第5話 幼馴染を想って
「それは私がやるからっ。飛鳥は人参の皮をむいといてっ」
玄関を入ってすぐ目の前にあるキッチン(そう呼べるかは分からないが)で俺たちは所狭しと並んで料理を作っていた。
といっても、まだ野菜を洗ったり皮を向いたりするような下ごしらえ段階だけど。
あらかじめ灰汁抜きをしていた筍をどうにかしようと俺はボウルを掴み上げたのだが、すぐに六花に取り上げられてしまった。
俺に任せるのが心配らしい。
まぁ、やりなれている人にやってもらった方が良いのは間違いない。包丁で手を滑らせて指を切るのが目に見えてるしな。
料理の経験はほぼゼロだし、ここは六花に指示されたことを黙々とこなそう。
まな板にはピーラーと人参3本が置かれてあり、人参はすでに洗ってくれている。
準備万端だ。
俺はそっとピーラーを手に取り、人参の皮をむき始めた。
しばらくして。
「で、できました……」
「あ、ありがとっ……て、何でこんなに細くなってんのッ⁉」
「いや、どこまで剥けばいいかわからなくて」
「にしても、細すぎない?」
「…………ごめんなさい」
「ま、まぁいいわ……飛鳥が料理できないことくらい、分かってたし。だから気にしないで。はい、次は玉ねぎお願いっ」
六花はあまり気にしない素振りをみせて玉ねぎを手渡してくる。
「これは白い部分が見えたらやめるんだよ?」
という忠告付きで。
5歳の子供に母親がやり方を教える時のような慈愛に包み込まれる。
なめられているようで何だか癪だが、実際ミスっているので何も言えない。ただ六花の方は煽ったとかそういう認識はないらしく、忠告をし終えるとすぐに自分の仕事に戻った。
また忙しく腕を動かし始める。
俺が人参の皮をピーラーで剥いていた間にも彼女は米を研いだり、筍を一口サイズに切ったり……少なくとも俺の3・4倍の仕事を一人でこなしていた。
何だかすごく申し訳なく感じる。
俺もすぐに両手に持った玉ねぎの皮を剥き始めた。
そして。
「……これで、いい?」
剝き終わった玉ねぎをそっとまな板に並べる。
さっきの前例があるので、恐る恐る六花に確認を取る。
「あっ、できた?」
六花は包丁を動かすのを中断して、俺が剥いた玉ねぎを見る。
「うんっ、大丈夫っ!」
「良かった……」
ホッと胸を撫で下ろす。
2種類だけだけど野菜の皮を剥いて、皮むきに関しては勝手が分かってきた気がする。次の仕事はさっきの2つよりすぐに終わらせる――。
俺は3つ目の仕事(皮むき限定)を彼女に求めたが。
「ありがとっ、それじゃあ休んでていいわよっ」
「あ、はい……」
まさかの休憩を命じられた。
どうやらもう俺にできるような仕事はないようだ。
現在シメジを割いている料理長に従い、俺は部屋に戻る。
六花は俺にも目もくれないで慌ただしくしながらせっせと調理を進めていく。
テーブルに頬杖をついて、ボーっとしながら彼女の姿を眺めた。
今まで彼女の料理姿は一度も見たことがなかったが、とても絵がしっくりくる。仕事は手馴れているが、台所に立った六花はまるで新妻のような初々しさがあって。
トントントントンッ、とリズミカルに人参を刻んでいる彼女の横顔がとても愛しく感じられた。
素直に見とれてしまう。
俺は今日で何回彼女に見とれてしまっているんだろうか。自分が恥ずかしくなるくらい、彼女の事を想ってしまっている。
六花の事を――――。
そこまで考えて、俺は首を振った。
六花に告白は出来ない。
第一、彼女に告白をしてフラれた場合のことを考えろ。
絶対に今のような関係には戻れない。
どれだけ仲がよかったとしても、どれだけ信頼していたとしても、今まで積み上げてきたすべてを破壊する。
もし仮に付き合ったとしても、その後別れてしまえば同じことで。
もう今までの彼女との関係には戻れない。
気兼ねなく話せる幼馴染でい続けられない。
『忘れたのか?』
心のどこかから、俺の声が聞こえた。
軽蔑するような、あきれているような、そんな声だった。
そうだ、俺は。
同じ過ちを繰り返しちゃだめなんだ。
あの時のように、なりたくない――。
「どうしたの、飛鳥?」
六花が声をかけてくる。
ふと顔を上げると、驚くくらい近くに彼女の顔があった。まるで、キスでもするかのような近さだ。
香水やシャンプーが混ざり合ったいい香りが鼻をくすぐる。
「う、うわぁッ⁉」
思わず後ろに仰け反ってしまう。
こんな至近距離で彼女を見たのは初めてだった。
「ど、どうしたのっ、そんなに驚いて?」
「い、いやちょっと考え事を」
「……まぁいいわ、だいたい出来たわよっ!」
少し怪訝そうにしながらも、あまり気にする素振りは見せずキッチンから背中に隠して何かを持ってくる。
