第1話

「――――春桜殿、失礼致します」

「おお、海宝カイホウではないか」


 戦乱の世で、大国の王となった春桜の元へ、訪れて来たのは大僧正の海宝という者だった。この国で春桜に次いで権力を持っている人物であり、唯一、春桜に意見出来る立場の人間である。


 身なりは僧侶らしく、春桜の煌びやかな服と比べると、警備をしていた兵士は鼻を小さく鳴らした。

 海宝は入口から続く赤い絨毯の上をゆっくりと歩いていく。


「お久しぶりです。相変わらずお元気そうで」


 玉座に座る春桜の姿は雄大であり、威圧的にも感じる風貌であった。

 春桜の座る左右の壁には金と銀の剣が飾られ、春桜の手元には一振りの刀が置かれている。


 玉座から少し離れた場所で跪く海宝はとても小さく、か弱い生き物のように見えた。


「海宝よ、私に跪かなくてよい。其方は私の古い友人であろう」

「ありがとうございます」


 玉座に腰掛ける春桜は凛々しく、海宝は優しく、お互いに目を向け合う。

 春桜と海宝はこの国を築く前からの知り合いであり、五十半ばになる海宝は、春桜にとって特別な存在、他に顔を合わせる者たちとは違う。


 春桜の態度は、海宝に対してだけは寛容であった。

 春桜の言葉に海宝は立ち上がり、しっかりと前を見据える。


「して、海宝がここに来るとはなにかあったのか?」

「はい。春桜殿、折り入ってご相談があります」

「ほう、珍しい。あの海宝が何か困り事とは……」


 実質、この国の二番手の権力者である海宝が困ることなど、ほとんどあり得ない。

 衣食住のすべてが整い、城下町の一角に聳えた海宝の暮らす寺では、問題など無縁であるはず……。


「実は……」


 海宝は少しだけ言いにくそうに、声を小さく出した。


「どうしたのだ?」


 海宝の願いはただ一つだけ……。


「春桜殿、納税のことについてお話がございます」


 わずかに緊張を見せた海宝が、まっすぐ春桜を見つめる。その海宝に対して、春桜は怪訝な表情で睨み返し、低い声音で問いかけた。


「それはつまり、私のやり方に口を出すということか……?」

「そういうことではありません。ただ、春桜殿は、民の声をお聞きになられましたか?」


 明らかに機嫌を悪くした春桜とは違い、海宝の表情は落ち着きはらっている。

 そのままじっと一点のみ、春桜の燃えるような瞳だけを見つめていた。


「海宝……私はな、私に口出しする者、意見する者が嫌いだ。それはお前とて例外ではないぞ」

「ええ、存じておりますとも」


 動と静、正反対の二人は目線を逸らさず向かい合ったまま動かない。


 少しの間が続き、権力と武力を併せ持つ春桜の持つ雰囲気が、海宝を押し潰さんとする。


「……」


 春桜は立ち上がり、玉座に立てかけていた刀を手に取り構える。


「王に歯向かえば平等に死が訪れる。海宝よ、それでも意見を申し立てるというのか?」


 それでも、海宝は動じずにただただ春桜を見つめ続ける。


「生ある者、いつか訪れる死は平等であります。ですが、その死を、故意に奪うことは平等とは言えません」


 海宝の言葉に、春桜の眉間がピクピクと震えた。


「……お前が寺でぬくぬくと過ごせるのは誰のおかげだ?」


 柄をぐっと握り構える春桜。


「民のおかげでしょう。私は、皆によって生かされています。なら、私は皆のために、この命を使わねばなりません」


 微笑みながら答える海宝に、春桜は刀を抜いて刃先を突き立てた。

 春桜は静かに、だが、威圧的に海宝に話しかける。


「お前が生きているのは私のおかげだ。この国が出来たのも、お前が大僧正としてあの寺に居座っているのも、全ては私のおかげなのだ。この国で民に生きる意味を与えているのは私であり、意味を与えた者が価値の無くなった者を切り捨てるのは自由であろう」

「……では、生きる意味をくれた民に、私は感謝しなければなりませんね」


 海宝は微笑みを崩さずに呟いた。


「海宝よ、気でも触れたのか?」

「さて、気が触れているのはどちらなのでしょう……。私には正しい事など判りません。ですが、今の春桜殿の行いが、民を苦しめているものであるということは分かります」


 静寂的な海宝とは逆に、怒りが先行した春桜は海宝の頬を軽く切り裂いた。


「……まだ撤回出来る……俺はお前を殺したくはない。分かるだろう」


 頬から少しずつ血が滲み出ていく。


「私は――――――」

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