第1話 4/4
昨日の道を逆に辿る途中、レイオは倒れ伏す人の姿を見つけた。
駆け寄る前から分かっていたが、あの鎧の男だ。蒼白な顔面は苦悶に満ち、鎧の腹のあたりにばっくりとした割れ目、不自然にずたずたな断面に黒くなった血がべっとり付いている。
「おい! 大丈夫か!?」
男は目を開け、呻きながら口を開く。
「ううう、来るな戻れ。戻って城に連絡を……バイラ兵じゃねぇ、もっとデカくて恐ろしい……府属もやられちまって、ミサがさらわれた」
「さらった……?」
バイラ兵より恐ろしく、人をさらうような知能を持つ。つまり……
「バイラ
嫌な予感は当たった。レイオがまた駆け出そうとした時、男の口から掠れた声が出た。
「おい待て、あんなの一人じゃ……げほっげほっ」
大声を出そうとして果たせなかったのか、苦しそうに咳き込む。
レイオは左腕を伸ばして天を指差した。ブレスレットから米粒のような光が供給され、手、指を経て真っ直ぐ上へと射出される。それが上空で弾け、火花のように降って消えた。
「もう喋るな。今助けを呼んだから、大丈夫だ」
そして更に奥へと向かう。
「いやぁ、人間なんて脆かったなぁ。まあ本隊は強ぇらしいし、任務の邪魔はされたくないからお前は人質だ」
チェンソーバイラはそう言いながら鎖を回転させ、不吉な音で威圧するようにミサの耳元に持っていく。彼女を捕らえるのは補充されたバイラ兵。三体がぐるぐると唸りながら見張っている。
「誰か助けてぇ」
涙を浮かべながら震える声を絞り出すが、一体こんなところに誰が来るのか。それに応える者があった。草むらを掻き分けて銀髪の少年が現れる。
「ようミサ。もう大丈夫だ。今助ける」
「レイオ!」
「なんだ、祓瘴士……ふん、一人か?」
その後に続く者がないのを見て鼻で笑うが、レイオもそれに軽く返す。
「バイラ獣、その娘を離せ。まあ離しても祓うからお前にメリットはないけど、一応」
「いい度胸だ。このチェンソーバイラがお前も切り刻んでやるぜ!」
「ちぇ、ちぇんそー?」
「おそらく異世界の機械。こいつらはそういうのを模して作られるんだよね、謎だけど」
左手首をいじくりながら軽い調子で説明し、レイオは続けた。
「よし、王属拝命後の肩慣らしだ。来いよ」
ブレスレットが輝き、大粒の光がとめどなく溢れ出した。螺旋を描いてレイオの体を巡りながら徐々に加速していく。
「おらぁっ」
チェンソーバイラがレイオに迫る。人間の足では十歩以上の距離が二~三歩で詰められ、両腕の鉄板がめくらめっぽうに振り回される。
凶悪な回転音が縦横を行き交い、体を掠めながら何度も空を切った。刀身を引いて切れ味を生むのではなく刃自体が動いているため、触れるだけでただでは済まない。それを紙一重ですり抜けながら一歩、二歩と前に出る。
懐に入って膠着すると、レイオは気合を込めて叫んだ。
「
瞬間、レイオの周りで踊っていた光の粒が両手足と胸に集った。そして帯のように巻き付いて結晶し、輝く銀色の鋼に変化する。指抜きになった手甲、蛇腹が足先までを覆う足甲、そして獅子のレリーフを中心に頂く胸当て。
牙を剥いて猛る獅子、それとは裏腹の少年の涼しい顔に言い知れぬ恐怖を感じ、チェンソーバイラは一歩退がろうとした。その足が地に付くより前に彼の体はくの字に曲がる。
腹に拳を捻り込まれ、「が、が、が」と呻き声が漏れる。間髪入れず逆の拳を顔面に受け、一撃で元の場所まで吹き飛ばされた。
「ぐわぁぁぁ」
しばらく地面をのたうち回り、よろよろと立ち上がる。痛みと衝撃に朦朧としながら再び少年の不気味に涼しい顔、そしてその身に現出した銀の輝きを見た。
「あれは
敵の強さを悟り恐慌状態となったチェンソーバイラがミサの喉元に腕を近づける。ミサは再び悲鳴を上げて泣き出す。
「ミサ、目を瞑れ」
レイオの声を受け泣き声が止まった。少し呆けた顔をした後、深呼吸しながら覚悟を決めたように目を閉じる。
