!!????」

 声量だけを見れば屋敷中に響き渡る絶叫以上の絶叫。思った以上に声が出たが、主人様の館、そして深夜ではあるが、なに、一とつたりとも問題はない。

 なぜなら、スワンは幽霊というものであるからだ。

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