第41話

 二つの感情が入り混じりながら、剛昌が泯に声をかける。


「泯……」

「はい?」

「その、なんだ……」

「ん?」


 剛昌は口元に拳を当てて言いあぐねている。

 申し訳ない気持ちと感謝の意を伝えようとするが、言葉がなかなか出てこない。


 話し出さない兄に耐えかねて、

「どうしたのですか?」

 と、泯は自分から聞き返した。


「うむ……。その、あれだな……。私はどうやら不器用らしい……」


 ゴホンと咳払いしながら、ようやく剛昌は言葉を口にしたものの。


「ふふっ……あはっ……」


 剛昌の悩んだ末に飛び出た言葉に、泯は声を出して笑っていた。


「そんなにおかしいか?」

「ふふっ……いえ、すみません。ただ、そんなこと皆知っていますよ」

「なに……?」


 笑い続ける泯を剛昌は睨みつける。


「兄様が、本当は根が優しい人だと……、兵士も大臣も重々承知です」

「なっ……」

「だが私は……」


 泯は涙を拭きながら笑顔で剛昌に話しかける。


「だからこそ、兄様は皆から慕われているのです」

「……っ」


 泯の言葉に、剛昌が喉を詰まらせた。


「ゴホッゴホッ…………直接、私に言ってくれればいいものを……質の悪い奴らだ」

「言っても素直に喜ばないでしょう?」

「…………」


 剛昌は少しの間、機嫌悪そうに、来客用の椅子へ腰かける。

 泯が兄の様子に笑みを零しながら、風に揺れる髪をそっと指で掬い取る。


 髪が乾いたことに気が付き、そのまま顔を布で覆う。

 普段の恰好へと着替えが終わった泯に、


「泯よ」


 剛昌は諦めに似た表情を一瞬だけ浮かべた後、真剣な顔つきで泯へと声をかけた。

 泯は剛昌を見返す。


「はい」

「……黒百合村の一件、大儀であった」

「はい……」


 泯は姿勢を正して剛昌の言葉を頂戴した。しかし、込み上げてくるものに耐えられず、泯は再び笑い出した。

 泯の様子に剛昌は困惑した面持ちで問いかける。


「何かおかしかったか?」

「……いや、その、本当に兄様は不器用だなと」


 話の流れから感謝を述べるまでの間、剛昌は色々なことを考えていた。

 だが、起承転結の「起」と「結」しか伝えない剛昌の言葉に、泯は涙を流して笑っていた。


 泯の態度に怒ったのか、剛昌は少しだけ眉をひそめて首を横に振る。


「ふん……」

「ふふっ、すみません」

「謝罪する者の態度ではないぞ」


 横目で睨む剛昌とは逆に、泯は微笑みながら「そうですね」と返事をした。


 剛昌の妹である泯はある程度、兄の考えていることは分かっている。本気で怒らず、注意するほどの優しい怒り方。口調は強いけれど、そこには剛昌なりの温もりがある。


「ゴホン……まあいい。それよりも席を変わってくれ。ここはどうも落ち着かん……」

「はい」


 剛昌は自分の椅子へと場所を移り、泯もいつも通りの位置に自然と身体が動いていた。


 双方が定位置へと戻った後、剛昌は手記の内容に再び目を通して、黒百合村のことを考えた。

 剛昌が真剣な表情で手記を見つめる。


「それにしても……」


 机に肘をついて考える剛昌……。

 空気が変わったことを感じて、泯も忍びとしての顔へと切り替える。


「どうしたのですか?」


 一人で考察している剛昌に、泯はその内容を尋ねた。


「これで本当に終わったのだろうか、とな……」

「どういうことですか?」

「手記に残された言葉を手掛かりに黒百合村を破壊したものの……」


 剛昌はそこで言葉を切った。目のやり場を変えながら次に発する言葉を探しているようだった。


「もし……]


 剛昌の口がゆっくり開いた。


「はい」

「もしも、飢饉で苦しんでいった民たち全員の恨みで春桜様が死んだのなら、息子である春栄様も危ないかもしれない……」

「それは……」


 泯は否定しようとした。だが、春桜の手記を見てしまったせいで、剛昌に返す言葉は浮かばない。


 信じがたいけれど、民に呪われて死んだのは、手記を読めば一目瞭然……。


 飢饉によって死んだ者たち。その供養の出来なかった者たちの怨念なら、黒百合村だけで済まされる話ではない。


 国中に散らばった思念、怨念が、まだ存在する。


 つまり、悪夢の根源は黒百合村だけではないかもしれないという可能性――――


 剛昌と泯が互いに考えることは同じだった。

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