第31話

「ガキは黙って見てろ。ほら、さっさと跪けよ、兄ちゃん」

「……」

「どうしたんだ? 早く地面に頭こすり付けて命乞いしろよぉ。私の妹を返してくださいってなぁ!」

「兄様……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「……」


 剛昌はずっと諦めずに一瞬の隙を見計らっていた。


 相手との距離は刀を振れば確実に斬り飛ばせる距離にある。だが、泯玲の顔に向けられた刃が食い込んでしまう可能性もある。

 無傷で取り返すには難しい状況……。捕まったのがただの兵士だったなら、多少の傷は勲章となる。


 この賊を居合で斬ることは容易い。だが、唯一の家族、大切な妹を盾にされては、いくら剛昌と言えども動けなかった。


「さっさと頭つけろよ!」


 今度は賊が剛昌へと声を荒げる。それでも、剛昌は両膝を地面に付けることは避けたかった。

 両方の膝を地面に着けてしまえば、刀を振る時に力を入れられなくなる……。


「なんならさ、こいつの裸でも晒してやろうか?」

「やめ――――――」

「きゃっ……!」


 剛昌の声かけも空しく、短刀が泯の胸元の布を少しだけ切り裂いた。

 めくれば見えそうな胸元に、剛昌が悲痛な表情を滲ませる……。


「おうおう可愛い声出すねえ、若い子はこうでなくっちゃなあ!」


 刃は泯玲の胸元の布をじわじわと、下に向かって切り裂こうとしていく。


「ひっ……や、やめてっ……」

「ちょっとくらいいいじゃねぇか。兄ちゃんに見られるくらいどうってこと――――」

「やめろ外道がぁあ!」


 剛昌が憤怒して賊へと吼えた。


 雷鳴のような、轟くような声に賊は、

「……ったくよお、うっせぇ兄ちゃんだなぁ」

 と、耳障りだとでも言うように小さく呟く。


 興が冷めたのか、賊は剛昌を見つめて話しかけていく。


「ならあんたがとるべき行動は一つだろ? なに、腹斬れって頼んでるんじゃねえ。頭下げてとりあえず謝れって言ってるだけじゃねえか。俺の言っていることが分かるか?」


 賊は切り裂いた布地の部分に刃を当て、ゆっくりと時間をかけて裂いていく。

 白く細い体が、賊の手によって晒されていく……。


「ほら、早くしないと大事な妹の体が見えちまうぜ?」


 泯玲は羞恥心と恐怖に泣く。

 剛昌にはもう選択肢が残されていなかった……。


「………………分かった……分かったから、もうそれ以上は、やめてくれ……」


 頭を下げて、賊へと願い出る剛昌……。


「お、ようやくかよ。随分と長かったなあ」


 剛昌の言葉に、賊はへその辺りにあった刃を再び泯玲の顔へと向けた。


「…………」


 剛昌の苦悩を込めた歯軋りが周囲にまで聞こえる。そしてその視線は賊と妹の足元を捕捉していた。

 これ以上、視線を地に落とせば襲われかねない。つまり、相手を視界から消すことは命を落とすことと同義……。


 妹も救えずに死んでしまうかもしれない。

 両方の膝を地面に付けた時点で居合は出来なくなる。

 最悪の場合、ブレた刀身が妹に当たってしまう。


 ――――――私には何も出来ないのか……。


 剛昌は心の中で、己の非力さを憂いた。


「早く頭下げてちゃんとお願いしろよ。そんなに妹の裸見たいのか? 変態か? 変態なのか? あっはは!」


 賊の笑い声が、剛昌の心を深く傷付けていく。

 兄の表情を見た泯玲もまた、自分のせいでこうなってしまった現状に泣き崩れていた。


 切り裂かれ、露わになりそうな胸を隠すことも出来ず、ただただ殺されるかもしれない状況に恐怖する……。


 ――――多分、このままでは兄は殺される。そして自分も助からない……。この男に弄ばれた挙句、最後はきっと――――――――


 それは「死ぬ」ということと何も変わらない。


 泯玲はそうして己の直近の未来を悟っていた。

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