第6話 赤い剛剣

第6話 1/4

「ふわぁ、眠い」

 ノアロの駅舎前、巨大なロータリーの縁でリッチェはあくびを噛み殺した。

 駅前の景色はミレットから聞いた「田舎」というものとは大違いの印象で、ロータリーからは片道三車線もある石畳の道が遠くまで伸び、沿道に点在する煉瓦造りの倉庫へ巨大な運搬車が出入りしている。

 倉庫群を挟んで道路の逆側には二本の運河も整備され、働く作業員や水夫のための食事や買い物処もあちこちにある。駅の裏手に見えた荷役場も、アンジリアのものより数倍大きかった。

 早朝、そんな町に到着した後、ミレットはお土産を事前に見繕うため、レイオは車内で出た朝食が足りなかったとどこかへ行ってしまった。


「二人とも遅いな。もう待ち合わせの時間過ぎてるのに」

 やきもきするリッチェの前に、先程から視界の端に停まっていた小型の客車が移動してくる。

 窓が開き、若い男が顔を出した。輝くオレンジの髪、柔和そうな顔立ちだが目元に男らしい力強さも兼ね備えた、一目見て分かる美男子だ。

 ぽーっとしかけたリッチェを頭から足まで眺め、爽やかな笑みを浮かべて言った。

「やあ、その恰好、王城の侍女の人だね。もしかして王女のお付きかい?」

「は、はい。姫様は今、ちょっとその辺に……」

 その男がレディン王子と気付き、リッチェはぴしっと姿勢を正す。しばし何も言えずに見つめ合っていると、客車のドアが開く。

 中からぬっと出てきたのは、今度は黒髪の男。草履の足がじゃりりと地面を踏み、リッチェの目の前まで進み出る。


 身長はレイオと同じくらいだが体格はがっちりしていて、作務衣の袖から覗く腕には筋肉が浮き上がっている。皺のよった眉間と口を引き結んだ無表情。赤い瞳が射すくめるように鋭く見下ろす。

「時間は過ぎているが」

「ももももうすぐ来るかと……」

 威圧感溢れる風体からドスの効いた声で言われ、震え上がった。

「ひいい。姫様早く来て」

 超小声で漏らした祈りが通じたのか、後ろから「お兄ちゃ~ん」という間延びした声が聞こえた。


「ミレット、久しぶり」

 和やかな兄妹の会話が始まり、リッチェは救われた思いで少しずつ、摺り足でミレットの後ろを目指す。早くあの視線から逃れたい……

「おい」

 再びドスの効いた声に飛び上がりそうになる。恐る恐る男の顔を見ると、その視線は自分ではなくその後ろに注がれていた。

 振り向くと、そこには瓶牛乳を飲んでいる銀髪の少年。

「貴様がレイオか。王属祓瘴士が王家を待たせるとは何事だ」

「はぁ? なんなのいきなり。誰だお前」

 黒髪の男が一層険のある調子で言うが、さすがにレイオは怖じけることなく返す。

 男は言った。

「俺はファース。王属祓瘴士だ」




 客車のソファでレディンの従者の隣に座り、リッチェはまた縮こまっていた。

 向かいにはファースとレイオが隣同士、二人とも足を開いて座り、時折邪魔そうにそれをぶつけ合っている。その度に咳払いと舌打ちが車内に響く。

 剣呑な空気に耐えがたくなり、ミレットの方をちらりと見てみる。

「あの二人なんかいきなり仲悪そうだよ。大丈夫なの?」

「うーん。でも王属祓瘴士の護衛方針はそれぞれに任せてるから、口を出すのはちょっとね」

「じゃあ放っとこうか」

 こちらはこちらで頓着する様子もなく、先程は救われた兄妹の和やかさも今は恨めしい。


 リッチェの胃を痛くしながら客車はいつしか農道に入り、車輪に土の絡む音が混じり始める。外の景色は一面平らな緑。青空の下に米粒のような農夫がぽつぽつといるばかり。

 どうやら栄えているのは物流の口である駅前だけで、後は城でさえもミレットの言う通り「田舎」にあるようだ。

 帰りたい。その言葉を飲み込みながらリッチェは客車の揺れに身を任せた。




 ノアロの城は敷地こそ広大だが、実際に王室の者たちが住み働いているのは石造りの一棟のみ。そこに王子や側近の執務室、居館が集まっている。行政機能や実力部隊も小規模で、こぢんまりとした木造の詰所がいくつかあるだけだった。

