第37話
泯は二人に謝罪を述べた後、家の中に油を撒いて家屋に火を放った。
静かに燃え広がっていく炎には、死者たちの叫び声が含まれているかのような、軋むような甲高い音が混じっていた。
泯は続けてもう一つの家に静かに忍び込んで一人の老婆の命を奪った。
自分の体が血に汚れていく感覚……、身と心にその血が刻み込まれていく……。
兄には強く言ったものの、実際に行動に移すと魂が死神に乗っ取られていくような、気持ちの悪い感覚を覚える泯。
「……」
死んだ夫婦らしき二人の死に際を思い出す。
「くそっ……」
自分の迷いを振り払うために、泯は己の右頬にそっと手を当てた。
これは国のためだと。多くの命を救うための一歩なのだと……。
そして、老婆の家が小さく燃え始めた頃、一つ目の家屋の炎は屋根の上まで広がっていた。
七つほどの炎の塊が黒百合村を明るく染め上げていく。
家を出て村の様子を見渡していた泯の元に、一人の兵士が走り寄る。
「泯様、残る家は二つ、他の兵士がそれぞれ向かっております」
「分かった。そちらの二つは彼らに任せましょう。貴方は周囲を警戒して。もし人が居れば殺しなさい」
「はっ!」
足早に去っていく兵士を見送り、泯は一人、薄っすらと雲に光る月を見た。
「……」
――――――後悔や後戻りをすることはない。将来のために、今できることをする。ただそれだけ…………。
泯は松明を燃やし、黒百合村の周囲を警戒しながら歩いた。
松明よりも明るい家々の炎が、一面に咲く花を鮮やかに映し出している。
「…………」
黒百合の花畑は静かにその身を揺らしていた。
燃え盛る炎と黒百合との、光と闇の境界線の狭間で、泯はただ立ち尽くした。
「消すには惜しい村ですね……」
泯はそう言うと、持っていた松明を黒百合の花畑へと放り捨てた。
消えそうな松明の火を、もう一度大きな炎に変えるために、手元に残していた油を辺り一面に飛散させる。
残り火は勢いを増して炎へと化す。
「……?」
泯の後ろから駆け寄ってくる足音。
振り向くと三人の兵士が揃って泯の元へと走って来ていた。
先程、泯に報告をしていた兵士が前に、二人もそれに倣って後ろで跪いた。
「泯様、全ての村人の処分および家屋の破壊、完了致しました」
「ええ、ありがとう……」
泯の声は小さかった。
心の底から言えない感謝など、本当は言いたくもない。しかし、口にしなければならないもどかしさが、泯の心を腐食していく。
「あ、あの……何故ここも燃えているのですか?」
後ろで並んでいる兵士の一人が、燃え広がる黒百合の花畑を見ながら泯へと問いかけていた。
「これは……」
泯は悲しそうな表情を浮かべていたが、兵士たちには泯の目しか映っていない。
そして、泯はそっと声を発する。
「弔い……ですかね……」
「弔い?」
先程の兵士が聞き返す。
「ええ、村人たちの……」
「しかし、彼らは反逆の罪で殺されたのでは?」
泯の言葉に、一人の兵士が疑問符を浮かべ食らいついた。しかし、泯の前に一人で跪く兵士が後ろをわずかに振り向き、
「おい、口を慎め……」
と、注意を挟む。
「いえ、質問して構いません。聞きたいことがあるなら聞きなさい」
「よろしいのですか?」
正面の兵士が顔を泯に向けて訊ねる。
「ええ、構いません」
「では失礼して……」
兵士が何故、泯の「弔い」という言葉に反応したのか――――――
三人の兵士たちは、今回の黒百合村の壊滅の本当の理由を知らずにいた。
泯が伝えたのは「王への反逆罪」としての任務だということ。「黒百合村の者たちが何かを企んでいるという情報を得た。よって、村人全てを殺害する」という内容のみ。
「泯様、質問してもよろしいですか?」
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