第40話

 机の上には見慣れない手記が置かれていた。それが剛昌の物ではないことは側近である泯にはすぐに分かった。


 誰かの忘れ物なのかと、泯は机に置かれたその手記を手に取る。

 開いてみると、中には血の付いた箇所もあるようだった。


「……」


 紙をめくる度に、誰の手記なのかが段々と浮かび上がる。泯は次々と視界に映る内容を目に焼き付けていた。

 春桜が亡くなる前の手記の内容……。


「まさかこれは……」


 前国王である春桜の手記。泯は自然に次々とめくっていく。

 そして、最後のページに書かれた文字――――――


「山……黒百合……それで…………」


 泯は全てを理解した。


 なぜ兄が悪夢という疑わしいものの調査を始めたのか。なぜ黒百合村を調べていたのか。なぜ様子がいつもと違ったのか。そして、なぜ壊滅するまでに至ったのか。

 泯は任務前の兄との会話を思い出した。


 ――――これは不安要素だから消すという一方的な殺し。


「そういうことだったんですね……」


 泯は手記を閉じ、胸元で大事そうに包みこむ。


「――――――泯……」

「っ!」


 集中していたせいか、泯は扉を開けていた剛昌の気配に気が付けなかった。


「っ…………」


 剛昌は泯が持っている手記を見て、片手で頭をかく。


 泯は咄嗟に手記を机の上へと戻し、

「あに……剛昌様、勝手に見てしまい申し訳ありません……」

 と、膝をついて謝罪する泯。


 剛昌は片手で顔を覆いながら苦悶の表情を浮かべていた。


「……いや、置いたままにしていた私が悪かった……お前は悪くない」


 剛昌は春栄や大臣たちと会議をしていた。その間に誰かが部屋に入ってくることはないだろうと思っていた。しかし、自分の部屋へ入る者がもう一人居ることに慣れてしまっていた。


 一人で背負うはずの責任……、それを妹である泯に知られてしまったことに、剛昌は後悔の念を抱いた。


 どうするべきかと剛昌は悩んでいるが、泯の方は腑に落ちた分、表情はスッキリしていた。


「勝手に見たことは申し訳ありません。ですが、おかげで理解できました」


 まっすぐ剛昌を見つめる泯の言葉に、一切の迷いはなかった。

 剛昌は泯と向かい合うように椅子に座ると深くため息を吐きだした。


「お前には、昔から背負わせてばかりだな……」


 傷も、戦も、人殺しも……、唯一の肉親である妹に背負わせてしまう自分に、剛昌は嫌気がさす。


 大切なものを守ろうとすればするほどに、それはすぐに壊れていく……。

 そんな想いもあり、剛昌はあまり周囲と仲良くしなかった。けれど、剛昌の中身を知る者たち、兵士たちは多い。


 だからこそ、こうして大臣の一翼を担っている。

 それは妹であり部下である泯も同じ。


「兄様は……、兄様は今まで私を背負ってきてくれたではありませんか」

「それは違う、お前の本来の強さがあったからこそだ」

「いいえ、育ててもらった私が言うのですから間違いありません」


 泯は口調を強めて剛昌へと答える。しかし、剛昌が過去を振り返っても、そんな思い出は一欠片もなかった。


 大きな決断の際、部下として、弟子として、妹として、そこにはずっと泯が傍に居た。

 剛昌は糸が切れたように呟く。


「今まで、背負ってもらっていたのは私なのかもしれないな……」

「なにを仰るのですか!」


 剛昌の言葉に泯が強い口調で否定するが、剛昌は「まあ、待て」と、片手でその勢いを止めてみせた。


「賊との一件がなければ私はこの地位を手にすることはなかった。それに、大臣になってから、相談事はほとんどお前にしていた。昔から、私は悩むたびにお前を頼っていた」

「それとこれとは話が違います!」

「いや、同じだ」

「違います!」


 強気な姿勢を崩さない泯に剛昌は笑う。


「ふっ……お前も相変わらず強情なやつだな」

「剛昌様の部下であり、兄妹ですからね」


 泯の不機嫌そうな態度……。


「ふっ……」


 剛昌は少しの間目を瞑って黙った。


 笑みを消して腕を組み、眉間にシワを寄せながら、上を向いたり下を向いたりと。悩んでいるようだ。


 一人で終わらせるはずだった春桜の件……。


 その内容を知る者が現れたことに、剛昌は知らないうちに安堵していた。背負うはずだった重荷が誰かが知ることで半分になった。ただ、それはありがたい反面、とてつもなく申し訳なかった。

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