第39話

「……泯様?」


 のどかなあぜ道を歩いている途中、泣いていた兵士が具合の悪そうな顔を泯に向けて話しかけた。


 隣で歩いている兵士が「またか……」と言いたげな表情をしている。


「どうしましたか?」

「私もそのうち慣れるのでしょうか……?」

「そうですね……いつかは慣れると思います」


 泯はそのまま「ただ……」と口にして――――――


「あなたが慣れないうちに、この世界が平和になることを祈りましょう」

 と、泯は前を向いて歩きながら答えた。


「そうなればいいですが……そのような日が訪れるのでしょうか……」

「そのための礎に、私たちがいるのですよ」

「そのための礎?」

「ええ。死んでいった者たちのため、これからを生きていく者たちのために、私たちが生きて平和の道を作っていくのです。そのための礎になることは、私にとって誇りなのです」

「っ……」


 兵士にとって、話している泯の後ろ姿は寛大で逞しく思えた。

 兵士は泯の言葉に感銘を受け、そして、背筋を伸ばして泯の言葉に気持ちを込めた返事をする。


「……お、俺も平和の道を作っていけるように精進します!」

「ふふっ、よろしくお願いします。さあ、日が天辺に昇り切る前に早く帰りましょう」


 そうして四人が王城に着く頃……。

 黒百合村の壊滅の件は、その日のうちに町まで広がりを見せていた。





 黒百合村の任務が終わったあと、王城に着いた泯は兵士と別れ、剛昌の部屋へと向かっていく。

 剛昌が居ないことを確認してから、泯は服を脱いだ。


「偉そうなことを言ったけれど、やはり人を殺すのは慣れないな……」


 泯は一人で悲しみに浸りながら、血生臭い身体を桶に移した水で何度も洗い流した。


 泯は他の兵士とは違い、剛昌の部屋で体を洗う。


 これも「剛昌の女」だと噂された原因であった。だが、泯はとにかく周囲の人間に、自分の顔を見られることを拒み続けている。


 そのため、剛昌の部屋というのは、泯にとっても居心地のよい場所となっていた。


 剛昌以外に素性が割れないよう注意して生活を続けてきた泯。

 また剛昌も気を遣い、泯が水を浴びる時は部屋を出て行くようにしていた。


「…………」


 頭から浴びた水が、肩下まで伸びている白い綺麗な髪に降りかかる。泯の細い身体に、濡れた髪が張り付いていく。


 十年前の賊との事件以来、泯の髪は過度な精神的苦痛のせいで白く染まってしまった。今では黒髪は一本も生えず、白い髪が綺麗に並んでいる。


 それは老婆のようだが、光に反射するとキラキラと輝いた。


 兵士たちの間では、顔は見えなくとも「剛昌の側近」という肩書きに加え、強さも優しさも兼ね備えた「白き女神」として人気であった。

 だが、当の本人にそのことを言える兵士は一人も居ない。


 泯は自分の髪をそっと掴み、毛先を視界に入るように前へと持っていく。


「お婆さんみたい……」


 ぼそりと心の声がこぼれた。


 周囲の反応はどうであれ、泯自身は人とは違う髪色を好いてはいなかった。二十代半ばになる彼女にとって、年齢の近い女性を町で見かける度に、自分の髪のことを気にしてしまっていた。


 女としてよりも兵士・忍びとしての人生の方が長くなる泯。それでも、頭の片隅を過ぎっていく極僅かなこの嫉妬のような、己への蔑みのような感情は、女性としての性なのだろう。


「よし……」


 水浴びを終えた泯は身体を拭いて新しい黒装束に身を包んだ。


「…………」


 まだ濡れている髪を乾かすため、窓際に座って外を眺める。


 黒い衣服に身を包み、白い髪が風になびく。その横顔はとても美しく、一枚の絵のようだった。

 心地良い風がすっと、部屋の中へと流れ込む。


「……」


 泯は部屋の窓から下に位置する兵舎へと顔を向けた。

 思い出すのは、昨日の、震えていた兵士。


 初めて人を殺めたあの兵士は大丈夫だろうかと、泯は真夜中の出来事を少しだけ思い返す。


 自分が殺した男と女は苦しんだだろうか……。


 あの老婆は苦しまずに済んだのだろうか……。


 他の者たちは楽に死ねたのだろうか……。


 頭の中が様々な想いで混ざり合っていく……。

 色々な感情がふっと浮いては深く沈んでいく。暗くて不透明な、大きい塊が泯の心にゆっくりとのしかかっていく。


 泯は目を伏せると不敵に笑った。


「天国には、行けそうにないな……」


 己の過去を振り返りながら青く澄んだ空を眺める。ため息が自然と漏れる。それと共に、心が重くなっていく。


「……」


 考えても仕方のない現実から目を背けるように、泯は部屋の中、手前に見える剛昌の机の上へと視線を動かした。


「うん?」

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