第5話 2/4
荒く削られた岩壁にランタンの灯りが丸く滲む。外の光の届かない城の地下、常に気温の振るわない階段下の踊り場で、ジェイドはカーディガンの前をかき合わせた。
目の前では錆びの浮いた鉄扉が固く閉じている。国王がその向こうに消えてから何時間経ったろうか。年々ここで待つ時間は長くなっている。
まさかもう出てこないのではないか、その心配は耳障りに響く金属の悲鳴により今回も杞憂と分かり、胸を撫で下ろす。
「陛下、本日もありがとうございます。お身体の方は?」
這い出るように扉から出た国王は、額には汗を浮かべながらも寒そうに震えている。その肩を支えて毛布をかけた。
「いやはや、そろそろキツいかもな」
おどけた言い方にも無理した様子が見える。
早く暖かい場所へ行こうと、丸石を固めただけの足場の悪い階段を肩を貸しながら上っていく。その最中に疑問が口をついた。
「王位継承のお話、本当に大丈夫でしょうか?」
「ミレットの件は君も聞いているだろう」
「はい。昔から素質はおありでしたがやはり……しかしだからこそこれまで輝粒からは引き離してこられたのに、やや性急ではないかと」
国王はゆっくり首を振る。
「もうあまり時間もない。それにまだ確信はないが、ひょっとしたらあの娘がアンバー王家の悲願を……」
うっすらと見える地上の光に向かい、二人は歩を進めた。
「お疲れ様です。ウォルター様」
倒れ込むようにして王座に身を沈めた国王の傍らに、ドゥエがカップを置く。
「これはタリマンの岸壁に咲く花を乾燥させたお茶で、疲労に効くしアンチエイジングの作用も……」
「ドゥエくんは気が利くなぁ」
早口を聞き流すように呟いて茶を口に運ぶ。くいくいと少しずつカップを動かし、落ち着いた息を一つ漏らして傍らに置いた。
そのタイミングでドゥエは言う。
「ミレット様の駐留、ずいぶん急ですね。今まで手元に置きたがっておられたのに」
「いやぁ、末っ子で一人娘だからどうも甘くなっちゃってね。ただそろそろあの娘にも広い世界を見て欲しいんだよ」
「それだけですか?」
ポットを持って近づきながら何気ない調子で聞く。国王はバツの悪そうな笑いを浮かべる。
「やはり気が利くだけあって鋭いね。まあしばらくは内緒とさせてくれ。それに旅立つ頃合いというのも本当だろう」
ドゥエは微笑みを返しながらカップにおかわりを注いだ。
森の手前を流れる運河、広大な石張りの荷役場と隣接する船着き場では、空の運搬船が何艘かぷかぷかと長い舳先を揺らしていた。
荷役場には木や軽金属の箱が所狭しと積まれ、作業着姿の男たちが運搬車へ荷物を運び込むなどしている。町の物流の要衝、ここにはもう一つ、運河と反対側で隣接する主要な輸送路があった。
「シャトルの発車時刻まで、あちらの貴賓室でお待ちください」
客車から降りると駅長を名乗る中年男が寄ってきて、指差す先には煉瓦造りの横長な建物。左右に伸びる高架の線路を二階部分が咥えこむ構造になっている。ここがアンジリアの駅、都市間シャトルや輸送鉄道の発着所だ。
カートで荷物を運ぶ駅長に付き従って、三人は駅舎の一階部分にあるドアを潜った。
「あー、あと何時間あるんだっけ?」
貴賓室だけあって中は広く、純白の内装は手入れが行き届いている。コントラストが映える赤のソファにぐだりと座り、ミレットが怠そうに呟いた。
「三時間ちょっとです」
「そんなに? 早く出過ぎたかなぁ。ねぇリッチェ、オセロやろうよ」
起き上がってカートの上の鞄を漁り、木箱に入ったオセロ盤を取り出す。
「いいですよ!」
テーブルに広げたところで「お茶淹れてきます」とリッチェが立ち上がる。レイオは片手逆立ちで腕立て伏せをしながらそれを見ていた。
そして一度給湯場へ向かった逆さの足が、帰り道にレイオの視界の前で止まった。目を下に向けると、リッチェが不思議そうに見下ろしている。
「レイオさんてなんでいつも筋トレしてるんですか?」
「しないと死ぬから」
「へーえ」
興味なさそうにソファに戻り、ミレットとオセロを始めた。
しばらくして、貴賓室のドアを叩く音がした。
「リッチェ角はダメ……レイオちょっと行ってくれない?」
遊びながら忙しそうに言われ、仕方なく行ってドアを開ける。立っていたのは町中に場違いな黒の軽装鎧。
「あっ、レイオ殿。ご休憩のところ申し訳ありません。力をお貸しいただきたく」
「確かにあの数は異常だな」
町の外を流れる川、運河から乗り入れた船の上で目を凝らしながらレイオは呟いた。
川沿いの開けた場所にバイラ兵が大量に蠢いている。ざっと五十近くだ。
「とりあえず見たからにはやるしかないな。少しだけ王女をよろしく」
府属の待機組にそう声をかけた。船にはアンバーメタルが積んであるので少しの時間なら離れても大事はないだろう。
出撃組とともに上陸し、木に隠れながらギリギリまで接近する。そして合図により府属たちが一斉にナイフを投げた。
飛んでいくナイフと並走するように駆け、いち早く反応した手前のバイラ兵を無視してその後ろの一団に躍りかかる。
飛び蹴りが手近な者の後頭部を砕き、返す刀で両隣にも蹴りを突き刺す。後ろではザクザクとナイフが刺さる音。
視界を埋め尽くすバイラ兵が一斉にこちらを向き、ギュロギュロという声がさざ波のように聞こえる。そこに向けて輝械弓を連射した。
もはや標的で出来た壁を射つようなもので、いかな射撃が下手でもほとんど命中、次々と倒れていく。嵩にかかるレイオを横から襲う二体は後ろから来た府属の隊員が斬り捨てた。
初動で三分の一近くを仕留め、すぐに終われるかと思ったが、そこで奇妙なことが起きた。
手前にいるバイラ兵の一団が素早く散開し、こちら側に角を向けたVの字に整然と並んだ。そして一斉にびしりと構える。
「な、なんだ?」
いつもの、獣のそれではない統率された動きを警戒し一歩下がる。向こうは与えられた陣を死守するように微動だにしない。困惑を深める中、隊員の一人が叫ぶ。
「後ろ! 逃げてます!」
見ると傘に守られるように、V字の壁の後ろでバイラ兵たちが回れ右をして森の奥を目指していた。
慌てて壁の頭越しに輝械弓を射つが、間延びせずそれでいて適度にバラけた配置により今度はほとんど当たらない。
「くそ! 邪魔だ!」
こうなれば壁を破るしかない、そう思って突っ込むが一体殴り倒す度に横からカバーリングがなされ、なかなか穴は穿てない。周囲の府属たちからも苦戦の声が上がる。
壁役を全て薙ぎ倒した時には、後陣のバイラ兵は視認できる範囲から消えていた。
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