第2話  幼馴染からのお願い

 俺は瞠目していた。

 絶対にありえないはずの光景が、人物が俺の目の前に存在している。

 ここにいるのは間違いなく、六花だ。

 六花が、俺の前にいる。

 六花が…………いる。

「――――えっ?」

 徐々に湧き上がってくるその衝撃に。

 声がひっくり返り、間抜けな声が出てしまった。

「な、なんで六花っ、お前…………」

 それと同時に多くの疑問も湧き上がってくるが。

 言葉をうまく紡ぎだせない。

 いろいろな疑問が脳内を乱発的にかき乱した。

 色々な衝撃のせいでフリーズしていると。

 彼女は、いつものように得意そうな瞳でクスッと笑い。

「そんなに見ないでよっ、変態っ」

 嬉しそうな声音でツッコみを入れてきた。

 頬を淡く染め、ふふっ、と彼女は目を細める。

 だが俺はそれに返す余裕もなくて、未だに戸惑っているままだった。

 何で六花がここに?

 いきなり変態扱いすんじゃねぇよ?

 あれ、何を先に言えばいいんだ。

 何から言えばいいのかさえも動揺から分からなくなってしまう。

 右も左も分からなくなった俺は。

 とりあえず分かることから、と彼女に質問をしてみた。

「えっと、disturbの意味って…………」

「わ、私を見て邪魔言うなぁッ!」

 さっきまでの穏やかな彼女とは打ってかわり、額に怒りマークを出してすごい勢いでdisturbの意味を俺に返してきた。

 むぅ―っと頬を膨らませている。

 ああそうだ、邪魔だ。

 disturbって、邪魔って意味だったな。

 受験が終わったばかりなのに、もう頭から抜けてしまっていた。

 こんなところで六花にまた助けられてしまったな。

 本当に六花には感謝してる。

 だが、俺の感謝の念も彼女には届いていないらしく、まだ拗ねたような表情のままだ。

 口の中にどんぐりをいっぱいに詰めたリスのように膨れたその姿は。

 高校の時となんら変わらない、いつもの彼女だった。

 そんな彼女の反応を見て、ふっと肩の力が抜ける。

 それと共にさっきまで感じていた動揺や混乱もスーッと消えていった。

 いつの間にか二人の間には高校生の時のような空気が作られていて。

 やっと俺は自分の心を落ち着かせることができた。

 一度深呼吸をして、彼女を見る。

「……なんで、六花がここに?」

 そして俺はシンプルな質問をぶつけた。

 でもこれが疑問の全てで。

 早く彼女には今ここにいることの説明をしてほしかった。

 なぜなら彼女はここにいるはずのない人間だから。

 こことは違う、どこかの難関国立大学とかに今頃はいるはずなのだから。

 まさか新幹線に乗って、わざわざ他県から俺に会うため来たのではないだろう。カップルなら新幹線を使う方法もあり得るのだろうが、幼馴染相手にさすがにそれはない。

 逆にもしそうだったら、ちょっと怖い。

「……実は、新幹線に乗って…………」

 彼女はぽつりぽつりと話し始めた。

 声は何だか小さくて、恥ずかしそうに言っている。

 うわっ、マジだこいつ。

 本当に新幹線に乗ってやってきたらしい。

 いくら幼馴染に会いたいからって、そこまでするか……。

 自然と引いてしまった。

 だが途中まで話したところで、急に彼女はうつむきかげんだった顔をあげて。

「って、そんな訳ないでしょッ!冗談よ冗談……………そ、そんな「うわ~っ」みたいな目で私を見んなッ!」

 冗談を言っていたらしい彼女はそう言うとすかさず、鞄に手を突っ込んで一枚のカードを俺の目の前に突き付けてきた。

「学生証ッ。私、この大学の学生だからッ!」

 どうだ分かったかっ、と言わんばかりに見せつけてくるな。

「引くわ~」が意外と効いていたらしい。

