第2話 2/4
城の前庭にはこぢんまりと区画された畑と花壇が散在している。政府管轄の植物研究施設だ。その一角、観賞用の花が巻き付いたトンネル型支柱の並ぶ中を、一人の少女がこそこそと歩いている。
きらびやかな花の周りに鬱蒼と張り巡らされた緑、歳の近い侍女から借りたくすんだ布服でその中に溶け込むようにして跳ね橋を目指す。
侍女には失礼だが、このみすぼらしい服なら遠目では自身が王女だとバレない公算はある。
そして跳ね橋の前まで来た。幌をかけた車輪付きの荷台があり、そこから木箱や樽を兵士が運び出している。日に二度、こうして町の業者から食料を仕入れているのだ。
荷物を下ろし、代わりに空のものを積み終えると、業者の男は荷台と繋がった三輪の車のサドルに跨がりハンドルを握る。そこに王女は走り寄った。
「すいません、荷物もう一つ乗せます」
「はいよ」
そして後ろに回って荷台のあおり板に手をかけ、足を乗せた時、
「姫様」
振り向くと、いつの間にいたのか銀髪の少年。
「外には行かないでって言われてるじゃないですか」
面倒くさそうに言うレイオを、王女は憎々しげに見る。前方から三輪車の起動する静かな唸りが聞こえる。町を包む加護の力が原動力の運搬機械だ。このまま掴まっていても仕方ないと、観念して荷台から体を離した。
レイオは体でさりげなく王女の姿を兵士から隠す。
「なんで見張ってんのよ」
「いやそりゃ護衛だし」
王女は無言でレイオの横を通り抜ける。
「あのさ、そんなに外に出たいなら城の庭を散歩でも……」
「うるさい! 部屋に戻る」
三輪車がゆっくりと荷台を引いていくのを背に、乱暴な足取りで城へと向かっていった。
フルフェイスの兜と全身を覆う鎧、完全武装の兵士が
厩舎で馬に乗る。これから兵士たちが城外で騎馬訓練の予定だ。加護の動力で強い力を生むのは難しく、高機動が必要な場面では馬が主流。
この者も騎馬訓練に合流しようと馬術場を通り出口に向かう。その途中で馬が一向に前に進まなくなった。後ろから何かに引かれているように。
「どうしたの? 大丈夫?」
問いかけながら兜を脱ぐと、現れたのは栗色の髪とあどけない少女の顔。
彼女が後ろを振り向くと、そこで銀髪の少年が鞍から繋がる紐を掴んで馬の動きを力任せに止めている。
「姫様、外出ないでください」
馬の足が必死で地面を削るのをよそに、涼しい顔でそう言った。
城の周りの堀、増水に備えて水面から地面まではそれなりの高さがあるのだが、一ヶ所地形の問題で水面近くまで地面が下がる場所がある。そこに枯れ葉のようなボートを浮かべて乗り込み、王女は対岸へ向けて漕ぎ出した。
対岸にも上がれそうな地面が見えている。懸命にオールを漕いで堀の半ばに差し掛かった頃、濁った水面に不意に細かい泡が現れる。見ているうちに段々大きくなっていき、ついにざばんと音を立てて銀色の何かが顔を出した。
「だから姫様ダメだって」
顔面に銀髪を張り付かせる少年。それを見て王女はうんざりした表情になる。
「なんなのアンタ!」
「なんでこう毎日毎日脱走しようと……あ、ちょっとお邪魔します」
全身から水を滴らせながらレイオはボートへと上がる。へりに掴まり揺れに耐えながら、王女が固まる。
細身だが極限まで詰まった筋肉。その上に被さる皮膚には無数の傷痕。それが全身あますところなく広がる。彼は全裸だった。
「きゃあぁぁぁ」
服を着て前庭のベンチで休憩中、人の気配に振り向くとドレス姿の王女がいた。相変わらずむすりとした顔だが、今は不機嫌よりは神妙といった面持ちだ。隣に座ってきて静かに口を開く。
「ブレンダに怒られた」
返答のしようがなく黙っていると、ややあって「君って何歳なの?」と聞いてきた。「十七」。