それを見届けたレイオは地を蹴った。爆ぜた土が地面に落ちきるより先、一飛びで眼前に現れたレイオに全く反応できないうちに、空中での回し蹴りがミサへ向けられていたチェンソーバイラの右腕を破砕する。返す刀で足先をちょちょいと動かすと、ミサを抑える一体とその両隣のバイラ兵の頭が吹き飛んだ。
「くそぉ!」
残る左腕を振り上げようとするのをレイオが掴む。力を込めてもピクリとも動かない。強大な膂力を持つバイラ獣にとっては信じられない体験だ。
「あぁぁぁぁ!」
吠えながら左腕の鎖を全力で回転させる。手甲に覆われた掌との間に散る火花、危なげな音と焦げ臭さが周囲に舞うが、レイオの表情は一向に崩れない。
そしてその五指にギリギリと力がこもりついに鉄板を貫いた。握り込まれた鎖は回転を止め、肘のあたりで空回りの音が虚しく響く。
「っしゃあっ」
レイオは気合とともに左腕の根元に手刀を振り下ろして叩き折り、手に残る鉄板を無造作に投げ捨てると、よろめくチェンソーバイラの肩を掴んで右の拳を引いた。
手甲が光を放ち、拳の周りに凄まじいエネルギーがまとわりつく。
「ちょっ、待て、やめろ……」
矢を射るようなストレートが顔面に炸裂し、小爆発とともに頭についた最後の鎖鉄板は粉砕、本体は後ろにあった木まで吹っ飛んでぶつかり、動かなくなった。
間もなく府属の本隊がやって来た。ミサの保護、状況の検分を指揮する部隊長にレイオが耳打ちする。
「パルガスさんに伝えて。バイラ獣が出た」
ベテランの部隊長は顔に驚愕の色を浮かべ、こくこくと頷く。
城への帰り道、王属祓瘴士としての初陣を飾った左手首の相棒を眺めながら考えた。
バイラ獣は強さも知能もバイラ兵の比ではない。人語を介し、天敵である祓瘴士についても知識を持っている。恐ろしい相手だが、その分瘴気が何倍にも濃くなる場所でないと出現しないはずだ。今まであんなに町に近い場所で出たことはなかった。
「加護が弱ってる……か」
「レイオ!」
声の方を向くと、ミサが手を振っている。その傍らには中年と老年、二人の女性。そちらへ赴くと、老女が紙に包まれた丸い物を差し出してきた。
「あんたがミサを助けてくれたのかい、ありがとね。ほれ、饅頭でもお食べ」
「あっはい、どうも……あれ? おばあちゃんはなんか薬草が必要なんじゃ?」
「そうなの。今日はおばあちゃんの誕生日パーティーだから、お肌がつるつるになる薬草を取りに行ったの」
お肌がつるつる……その言葉の意味を飲み込む前に、更にもう一人が顔を見せる。今は鎧を脱いで腹に包帯を巻いているが、間違いなくあの鎧の男が「よう」と手を挙げた。
「あれ? アンタ大丈夫だったの?」
「おう、お前が助けを呼んでくれたお陰だ。助かったぜ」
そしてミサが男に腕を絡める。
「本当にどうなることかと。私の薬草採りのせいであんなことになって……」
涙ぐむミサ、頭を掻いて赤面する男、それを微笑ましげに見守る母と祖母。画になる光景の外で所在なさげに立っていると、しばらくしてようやくミサが声をかけてくる。
「あ、誕生日パーティー、これからだからレイオもどう?」
「いや、遠慮しとくよ。ほらあれだ、まだ訓練が残ってるから」
そう言って、手を振りながら城への路に戻った。
城の居館エリアに用意してもらったレイオの自室、そこに向かって人気の少ない廊下を歩く。
先程言い訳めいて訓練と言ったが、実際に先程の戦いだけでは動き足りない。少しやろうと訓練道具を取りに行くところだ。
ドアを開けて中に入ると、ベッドの頭あたりに見覚えのない肌色の塊があった。もぞもぞと動くそれに首を傾げていると、それがすっくと直立し、栗色の髪を湛えた頭が見えた。
そして顔がレイオの方を向く。くりくりとした瞳に薄い唇、少し細面の小動物のような美少女。レイオと同じ年頃だろう。
誰かに似ているような気がする。しかしそれが誰かを考える前に、顔の下の光景が目に入りそれどころではなくなった。
きめ細かい肌の下に肩甲骨や背筋が薄く隆起し、胸のあたりで豊かに膨らむ物の横姿もやや覗く。有体に言うと、少女は裸だ。
「きゃぁぁぁぁ」
「え? え?」
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