第30話

「うっ……な、なんだよ」


 明らかに憤慨している剛昌の目つきに賊は少しだけ怯む。だが、そそくさと泯玲の後ろに回って短刀を構え直した。


 剛昌の姿が目に映った泯玲は僅かに声を漏らした。

「ぁ……兄……様……?」

「だからあれほど言ったのに……」


 剛昌は深くため息を吐きだす。

 来て良かったという安堵と、妹が襲われているという状況に、剛昌は勾玉に感謝と恨みを詰め込んでいた。



 ――――――なぜ剛昌がここに居るのか。それはただの偶然であった。


 泯玲の姿がある程度小さくなり、隊へと戻ろうと振り返る手前、勾玉が手から滑り落ちた。

 どうやって落ちたのか、不思議に思いながら拾って確認するが、特におかしなところはない。


 まあ、気にしなくてもいいかと、何の気もなしに目線を上げ泯玲の方へと向いた時、林の中へと消える姿が微かに見えた。


 それは見間違いかもしれない。ただの人影に見えた動物かもしれない。

 しかし、不安になった剛昌は、泯玲が消えたと思われる位置から林の中へと急いで入っていった。


 そして、今こうして捕まっている妹に遭遇している……。

 恐怖と涙でくしゃくしゃになっていた泯玲は、兄の姿を見て心の底から安堵していた。


 泯玲は様々な感情が混ざり合う中、もうどういう表情をすればいいのか分からずただただ泣く。


 賊は疑問を浮かべ、少し離れている剛昌に目を向ける。


「兄ちゃんだって?」


 賊は泯玲と剛昌を交互に見比べる。


「私はな、お前に何をしているのかと聞いているのだ……」


 口を開いた剛昌の声は怒りで震えていた。

 対して、賊はニヤニヤ笑いながら剛昌のことをジロジロと見つめる。


「なんだあんた、こいつの兄ちゃ――――」

「今すぐそいつを放せ。そうすれば生かしておいてやる……」


 剛昌が賊の言葉を遮り「殺す」と言わんばかりに圧をかける。だがしかし、賊は依然として剛昌を見ながら嘲笑っていた。


「兄ちゃんよぉ、えれえ良い恰好してんなあ。こいつ、あんたに売ってやろうか、なんてな、あっはは!」


 賊の汚い笑い声に、剛昌は黙って刀に手を添える。


「今すぐそいつを放せと言っているのが分からないのか?」


 剛昌は己の刀が届く範囲までじりじりと近寄ろうとする。しかし、剛昌の殺気に危険を感じたのか、賊は泯玲の首に腕を回して顔に刃を突きつけた。


「おいおい、それ以上近付いたら、あんたの可愛い妹の顔に傷が付くぜ?」

「賊風情が良い気になるなよ……!」


 剛昌の言葉に、賊は刃の側面で泯玲の頬を叩いてみせる。


「くっ……」

「おいおい、どうしたぁ、兄ちゃんよぉ」

「…………やめろ」

「あぁ?」

「…………やめろと言っているのだ!」


 賊の舐めた口調に、剛昌は林中に響く声で怒鳴った。だが、立場の強い賊は相変わらず上から目線で剛昌に問いかける。


「まずはさ、頼み方ってもんがあんだろ? なあ、兄ちゃんよぉ」

「くそが……」

「この子の顔に傷が付いてもいいのかあ? 俺は別に良いんだぜ、顔に傷が付いていようがいまいが、若い女はそれだけで売れるからなあ! むしろ傷があった方がいいかもしれねぇぜ?」


 剛昌はこめかみに血管を浮かせ、激しい憎悪の視線を向ける。


「……くそっ」


 ぐっと歯を食いしばり、柄を掴んだ手はそのままで、片膝を地面に落としていく剛昌……。


「兄様……!」


 跪こうとする剛昌に泯玲は声をかけた。

 泯玲の身体は勢いで前へと寄りかかるが、賊の腕は決して緩まず泯玲の首を固定していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る