第32話

「…………兄様」

「っ!」


 落ち着いた妹の声に違和感を覚え、剛昌は瞬時に視線をそちらへと向ける。


「っ! やめろ!」


 剛昌の言葉もむなしく……。

 泯玲は体を動かし、賊の持つ刃で自らの顔を切り付けた。


「っ……」

「おめっ! 何してるんだよ!」


 賊は自分から切られて血を流す泯玲にひどく動揺。剛昌がその瞬間を見逃すはずもなく、驚いて振り上げていた賊の右腕を居合で斬り落とす。


「ぐぁっ……いてぇぇえええ!」


 痛みと動揺によって賊は泯玲を放り捨て、斬られた部分を押さえて転げ回る。

 ゆっくりと立ち上がった剛昌が、放置された泯玲へ目を向けながら……。


「……」


 剛昌は痛みで苦しむ賊の、頭の真上に刀を構えた。


「ちょっと、ちょっと待――――――」


 賊の言葉は、首と共に剛昌の刀によって遮られた。

 吹き出た血液が剛昌の顔へと付着する。鮮血が吹き散りながら、賊の体はどさりとその場に沈んでいった。


 賊との攻防が終わり、剛昌は、

「泯玲!」

 と、刀を捨ててすぐに駆け寄っていく。


「泯玲、大丈夫か!」


 右頬から顎の筋近くまで伸びる切り傷は深く、血は出続けていた。


「兄様、ごめんなさい……私……」

「喋るな……傷が開くからじっとしていろ……」

「うぅっ……ご、ごめんなさい……」


 泯玲は力なく涙だけを流し、傷口を兄に押さえられる。


「もういい、大丈夫だからじっとしていろ……」


 簡単な応急処置だが、泯玲に布で傷口を押さえておくようにと促す。

 そして、剛昌は身に着けていたマントを、泯玲に被せた。そのまま木の幹へと泯玲の背中を預けさせる。


 剛昌は露出しかけていた服の前部分をマントで隠した。


「痛むか?」


 泯玲は口を動かそうとしたが、傷が開きそうになる感覚に体がびくりと反応する。

 しかたなく、泯玲の肯定するために黙ったまま頷いた。


「そうか……」


 傷を負った妹を家まで送りたい。だが、今は戦場へと向かう道中……。隊からもだいぶ離れてしまっているだろう……。


「どうしたものか……」


 妹か戦友か……。

 そんな差し迫った状況の中――――――


「おい、なにをしているのだ?」

「っ!」


 剛昌は気が抜けてしまっていたのか、声をかけられるまで、その人物の気配に気が付くことが出来なかった。


 ハッと振り返り身構えようとするも、刀は鞘には収まっていない。

 無情にも、剛昌の手は空を掴んでいた。


「なにを一人で暴れているのだ?」

「な……」


 剛昌の動きがピタリと止まる。


 そこに居たのは、軍を率いて先頭を歩いていたはずの春桜だった。


「どうした、死人でも見るような目で見つめて」


 春桜は隊長の印である金の装束に身を包み剛昌を見下ろしていた。春桜はこの時すでに、王足りえる雰囲気を、名実ともに纏っていた。


「春桜、何故お前がここに……」

「お前が隊列から離れたと聞いてな。先頭を翠雲に任せてきた。最後の兵士が通り過ぎても帰って来ぬからどうしたものかと思ってな、様子を見に来たのだ」


 首の落ちた賊らしき死体に、木にもたれかかる女子。血にまみれた剛昌。

 春桜が聞きたいことはただ一つ。


「……しかし、この状況は何だ? 何があった?」

「……すまない、話せば長くなる」


 精神的に疲れ切った、あまり見せることのない剛昌の顔。

 春桜は、剛昌がただ女を取り合うような男ではないと知っている。そんな醜い争いをするような男なら、出会った頃に斬り捨てている。


 なにか事情があって、この現状になったのだろうと、春桜はただなにも聞かず、

「剛昌、お前の分隊は私が預かる、今日の戦はいい。帰れ」

 と、その場を立ち去ろうとした。


「いや、それは駄目だ!」


 春桜の提言に、剛昌が立ち上がる。


「ほう。なら、私がその娘を送ろうか?」


 春桜は目線を泯玲の方へと向けて微笑んでみせた。

 剛昌は雲行きの悪い表情を浮かべる。


「それは……」

「よく分からんが、お前の知り合いなのだろう?」

「……あ、ああ」


 剛昌の返事に春桜はふっと笑った。

「あまり察することのない私でも、この状況を見ればなんとなくでも察しがつく。剛昌、お前がきちんと家まで送り届けてやれ」

「だが、それでは私の分隊が…………」

「剛昌、仲間はな、信じてこそ仲間なのだ。信頼しているのだろう? ならば、私に任せておけ」


 春桜の自信に満ちた表情と声。その大きな背中……。

 実力が見合っているからこそ、春桜の言葉は言われた相手に深く刺さっていく。


 剛昌は春桜の言葉に、

「……すまない」

 と、感謝と謝罪の混じった言葉を伝えた。


「気にするな。困った時は支え、助け合う。それが私たちの目指す国だろう?」


 春桜は言い終えると、自分が来た道をじっと見つめていた。

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