第33話
「……春桜、何をしているんだ?」
「なにって、早く家に帰りたいのだろう?」
春桜は剛昌へと微笑みかける。
「いや、それはそうだが……」
「大丈夫、そろそろ来る頃だ」
「来る? なにがだ?」
「多分だがな……。まぁ、待て」
仁王立ちで何かを待ち構える春桜に首を傾げる剛昌。
………………。
静かな林の中で耳を澄ましていると、春桜の見つめる方角から馬の足音が……三頭ほどだろうか。だんだんとこちらへと近付いていた。
「さすがは翠雲の部下と言ったところか」
「――――――春桜様、お迎えに参りました」
馬でやってきたのは翠雲が率いる部隊の分隊長である火詠と二人の兵士だった。
剛昌たちが居るのは林の中、まっすぐにこちらへと駆けつけた火詠に、剛昌は素の質問を投げかけた。
「どうしてここが……」
林の道から逸れたここまでは平らな地面だった。しかし、そそり立つ木々は来た道を迷わせるには十分過ぎるほどに乱立している。
しかし、馬の足音は場所を知っていたかのようにこちらへと向かってきた。
「はい、春桜様が旗を切り裂いて目印を付けてくれていたので、」
「旗を……?」
剛昌が春桜へと目を向けると、春桜は何食わぬ顔で胸元からボロボロになった旗を取り出した。
「翠雲の知恵でな、何処に向かったか分かるように目印を、と。翠雲は機転の利く賢い男だ」
「なるほど……翠雲が……」
剛昌が翠雲の考えに感心していると……。
「では、馬は一頭置いていく。少し休んだら帰れ。おい、馬を渡してやれ」
「ハッ!」
兵士が一人、馬から降りて手綱を木に引っかける。兵士が二人で一つの馬に、春桜は火詠の乗る馬の後ろへと跨った。
「春桜、今回の戦の相手は手ごわい……。私もすぐに――――――」
「大丈夫、心配するな。今回の戦、兵の数はほぼ同じ、お前が抜けた所で問題はない」
「……」
「では、また会おう。」
「ああ……」
互いに挨拶を交わし、春桜たちは一足先に隊へと戻っていった。
剛昌は落とした刀を拾い鞘へと納める。
「……泯玲、立てるか?」
無言で頷く妹の手を取る。その手は、まだ恐怖に震えていた……。
妹を傷つけた賊と自分に、果てしない怒りを覚える……。
「……」
剛昌は後悔しながら、馬の手綱を結んでいた紐をほどいていく。
「少し痛むが我慢しろ」
「うっ……!」
傷口を押えている布の上から紐をきゅっと結ぶ。
さすがに泯玲は痛かったのだろう。声に出ない叫びの動きに、
「すまない……」
と剛昌は呟いた。
「馬に乗っている間、手で押さえていると揺れて傷口が開くかもしれん。布と紐で押さえていれば多少は緩和されるだろう」
「…………」
馬に乗りこみ剛昌の後ろでは、その体をぎゅっと抱きしめる泯玲の姿。
剛昌の人生にとって、これが初めての撤退であった。
泯玲はこの出来事によって顔を隠し生きることを決めた。二度とこのような失態が起きないようにと……。
数ヵ月後には、兄である剛昌にお願いをし、泯玲は兵士としての鍛錬を積んでいった。
一方、剛昌はこの出来事で大切な者を傷付ける者を容赦なく殺すことを誓う。
自分の守るべきものを侵す相手への、徹底した攻めの姿勢や進軍は、春桜と共に名を上げ、「武神の春桜」、「鬼神の剛昌」と言われた。
春桜にも匹敵する程の力を持った剛昌が自ら、二番手へと成り下がった理由……。
剛昌は己で理解していたのだ。鬼神と呼ばれるような者ではなく、ただ守るべきもののために戦うだけの、一人の人間だということに。
そう、ただそれだけのことだった。
別に、他の兵士と変わりはない。強いていうなら、敵への躊躇を完全に消したことだろう……。
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