第34話
過去の後悔が、走馬灯のように流れた剛昌。
「兄様……?」
「……いや、なんでもない」
昔の記憶を振り返り、剛昌は泯に向かって静かに語り出す。
「これを覚えているか?」
剛昌は首にかけていた黒い勾玉を泯へと見せた。
それは、昔に泯が兄である剛昌へと手渡したもの。忌々しい記憶の欠片……。
「懐かしいですね……」
「ああ……。これのせいで、お前の顔に傷が付くことになってしまった。だが、それと共に、これを身に着けることで、私は剣術の腕を磨き続けることが出来た。なんとも皮肉な話だ」
「ですが、そのおかげで私も兄様に鍛えてもらうことが出来ました」
「…………」
微笑みながら言う泯の言葉に、剛昌は言葉を返さなかった。いや、返せなかったと言うべきだろうか。
だが、その代わりに剛昌は今までの戦の出来事を簡潔に泯へと語った。
「お前や仲間を守る為に、私は敵となる者を容赦なく斬ってきた。血に染まりながら、殺しては壊し、殺しては壊し続けてきた。敵兵もその家族も、敵領地の農民もすべて……脅威となるものは斬り捨ててきた」
「でも、それは仲間を想ってしたことでしょう」
「……」
泯の言葉に、剛昌は頷いて肯定の意を示した。ただ、その表情は明るいとは言えない。数十人の命であっても重いもの……。それなのに、剛昌が殺してきた数は百を優に超えてしまう。
命を奪ってきたことに関して言うと、剛昌という兵士は、敵からすればその存在自体が悪夢のようなものだったかもしれない。
剛昌は静かに目を閉じて泯の言葉に続く。
「だが、今回の黒百合村は違う。確証のない、不安だから殺すという身勝手な行為だ……」
剛昌は今まで、裏切り者を始末することに躊躇したことはない。敵となるもの、脅威となるものは排除すべきなのだから当然のこと。
だがしかし、今回の黒百合村の調査で確信的な証拠は何も掴めていない。
黒百合村で悪夢の話が持ち上がったというだけで滅ぼすべきなのかどうか……。
剛昌は、自分の信念に反する行いを飲み込めずにいる。
「兄様」
だが、泯の決意は揺るがないものだった。
「仲間のためを想えば、だからこそ、でしょう。疑わしき者は、たとえ自分の民でも消さなければなりません」
「泯よ、滅ぼしてしまえばもう戻れない。誰が悪いわけでもなく、不安要素だから消すという一方的な殺しだ。それも自国の――――――」
「かつて鬼神と呼ばれた人とは思えない発言ですね。その程度の意思で、仲間を助けられると思っているのですか?」
泯は剛昌の言葉を遮り、毅然とした態度で剛昌をまっすぐに見つめる。
兄妹であり師弟でもある泯は、今では剛昌の右腕として常に傍で任務に励んでいた。
顔の傷を負ってから約十年の月日が流れ、腹心の忍びとしての期間はもう五年程にもなる。
「…………」
「兄様、私はもう守られるだけではなく、兄様と同じく、誰かのためにと生きています。たとえ大切な民でも、多くの命が救われる可能性があるならば、それを実行せねばなりません」
「泯……」
剛昌は成長した妹の姿を一瞬だけ視界に入れると、ふっと笑みを浮かべた。
「いつの間にか逞しくなったな……」
「兄様の下で育ったのですから当然です」
泯は真剣な眼差しで剛昌を見つめ続けていた。
「そうか……」
「ええ、そうですとも」
答えた泯の表情は緩んでいた。
優しく微笑む頬には、昔の傷が未だにその痕を残している。
剛昌は泯へと視点を合わせて呟く。
「本当に強くなったな」
小さい頃に見た優しげな兄の顔に泯は懐かしさを感じた。
あまり見せることのない兄の表情に、泯は急に恥ずかしくなり視線を逸らす。
「ただ、今までの道程が険しかっただけですよ」
褒めてくれた兄に対して、泯は少し考えながら自分の意見を述べる。
「うむ……それもそうだな……」
剛昌にとっての今までの道程……数百、いや、千人以上の人間を殺めた人生。
この十数年は振り返れば確かに険しかったのかもしれない。だが、そのおかげでこうして大切な仲間たちや妹を守り続けることが出来ている。
今さら立ち止まったところで、過去を変えることはできない。積み上げてきたものを消すことはできない。
剛昌が深く息を吸い込む。
そして、剛昌は気持ちを切り替え、威厳ある態度で泯へと言葉をかけた。
「泯、お前には苦労ばかりかける」
神妙な面持ちで話す兄に、泯は笑っていた。
「ふふっ、いつもの任務と変わりませんから、心配せずとも大丈夫です」
「……だが、今回ばかりはお前の手を、無実の民の血で染めることになるやもしれん」
「ねえ、兄様……」
「なんだ?」
泯のそっと呟く声に剛昌は問い返す。
「仲間のため、恨まれようと憎まれようと、汚れ仕事は私たちの宿命でしょう?」
「…………ふっ、そうだったな……」
元気なく笑う兄の姿に、泯は馬鹿にしたように笑顔で言い放つ。
「なんだか今の兄様なら私でも勝てそうですね」
「ふっ……、春桜の片腕によく言ってくれる」
剛昌は少しだけ睨んでふざけてみせた。
遠まわしではあるものの、これもまた兄妹の会話。
互いに支え、気遣う。これまでも、これからも。
「少しは元気が出ましたか?」
「まぁ、私が揺らいだままでは、あいつらに顔向けが出来んからな」
剛昌は頭を回して首をパキパキと鳴らす。
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