第2話 3/4
王女ご指定の駄菓子屋はなんと町外れに移転しており、瓶詰のラムネ菓子を持って部屋のドアを叩いた時には想定よりだいぶ時間が過ぎていた。
中から返事はなく、しばらく待ってもう一度ノックする。やはり応答はない。
「まさか」
ドアを開けて確かめるわけにもいかず、レイオはブレンダを探しに行く。
「え? 姫様が病弱? 何を言ってるんですか?」
ようやく見つけてあらましを説明する途中、王女の語った事に怪訝な顔を見せた。
「昔から元気すぎて大変でしたよ。すぐ外に出たがるし、駄菓子屋なんかもよく行ってました。ジャンボが移転したことも知ってるはずですよ」
「あんの野郎……」
レイオが憎々しげに言い、ブレンダは大きく溜め息を吐く。
「まさかレイオさんまで撒かれるとは。とにかく、姫様の部屋に行ってみましょう」
町中に小高く盛り上がった丘の上、日当たりのいい草原の中に建つ、円筒と箱形の組み合わさった白い建物。質素な布服姿で花束を持った王女がその入り口をくぐった。
螺旋階段を三階まで登り、廊下に並ぶ部屋の一つに入る。
「あ、お姉ちゃんだ」「お姉ちゃーん」
中には小さなベッドが六つ並び、そこに寝転んでいた子供たちが彼女に気付いて歓声を上げた。
「みんな、今日も新しい本と、紙芝居も持ってきたから」
笑顔で応え、まずは窓際の花瓶の花を取り替える。そして六つの病床から見える位置に椅子をおいて紙芝居を始めながら、ベッドに座りワクワクと視聴する子供たちを見渡した。
痩せ細った体と隈の出来た顔にはそれぞれ病気の重さが見て取れる。しかし王女には更に、彼らを蝕む黒い瘴気が見えていた。
ここは怪物に襲われ、瘴気が体に長く滞留する『
紙芝居の後はいつも彼らの体の痛い箇所をさすってあげていた。決まってそこは瘴気が特に色濃いところ。一人ずつ会話を交わしながら。
「僕もいつか祓瘴士になって、あの怪物からみんなを守れるようになるんだ」
「そうだね。元気になれば、きっとなれるよ」
三十分ほど経ったところで、院長である初老の男が顔を出した。
「お茶が入りましたよ。みんな、お姉さんを少し休ませてあげましょう」
「いつもありがとうございます」
一緒に病室のテーブルにつき、お茶を啜りながら院長が言う。子供たちはベッドの上で思い思いに王女が持ってきた本を読んでいた。
「事情が事情なので、なかなかお見舞いに来てくれる人もいませんで。あなたが来てくれた後は、不思議とみんな調子がいいんですよ。この近くにお住まいなんですか?」
その質問は曖昧に笑って誤魔化した。ここでは誰にも身分を明かしていない。
「怪物に襲われた時に両親を亡くした子もいますし、それに後遺瘴というと、その、世間ではあらぬ風評もありまして。本当に根拠はないんですよ。怪物を呼び寄せやすくなるだなんて」
王女は顔を俯ける。もちろん自身でそんな風評を信じているわけではないが、それが理由でここに来ることを言えないのも事実であった。
「本当に、良ければまたいらしてください」
「はいっ!」
そしてお茶も飲み終えお暇をしようというとき、
「邪魔するぜ」
低い声がしてそちらを見ると、入り口にジャケット姿の男が立っていた。
「やっぱりまた抜け出しましたね」
王女の部屋。ブレンダが『ごめんね』と一言書かれた置手紙を見ながら言う。
なぜそこまでして内緒で抜け出したいのか。先程のブレンダの話からすると駄菓子屋に行く程度の自由はあり、危険な場所でなければ許可を取れば行けそうなものなのだが。
しかしここは王女の部屋だけあってずいぶん広い。レイオの部屋の三倍近くある。応接ソファに大型の洋服かけ、姿見に化粧台。奥には天蓋付きのベッド。
女性の部屋をジロジロ見るのも気が咎めて、最も手近にある文机に目を移す。するとそこには部屋の雰囲気にそぐわない小汚い紙があった。
見てみると、色鉛筆で描かれた辛うじて女と分かる稚拙な似顔絵。空いたスペースには汚い字でこう書いてある。
『おねえちゃん。いつもびょういんにきてくれてありがとう』
「病院?」
首を傾げているうちに、窓からにわかに騒めきが聞こえ始めた。
「ぐうぅ、うぅ」
部屋の入り口近くで倒れ込んだ院長が呻く。太股に突き刺さる金属棒を伝い鮮血が流れ落ちていた。
「なんだよジジイ。余計なことしやがって。まあ今回は実験やら偵察やら色々兼ねてるから、一人でも上等かな」
そう言いながらジャケットの男は反対側の隅で踞る少女に視線を移した。少女の腕が隠すように抱くのは一人の子供。今しがた院長が逃がそうとして逃げ遅れた一人だ。
「おい姉ちゃん、そいつ寄越せ。うちの幹部殿が、瘴気の残った人間を色々調べたいんだとさ」
酷薄な笑みを浮かべながら、指の股に四本挟んだ金属棒を見せつけるようにきゃらきゃらと鳴らす。
「別に寄越さないんなら、お前を穴だらけにしてから丁重にもらってもいいんだぜ?」
愉悦に開いた口から大きな犬歯が覗き、まさに牙を持った怪物のように凄惨な顔でゆっくりと歩を進めてきた。
じりじりと迫る得体の知れない邪悪。弄ぶように「ほれほれ、さぁ寄越せ」と言ってくるのをキッと睨む。
「絶対にイヤ! うちの国民は一人も渡さない!」
その瞬間、王女の腕輪から米粒のような光が飛び出し、窓の外へ出ていった。誰も気づかないうちにそれは上空で弾け、火花のように降って消える。
城内の奥まった場所に、兵士や祓瘴士など実力部隊の詰所棟がある。その階段を屋上の見晴し台まで駆け上がる。
町のすぐ近くでバイラ獣を取り逃がした。その話で城も今ちょっとした騒ぎになっている。姫が帰るのを悠長に待てる状況ではない。
最上段から繋がる扉を開け、ごつい石板がむき出しの屋上に踏み出す。四方には石と緑の町が広がり、その外側には鬱蒼とした森。はるか遠くにそびえる黒々とした山まで視界を遮るものはない。首都で最も高いこの場所で、レイオは指をぱちんと鳴らした。
目に神経を集中しながら体を回していくその途中、意外と近い場所、丘の上で散る火花が見えた。
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