「へぇ! 私と同じだね」
初めてわずかに笑顔を見せた。
「あのね、アンバー王国の嫡子は、十六でここを出て他の主要都市に駐留に行くの。お兄ちゃんたちもみんなそうだった」
そのしきたりは知っている。レイオは頷いた。
「でも私は昔から病弱で、だからまだここにいるの」
そして今度は沈んだ表情で申し訳なさそうに顔を背ける。
「それで子供の頃から部屋に閉じ込められてたんだけど、最近ちょっと調子がいいからどうしても出たくなっちゃって。ごめんね、迷惑かけて」
ベンチを立ち、肩を落として去ろうとする姿にいてもたってもいられず、レイオは遠慮がちに声をかける。
「あ、あの。俺子供の頃からこの辺に住んでて、店とかも詳しいから、なんか、欲しいものとかあれば……」
振り向いた王女の顔がぱっと明るくなる。
「ほんとに? じゃあ、お付きの娘たちが話してて羨ましかったんだけど、駄菓子とか食べてみたい。近くに『ジャンボ』って店があるでしょ?」
「ああ、あるある。俺も行ったことあります。買ってきますよ!」
そう言って門へと駆け出し、急に立ち止まった。踵を返して戻り、小首を傾げる王女の左手首を指差す。
「そのブレスレット……」
「あ、君ともお揃い」
腕を上げて目の前に見せてくる。レイオはそのブレスレットを指で一なぞりし、怪訝な顔の王女を残して今度こそ門まで走った。
その頃、森の中。町からは目と鼻の先だ。
「これがバイラ獣……桁違いだ」
府属祓瘴士、分隊員が木の陰に隠れ様子を窺う。繁る葉に日を遮られた薄闇の中、恐ろしい声で笑う大柄な影。その周りには暴虐の跡がある。巨大な剣山を押し付けたように穴だらけの木々、倒れ伏す隊員、飛び散ったどす黒い血。
突如影の顔がこちらを向き、裂けた口がニヤリと動く。
「うわぁぁぁ」
一足飛びで距離を詰められ、凄まじい力で襟首を持ち上げられた。その前腕に巻かれた太いベルトのようなもの。拳の方向に規則的な穴が空いており、そこから
「フヘヘ、俺はネイルガンバイラ。これで穴だらけにしてやるよ」
「やめろ!」
横から他の隊員の声、ネイルガンバイラは空いた方の腕をそちらに伸ばした。シュッと空気の音がし、飛びかかろうとした隊員が全身から血を噴き出しながら倒れる。
「お前にも喰らわせてやるよ」
凶悪な笑いが漏れ、金属棒がぬらりと光る。
次の瞬間、襟首を掴む手の力が緩み抜け出すことができた。
「援軍が来たぞ!」
近くで喜色を帯びた声がする。ネイルガンバイラの肩にわずかに食い込む剣。それを持つのは黒い
しかしその本隊員も裏拳の一撃で吹き飛ばされる。ガサガサと周りで草が鳴り、一人、また一人と飛び出す同じ鎧の男たち。それを狙い金属棒が乱雑に射出される。
「ぐわぁぁぁ」
あちこちで叫びが上がり血飛沫が舞った。本隊と言えど致命傷は避けつつも完全に躱すことはできず、手足に金属棒が突き刺さっている。だが次々と戦線に現れる隊員が射出後の隙をつき、攻撃がネイルガンバイラを捉え始めた。
「さすがにこの人数はヤベェな」
怪物の顔にも焦りが見え、ついに背を向けて逃走する。隊員たちはナイフや矢を撃ちながら追いかけるが、捉えることはできず見失った。
「ここから先はもう加護の力が濃い。一旦立て直そう」
部隊長の声が響く。それを聞いて木の陰でニヤリと笑うのは洒落たジャケット姿の男。割れて半分になった奇妙なガラス玉を手に持っている。
「本当に人間に化けられるとはな。さすがアイアラさんだ」
そう呟いてジャケットを翻し町の方へ歩いていった。
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