第28話

 それはまだこの国が出来る前、春桜たちと共に戦をしていた頃の話。


 剛昌が戦へと向かう中、隊列を成す後ろの方から、若い娘の声が聞こえた。

 最後列に居た兵士が振り向いてみると、そこには着物こそ汚れてはいるが、大層綺麗な顔をした娘が後ろから走ってこちらへと向かって来ていたのだ。


「兄様! 兄様ぁ!」


 次々と後ろに居る兵士たちは振り向く。そして、数人が娘の道を塞ぐようにして横に並んだ。


「そんなに急いでどうしたんだい?」

「兄様に! 兄様に会わせてください!」

「なんだこの子どもは!」

「兄様に!」

「進軍の邪魔だ、捕らえろ!」

「いやっ……止めてください!」


 一人の兵士が、力づくで娘を地面へと押さえつける。


「あ、兄様に会わせてください!」

「……ん?」


 最後尾の指揮を執っていた剛昌は聞き覚えのある声に立ち止まる。

 兵士たちに隊列を崩さないよう先へと進ませて、声のした後ろの方へと近寄った。


「……」


 兵士が地面に伏せさせた娘に目を向ける剛昌。

 顔は見えないが、どことなく妹に似ている背丈や雰囲気に、剛昌は兵士に問いかける。


「何事だ?」

「ああ、剛昌様、お見苦しいものを申し訳ありません……すぐにどかします」

「剛昌……あ、兄様!」

「「「……ッ⁉」


 娘の言葉に兵士たちは耳を疑った。

 剛昌のことを「兄様」と呼ぶ娘……。もし本当なら、押さえつけた自分たちはどうなるのか……。


 周囲のどよめく空気に、剛昌はため息を漏らして兵士に話しかけた。


「放してやってくれ……それは私の妹だ……」

「なっ……!」


 剛昌の言葉に分隊長が兵士を娘から遠ざけさせる。


「も、申し訳ありません……剛昌様の妹君とはつゆ知らず……」


 分隊長は頭を地につけて、妹を押さえつけていた兵士も、分隊長の後ろで震えながら地に伏せていた。


「お前たち」


 剛昌の低い声が兵士たちに圧を加える。


「は、はい!」


 既にこの時、剛昌は剣豪と呼ばれ名を馳せていた。

 その妹を地面に押さえつけたともなれば、首を斬られても仕方がない……。


 兵士たちは皆、死を覚悟した。

 ごくりと息を飲み込みながら、下される審判を待つ。


「妹がすまなかったな。お前たちは先に隊に戻れ。私は少し遅れてから戻る」

「え……?」


 あまりにも甘い判決に、兵士が小さく呟いた。

 咄嗟に分隊長は立ち上がり剛昌に敬礼した。


「はい、承知致しました! 行くぞ! 早く来い!」

「あ、え……は、はい!」


 バタバタと隊列の方へと戻っていく兵士たちを見届け、剛昌は砂を振り払っている妹へ、

「なぜ来たのだ」

 と、声をかけた。


 戦の前ということもあり、剛昌の威圧は妹にも向けられる。

 いつもとは違う兄の様子に妹は少しだけ震えていた。


「あ、兄様がこれを忘れていったので……」


 怖がりながらも、震える手で取り出したのは黒い勾玉だった。


「こんな物のために、わざわざ来たのか?」

「だって……兄様は必ず持っていた物だったから……」


 剛昌は妹に目線を合わせて、両肩をぐっと力強く握った。


「あ、兄様……?」

「泯玲、ここは戦場の一歩手前……、ここまで無事に来られたこと自体、運が良かったと思え」


 剛昌にとってはそれが精一杯の心配だった。

 幼い頃、盗賊に両親を殺された剛昌にとって、泯玲はたった一人の残された家族。泯玲を失うということは、共に戦う仲間たちが死ぬこと以上に辛いことだった。


 しかし、まだ十五・六の泯玲にとって、剛昌の言葉はきつく心に刺さったのか……、目には大粒の涙が浮かんでいく。


「うぅ……」

「すぐに帰れ。絶対に寄り道するな、誰にも近寄るな。危ない、怪しいと思ったら走って逃げるんだ。分かったか?」

「……はい」


 泯玲の声はか細く小さかった。


「……」


 不器用な剛昌がゴホンと咳払いをする。


 泣きそうになる泯玲の頭を優しく撫で、勾玉をそっと受け取ると、剛昌はそのまま妹に背を向けた。


「とにかく……ありがとう」


 剛昌は小さく感謝を述べた。


「…………うん」


 涙を拭きながらも、剛昌の言葉に泯玲は笑みを浮かべる。


「ほら、早く帰れ」

「は、はいっ!」


 泯玲はそのまま来た道を走り去っていく。


 剛昌は音がだんだんと遠ざかっていくのを耳で捉えていた。

「このような物のために……」

 と、剛昌は小さく呟きながら勾玉を見つめていた。


「…………」


 剛昌が振り返る時には、頼りない後ろ姿がかなり小さくなっていた。



 ――――――泯玲の顔に傷が付いたのは、この直後だった。

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