悪夢の始まり

第16話

 春栄が国王として無事に国を継ぎ、一ヶ月ほどが過ぎた。

 そのころ、城下町ではある噂が広まりつつあった。



 剛昌は部下であり妹である密偵のミンからその話を聞きつけ、他の大臣たちに分からぬよう秘密裏に調査を進めていた。


 剛昌は噂の真相を確かめるべく、兵士を同行させて城下町を出歩く。剛昌を護衛する兵士の二人は、顔を隠して剛昌の後に続いていた。


 一人の兵士は顔を覆うことを躊躇っていたが、「これも任務だ」と剛昌に諭され、渋々顔を隠した。


 城下町を歩いている時、町角で百姓二人が世間話をしている所に遭遇した剛昌は、その会話に足を地面にピタリとつける。


「怖いわねえ……」

「そういえば、あそこの村の商人も見たらしいわよ」

「本当に?」

「うん、その時はもう怖くて荷物を置いて逃げ出したって」

「嫌ねえ……、元々山の方にあるからいいものの……あれ、そう言えば貴方、家が近いんじゃない?」

「そうなの、だからどうしようかって旦那に相談しているんだけど、全然話を聞いてくれなくて」

「一人でこっちの方に引っ越しなさいよ」

「そんなお金ないわよー…………でも、本当に恐ろしいわねえ……」


 剛昌は二人の背後に立っていたが、百姓は気付かずに話を続けている。

 話に終わりが見えないと悟った剛昌は後ろから静かに二人に声をかけた。


「そこの者たち、なにか困り事か?」


 剛昌が尋ねる。それと同時に、後ろに居る兵士二人は柄に手を当てた。

 だが、剛昌が手を上げると、二人は構えるのを止めて直立した。


「あ……あ……」


 言葉も出ないまま、慌てふためきながらその場に正座すると、額を地面に押し当てた。


 剛昌はいつも見る光景に慣れているものの、聞きたいことをすぐに聞けない状態に少しだけ苛立ちを覚える。


「そんなに恐れるな。それよりも、お前たちは何が怖いのだ?」

「そそ、そんな、剛昌様にお話するようなことではございませぬ!」

「そ、そうですとも!」


 二人の百姓はただ、目の前に現れた大臣である剛昌に怯えていた。


「話さねば其方らも私も動けんままだ。さあ、話してみよ」

「い、いえ、本当にお気になさらないでくださいませ……」

「なら、ずっとこのまま待たせるのか?」

「それは……」

「私は別に気にしない。だが、其方らも帰らねばなるまい」


 剛昌は地に伏せる百姓二人を交互に見ながら、諭すように呟いた。


「言います……」

「いや、でも……」

「いいから、申してみよ。どんなことでもいい。其方らの言葉に対して、私は一切の罰を与えない」


 言葉に詰まる百姓に、剛昌は膝をつき、二人の肩にそっと手を置いた。


「話してみろ」

「は、はい…………そ、それが……」


 そこからは一人の百姓が淡々と事の経緯を話してくれた。


 百姓の話では、ここ最近、東の山にある黒百合という村で変な噂が流れているということだった。

 村に住む者たちが夜な夜な悪夢にうなされるという。


 村へやってきた商人も、夜が遅いと言われ村人に言われて泊まると、その悪夢を見て飛び起きたという……。


「ふむ……それで、その悪夢というのは?」

「はい。それが、夢の中で知らない者たちが現れ、『助けて』と繰り返し呟いては、下から自分の身体へと這いずってくるらしいのです……。細い手足にボロボロの身体、服を掴んでくる手は力強く、その手は最終的に首を絞めてくるそうです……」

「ほう……」


 顎に手を添えた剛昌。探し求めていた噂話にたどり着けたことに、眉間にシワを寄せ、

「ふむ……」

 と、自身の考えを巡らせていた。


「剛昌様、このような戯言、どうかお忘れくださいませ……」


 緊張しているのだろうか、百姓の声は震えている。


「まぁ、待て」

「は、はいっ……!」


 剛昌は優しく声をかけたつもりだったが、押さえきれない威圧感に、周りに居合わせた民も心配そうに見つめる。


「……」


 剛昌は少し悩んだあと、周囲の目を気にせずに百姓たちへと話しかけた。


「其方らはそれを聞いて怖いと思ったのだろう」

「は、あ、いえ、そんなことは……」

「気を遣わんでもよい。話を止めて悪かった」

「そ、そんな! 滅相もありません!」

「少しだけ待ってくれ」


 剛昌は懐から金を取り出すと、百姓二人にそれを差し出した。


「これは謝礼だ。遠慮せず受け取ってくれ」

「こ、こんな、受け取れません……」

「受け取らぬなら、受け取るまで、ここで待つが?」

「それは……」

「いいから、受け取っておけ。別に取り立てたりはせぬ。私が渡すと言っているのだ、素直に受け取れ」

「は、はい……」

「あ、ありがとうございます……」


 剛昌は百姓の二人に個々に金を渡すと、ゆっくりと立ち上がった。


「では、失礼する。お前たち、王城へ戻るぞ」

「「はっ!」」


 去っていく剛昌に、二人の百姓は延々とお礼を言い続けていた。

 止まない声に剛昌は振り返らずに、手のみで、彼らへの別れの挨拶とする。

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