第4話 4/4

「そいつ王女だろ? もらっていくぜ」

 公園は灰色の霧に覆われている。男の表皮も灰色に染まり、ボコボコと全身が隆起して体格が一回り大きくなる。頭は四角になり頂から短いチューブのようなものが生えてきた。


 レイオはミレットを体で隠すように前へ出る。

「言った通り、命をかけて守るから」

「けけけ、守れねぇよ。おっと、輝粒の力は使うなよ? 使ったら死ぬからな」

 その右手首を指差して異形が嘲る。レイオは首を傾げた。

「俺はコンパウンドバイラ。その右手のガラス玉はグルーの兄貴との合作だ。兄貴が成型して、俺が磨いた」

 言いながら頭のチューブから白い粘液を少しだけ出して見せる。

「ガラスの中には特別製の瘴気が入っててなぁ、何もしなけりゃ空気と一緒なんだが、大量の輝粒に反応した時だけ増幅するんだ。使えば全身に流れて五分足らずで死ぬぜ」


 レイオはブレスレットを見た。瘴気は全く感じないが、確かにこの世ならざる磨かれ方だ。ハッタリではないと直感する。

「くそ、しくじったなぁ」

 頭を掻いているところにコンパウンドバイラの力任せのパンチが襲いかかる。咄嗟に腕でガードしたが数メートル吹き飛ばされた。

「レイオ!」

 そこにギャロギャロと不気味な声が響き、バイラ兵が数体眼前に躍り出て、二人は分断された。

「うちの幹部のご所望は王女様だ。お前はこいつらの相手をしてろ。いくら強くても輝粒がなきゃ倒せないだろ」


 四角い顔がミレットを向き、巨大な手が迫る。指の又越しに血走った目を気丈に睨み返すが、それで怯むはずもない。

「あいつに嵌めてくれて助かったぜ。本当に彼氏がいてそっちにあげてたら困ってた」

「装身」「ギャロ」「ギャロ」「ギャロロロ~」

「さて輝粒の中和が切れる前にさっさとお前を……げべっ」

 横から衝撃を受けコンパウンドバイラが地を転がる。慌てて顔を上げると銀の装甲を纏ったレイオが蹴りを放ち終えた格好でそこにいた。その後ろではバイラ兵の残骸がぶすぶすと姿を薄れさせている。

「えぇ~! なんで輝粒の鎧使ってるの!? 死ぬって言ったじゃん! 話聞いてた?」

 目を見開いて指差し、半ば怒って言うコンパウンドバイラを、輝械弓の連射が襲った。距離を取ろうとへたったまま後ずさるがレイオは早足で寄ってくる。

「お前こそ俺の話聞いてたか? 命をかけてって言っただろ」

 意味が分からず呆ける怪物に、涼しい顔で少年が迫る。

「俺が死んでも次がいる。お前らを討つまで終わらない。覚悟しろ、バイラズマ」

「こいつ……イカれてやがる」


 這って逃げようとする首根っこを掴み、頭より上に持ち上げる。じたばたと暴れるその脇腹に拳を一撃、そして顔を地面へと無造作に叩きつけた。チューブから飛び出る白い粘液。

 少しの沈黙を置いてレイオが膝をつく。右手首から黒い瘴気が螺旋を描いて立ち上り、半身を覆い尽くして顔は蒼白に変わっていた。

「う、うわぁぁぁ」

 コンパウンドバイラはそれを見る余裕もなく、悲鳴を上げながら薄れかけた霧の外まで這い出て行った。




「レイオ! レイオ!」

 地面に横たわった体を揺する。街灯に照らされた顔は真っ白で生気は感じられず、ミレットの双眸から涙が溢れる。

「ごめん、私のせいで……お願い、死なないで」

「大丈夫だ。ちょっと経てば代わりが来る」

 白い唇が億劫そうに小さく動き言葉が紡ぎ出される。ミレットはかぶりを振り、嗚咽の混じった不明瞭な声を上げる。

「大丈夫じゃないよぉ。なんでそんなこと……」

 レイオは疲れたようにふっと息を吐き出すと、そこでか細かった胸の上下が完全に止まった。

 頭の中で金切り声がわんわんと反響する。自分の慟哭だと気付いてはいるが止めることができない。涙で視界も潰れ、何も見えない聞こえない闇の中で意識も霞んでくる。

 繋ぎ止めるのは手に感じるわずかな温もり。このまま精神の暗がりに逃げ込み、これを手放していいのか。

 絶対に、絶対にイヤだ。

 不意に世界が白く染まった。町も公園も全てが消え失せ、ただひとつ色を持つのは眼下で動く黒い粒子たち。規則的な流れで横たわる人の形を点描のように浮かび上がらせていた。

