第26話

 老婆は注いだお茶を飲み干し、剛昌に返されたお茶を飲み始めていた。


「用が無いなら帰りな」


 老婆は剛昌の方を見ないでそう呟く。


「私は……私は国のため、国王のために生きている……」

「そうかい、私らにゃぁ関係ないね」


 ……………………。


 無言の空間が部屋の中を埋め尽くす。

 老婆ただ、お茶を注いだ器を見つめていた。

 剛昌は老婆の横で目を瞑ったまま動かない。


 辛うじて生き延びてきた村人と、戦場を駆け抜けてきた強者では、苦労の方向性がまったく違う。


 老婆に返す言葉も見つからず、剛昌はすっと立ち上がり、

「失礼した」

 と一礼した。


「あんた、黒百合の花言葉、知ってるかい?」

「さあな」


 剛昌の返事に、老婆は苦笑していた。


「やっぱり男はダメだね」


 不敵に笑う老婆。

 剛昌はこの村で世話になった青年のことを思い出し、ふと問いかける。


「婆さん」

「なんだい、まだなにかあるのかい?」

「涼黒は孫なのか?」

「さあねぇ」

「そうか……」


 老婆は剛昌の真似をしたのか、端的に言い返した。

 剛昌は笑わずに、そのまま戸口へと向かい手をかける。


「……この村は呪われている。逃げられるうちに逃げておけ……」


 老婆にそう言い残すと、剛昌はその場を後にした。


「…………」


 家に残された老婆は天を仰いでいた。

 馬が走り去っていく音が聞こえ、剛昌が帰って行ったことを知る。


「ただの人殺しかと思っていたが、花言葉を知ってるなんてねぇ……」


 老婆の不敵に笑う声だけが、部屋の中に響いていく――――――





 その夜、老婆は皆が寝静まった頃、松明を持って村の奥、涼黒の家の方へと歩いていた。


 老婆は慣れた足取りで一ヵ所しかない扉の前に立つ。

 かけられた南京錠に、持っていた鍵で解錠すると、山の方へと足を進め、山の手前に掘られた穴の前で立ち止まった。


「…………」


 老婆が堀を覗き込む。


 カサカサカサカサ…………。


 いきなり現れた炎に驚いた羽虫たちが一斉に飛び散り、その奥では無数の蛆が、地面を這って蠢いている……。


 これはそう、死体を捨てる場所。

 老婆の目線にあったのは無数の死体。


「……恨んだって、なんも良いことはないと言うたのに……。いや、お前たちだけのせいではないか…………」


 黒百合の村では死体の処理は土に還すというのが習わしである。村が出来た頃は簡易的な墓を作っていた。しかし、飢饉で大量に死んでいった者たち全員の墓を作るのには時間がかかってしまう。そのため、死んでいった者たちは墓も無いまま一つにまとめられた。


 こうした村は黒百合村だけでは済まない。


「……安らかに、眠ってくれ」


 老婆は松明を近くの岩に立てかけ、堀に向かって手を合わせて拝んだ。





 次の日、涼黒は村人に「ちょっと出かけてくるけん!」と伝えると、剛昌から受け取った金を握り締めて走って行った。


 村の入り口に立っていた老婆の横を涼黒が過ぎていく。


「婆ちゃんっ、昨日のおっちゃんに返すもんあるけぇ、ちょっと行ってくるばい!」

「……」


 老婆は無言で、手を振りながら走り去っていく涼黒を見つめる。


「帰ってきちゃいかんよ」


 そう呟いた老婆の言葉を、涼黒は知らないまま剛昌を追う。

 出来ることなら、このまま数日帰って来ないでくれと……老婆は祈るのであった。

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