 では広い敷地には何があるかというと、ほとんどは国立の農業研究所である。

 その中の畜産場。白く張られた柵の中でレイオが両手に一頭ずつ牛の鼻面を掴み、腰を落としてその圧力に耐えていた。時折首をぐりぐりと振って押し込んでくるのを、全身の力で押し返す。荒い鼻息と興奮に鳴る喉、彼らの蹄の下で土がずりずりと抉れる。

 力比べがしばらく膠着すると、やがて牛たちは飽きて順々に踵を返す。そして遠くの緑の上にいる白黒の群れを目指していった。


 もうワンセットやろうかと次の牛を探して歩き始めたとき「今日もやってるね」と声をかけられた。

 見ると柵の外に、牛乳タンクを持った色黒の男が立っている。初日に知り合った農夫だ。

「どうも。訓練に彼らを貸してもらって助かってます」

「いやいや、こちらも牛のストレス解消ができて助かるよ」

 農夫は群れの方を向いて続ける。

「どうも今年は豊作だったようで、ちょっと数が多めなんだ。たまに力一杯動かしてあげないと喧嘩を始めるからな」

 ノアロは農林・水産の都市。国の食料庫だ。その中で農業研究所は基礎研究や実証実験に加え、豊凶の調整弁の役割も担っている。

 ここに来てから三日、ミレットはレディンの秘書役として毎日真面目にやっており、レイオも日々の訓練メニューが固まり始め順調といったところだ。

 農夫はタンクを抱えてにこやかに去り、レイオは汗を拭う。心なしかアンジリアより広い空を仰ぎ見た後、手近でモウモウと鳴いている牛に声をかけに行った。




 一通り体を動かした後、詰所へ戻る。居館は部屋数が足りないためレイオはそこで寝泊まりしていた。

 木の引き戸を開けると狭い板張りのロビーは人でひしめいていた。ざっと十人近くいてレイオは首をひねる。ここに常駐する全員を集めてもこの人数にはならない。

 市販の鎧兜に剣や手斧、槍など思い思いの武装をした男女が雑然と固まる様は、公立の部隊には見えなかった。


 すり抜けるのもためらわれる混雑具合にしばし入り口に立っていると、奥の階段がきしきしと鳴り上から府属祓瘴士が下りてくる。

「待たせた。順番に記録を見せてくれ」

 その言葉に従って奥の者から帳面を差し出し、それと引き換えに府属が紙幣を渡している。受け取った者は回れ右をして、周囲に肩をぶつけるようにして入り口へと歩いてきた。

「邪魔だよ」

 一番手だった狐目の男にそう言われ、端に寄る。そこから順繰りに出ていく彼らは一様にあまり柄がよろしくなく、最後の一団は目を剥いたり舌を出すなどの挑発まで残していった。

 全員去った後、府属が帳面をまとめながら言う。

「ノアロは面積の割に配属が少なくて、分隊だけだと巡回が追い付かないから、民間の祓瘴士に賞金を出して外のバイラ兵を退治してもらってるんですよ。まあこの辺は二級、三級ばかりで質は良くないですが」


 祓瘴士は国家試験を受けて資格を取れば名乗ることができる。更に資格には一級から三級までがあり、府属の採用は一級が応募資格だ。

 民間祓瘴士の食い扶持は主に町外へ出る者のボディガード。バイラ兵狩りで小遣いを稼ぐのはそこからもあぶれた雑魚か、さもなくばならず者だろう。

 その予想は早速当たった。

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