 点描には濃淡があり、左半身から右半身へと徐々に濃くなっていく。粒子の始点は真っ黒に染まった、右手首。

 ミレットはそこに触れた。自分の手から見たこともない温かな光が漏れ、黒い粒子の点描は左から段々と輪郭を曖昧にしていく。そのまま目を瞑り、祈った。




 グルーバイラの背に森の木が当たる。挟み込むようにして喉元に輝甲剣が突き付けられた。

 周囲には雨後の水溜まりのように透明な粘液がいくつもわだかまり、固まったものとドロドロのものが入り交じるが、いずれもドゥエの体には一滴のも付いていない。

 粘液を躱す片手間で追い詰められトドメを刺されそうなその時、ざざんと草の音とともに灰色の巨体が転がり出る。一瞬の隙にグルーバイラはそちらへ駆け寄った。


「おいコンパ、ボロボロじゃねぇか! 王女はどうした?」

 息も絶え絶えのコンパウンドバイラを助け起こしながら聞く。

「王女はダメだったよぉ。あ、でも輝粒の鎧の戦士を一人殺ったぞ!」

「うーん。それならアイアラさんも許してくれるかな。よっしゃさっさと逃げ……」

 弟分に肩を貸して後ろを向くグルーバイラの前に、ドゥエが回り込む。

「お、おい、お前の仲間が死んだらしいぞ。どうだ、これでちょっとは……」

 しかし目の前の男はその言葉を疑うでもなく、呆れたように肩を竦めた。

「それがどうした? 王属祓瘴士なんだから死ぬことくらいあるさ」

「兄貴~、やべぇよ、こいつらやべぇよ……」

 立て続けに恐ろしいものと出会い疲弊しているところに、後ろで再びざざんと草が鳴り、飛び上がりそうになった。が、それは肩を掴む万力のような握力に押し止められた。


「うわぁ~、幽霊!?」

 そこにいたのは銀髪の少年。血色はすっかり戻り右手首のガラス玉は影も形もない。胸に輝く銀の獅子が牙を剥いていた。

「しゃあ! っしゃあ!」

 左右のストレートが二体のバイラ獣を吹き飛ばす。

「おお、生きてたのか! よかった!」

「うーん。死んだはずなんだけど。とりあえずそっちは任せるよ」

 レイオは輝甲剣を抜きながらコンパウンドバイラへと歩を進める。

「てめぇ! なんで生きてるんだ!?」

「俺も分からない」

「くそぉ! 喰らえ俺のコンパウンド!」

 頭のチューブから大量の粘液を吹き出し、レイオはそれを剣で受け止める。


「コンパウンドってなんだ?」

「磨き粉だ。硬いものにぶっかけて擦るとピカピカになる」

 布服の端を使い言われた通りに粘液を擦り落としてみると、鏡面のごとく滑らかになった刀身が現れた。

「おぉ~、すげぇ、ピカピカだ」

「どうだすげぇだろ」

「ありがとう! じゃあな!」

 胸と正中線を十字に斬り裂かれ、コンパウンドバイラは崩れ落ちた。




「僕も終わらせよう。装身!」

 ドゥエのブレスレットから光の粒が溢れ、胸と脚全体に纏わり付く。そして体の後ろへ走り去るようにして消えた。

 残ったのは青いメタルの装甲。胸当てには肩から後ろへ向けて生えた長い突起、大腿までを覆う足甲にも同じ方向へ短い突起が生えている。いずれも体とは逆の向きに噴射孔が口を開けていた。


「こうなったら全放出だ!」

 グルーバイラは頭から夥しい量の粘液を吐き出し、敵との間の地面を濡らし尽くした。

「これで隙間はないぞ、そう簡単に踏み出せまい」

「無駄だよ。固まる前に終わるから」

 装甲の突起から輝きが漏れ、徐々に光量を増していくとともに、ドゥエの右足がギリギリとたわむ。その足が地を蹴り、光が弾けた。と同時にその姿が消えた。

 一秒後、両断されたグルーバイラの上半身と、少し後ろにある木の幹が同時に地に倒れる。その先の草むらから「ちょっと行きすぎた」と声がした。




 城への帰還後、サロン内。ミレットはナイトウェア姿でソファに座り本を読んでいる。その背もたれの後ろに立って話しかけた。

「なぁ、ミレット」

 彼女はくるりと振り向いて小首を傾げた。その顔に特に変わったところは見受けられない。

 レイオは言葉を選びながら尋ねた。

「そのさ……今日俺が、その、倒れた後、何があったの?」

 ミレットが前を向き直り無表情になる。ずきずきするような沈黙が数秒続き、再びこちらを向いた。

「私も分からない」

 開き直った自慢気な顔でそう言われ、拍子抜けする。


「いや、なんかヤバいなぁってなったと思ったら、いつの間にかレイオと兵士の人たちに囲まれてた」

 あけすけな調子で歯を見せて笑った。その屈託のなさにこれ以上は無意味と理解し、レイオは溜め息を吐く。

「まあ分からないなら仕方ないか」

「うん。仕方ない仕方ない。無事だったしいいじゃん。これからもよろしくね」

 そうして笑い合う二人を、法衣姿の壮年が見つめていた。

「ミレット王女。やはり素質がおありでしたな」

 そう言って踵を返した。

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