そして、ジャーンという効果音が入りそうな勢いで、盛りつけたサラダを俺に見せつけた。皿の上にはレタスやトマト、ヤングコーンなどが彩りよく盛り付けられている。
めっちゃおいしそうだ。
彼女の後ろではグツグツと鍋で何かが煮込まれている。
「あれは?」
「あれは、野菜スープ。あとは、筍ご飯が出来上がれば完成よ!」
「野菜スープ?」
「そう。炊き込みご飯とも合うわよ」
俺が思い悩んでいる間に全部作っていたようだ。
彼女の手際の良さに驚く。
「ご飯はどれくらいで炊けそう?」
「うーん、だいだい30分くらいね」
炊飯器を見ながら六花は答える。
「本当にありがとな、六花。何からなにまで」
「な、何っ、き、急に真面目な感じでっ……⁉」
俺の真面目なトーンに六花は肩をビクッとさせて瞠目した。
「いや、俺何もできなかったから」
「だから、それは気にしないで、って言ったじゃない」
「……………」
「……どうしたの、さっきから?」
「な、何でもないっ……」
「ふ~ん……でも、何でもないんならまぁいいかっ」
一瞬六花は探りを入れるような視線を俺に送ってきたが、すぐに何事もなかったかのような口調になった。
上手く誤魔化せたらしい。
「これから、何する?」
「30分あるのよね~」
ご飯が炊けるまでの間の時間つぶしを考える。さすがに30分何もせずに二人で過ごすのはキツイ。
「そういや、飛鳥って何でここを選んだの?」
「ここを選んだ理由か……」
どうやら適当に話して時間を潰すことにしたようだ。
話したことなかったっけ。
「新しい自分に変わりたかったから、かな」
「新しい自分?」
「そう、新しい自分」
彼女の問いかけに自分でも噛みしめるようにもう一度俺は繰り返した。
ここはなかなか田舎に立地した大学で、うちの高校から進学するメンバーも限られていた。多分俺の代まででもほとんどいなかったように記憶している。
だから知っている人のいないここなら、新たな自分に変われるような気がして。
「そう、なんだ」
六花はちょっと申し訳なさそうになる。
「じゃあ私が来たのは、邪魔だったかな……」
ポツリと一言呟く。
ちょっと後悔したような、自嘲気味な視線を向ける。
確かに今の俺の言い方は彼女に対してデリカシーがなかったかもしれない。
「そんなことない!」
俺は語気を強めて彼女に反論した。
驚いたように六花は顔を上げる。
「見ただろ、今日の俺からのライン。俺だって六花に会いたかったんだよ、一緒に話したかったんだよ!」
自分の気持ちを吐露する。
照れとか、ためらいとかを一切振り払って六花に自分が思っていることを伝える。
「あ、ありがとうっ……」
率直な気持ちを伝えられ、六花の方は照れてしまっている。
落ち着きなく視線を泳がせ、どういう反応をすればいいのか戸惑っているみたいだった。
「だから、それはお前がここにいてくれて、嬉しい……ぞ?」
途中までは勢いに身を任せていたが、だんだんこっちも恥ずかしくなってきた。
最後辺りになると、俺も言葉に詰まり始める。
頬を軽く掻いた。
「………………ッ!」
六花は顔を朱色に染めて、さらに俯いてしまう。
今度は何も言葉は帰ってこなかった。
会話が完全にストップして、どうしていいかわからなくなる。
次の言葉を言えるような雰囲気じゃなくて。
炊飯器からグツグツなっている音だけが部屋に響く。
どちらからも言葉が発されない時間が続いた。
「…………な、なぁ」
気まずい空気を払しょくしようと、俺は何も思いつかないまま言葉を発する。
ちょうどその時、ご飯が炊けた音が鳴った。
「……あっ、ご飯炊けたみたいっ!」
六花が明るい声を出し、どれどれと蓋を開けて早速中身を確認する。開けた瞬間、ブワァという感じで湯気が立ち上り、それと同時に筍ご飯の豊かな香りが漂ってきた。
香ばしいしょうゆの香りの中と筍や人参、しめじといった香りもほのかに混ざり合い、食欲をそそられた。
うん、きれいに炊けてる。
炊き上がった米はツヤツヤに光って、一粒一粒が立っていた。テレビなどでよく見るような美しい炊き上がりだ。
さっきまでの空気はどこへやら、といった感じに六花の高揚した雰囲気が伝わってくる。もちろん俺もテンションが高くなっているが。
彼女はこんもりと茶碗一杯に大盛りによそったご飯をテーブルに並べ。
「それじゃあっ」
彼女と目を合わせた。
嬉しそうに頬を紅潮させた彼女はもう我慢できないような様子だ。
「「いただっきまーすっ‼」」
俺達は炊き上がったばかりの筍ご飯を口いっぱいに頬張った。
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