 俺は提示された彼女の学生証をまじまじと眺めた。

 そこには学部や顔写真と共に特徴的な花の模様があしらわれていて。

 確かに、学生証は俺と同じものだった。

 彼女の言う通り、俺たちは同じ大学の学生であるようだ。

「……でも、何で同じ大学に来てるんだよ」

「いいじゃないッ、同じでも」

「でもなぁ~」

「な、何よッ、私と同じで嫌なの?」

「いや。ただ、言ってくれればよかったのに」

「そ、それはっ…………そ、その……お、驚かせたかったし」

 もごもごしながらそう言うと、六花は恥ずかしそうに視線を俺から切って横を向いた。

 思いがけず、彼女による進学先隠しの理由が明らかになる。

 そのために頑なに言わなかったのか……。

 でも俺を驚かせるためなら言えないか、確かに。

 納得はできた、けど。

 ……俺が落ちてたらどうしてたんだ?

 そういうツッコみはもちろんあったが。

「後ろから驚かそうと思ってたのに、急に振り向くから驚かせられなかったじゃないッ……」

 彼女は独り言のように不満を口にしている。

 いや、悪気はなかったから許してよ?

 彼女は口をとがらせながら、その一方で失敗したことに気恥ずかしそうだった。

「てかお前、イメチェンしたんだな」

 俺の中の衝撃も落ち着いてきた頃。

 彼女を見て真っ先に気になっていたことを尋ねる。

 六花は高校生の時までの黒髪ロングをやめて、バッサリ髪を切り落としたその姿を。

「そうよ、悪い?」

 またいつもの態度に戻って。

 俺からの指摘に彼女は短くなった髪を確認するように触りながらそう答えた。

 小さなころから彼女のトレードマークの一つだった美しい黒髪ロングを辞めた彼女は何だか新鮮だった。

 まだ少し幼くも見える顔とクールな髪型が上手くマッチしている。

別に俺は長髪ロングもポニーテール属性もないから、彼女のイメチェンがどうってこともないんだけど。

ただ、ショートカットの六花も普通に可愛かった。

「いや、……似合ってて可愛いと思う」

 俺は正直に、彼女を見た感想をそのまま伝える。

 あの日、純粋に彼女を可愛いと思ってから、俺の中の彼女は「可愛い女子」という認識に変わっていた。勉強を教えてくれていたときも、その一挙手一投足にこちらが勝手にドギマギしてしまったことも何度かある。

 もともと見た目は美人ではあったんだけど。

 彼女の言動にまで可愛いと感じてしまっては、既にチェックメイトのような気がするな。

 今までの関係性が邪魔して告白とかはしていないけれど。

「そ、そう、あ、ありがと…………ッ」

 俺からの素直な感想に。

 彼女は口元を手で覆って隠し、俺から視線を逸らした。

 その仕草にドキッとしてしまう。

 いつもは高圧的な態度をとるくせに、たまにこんなギャップを持ってくるのはズルい。

「お、おう……」

 俺も伏し目がちになりながら、歯切れ悪く応答した。

 おかげで、変な空気が漂う。

 甘い空気が俺たちを支配しているせいで次の言葉をお互い出しづらくなってしまった。

 二人とも俯いて黙りこくってしまう。

「………………」

「………………」

 まるで告白する前のようだ。

 微妙に気まずくなって次の言葉が出てこない。

 俺はチラチラと彼女の様子を伺いつつ、次の言葉を探す。

「ね、ねぇ……」

「な、なぁ……」

 しばらく経って。

 俺が声を発すると同時に彼女も同じように声を発した。

 思わずお互いの視線が重なりあう。

「あ、飛鳥から言って……」

「い、いや、六花の方から………」

「じ、じゃあ……」

 ちょっときまりが悪そうにしながらも。

 ここで再び譲るとエンドレスで譲り合いが始まってしまうことを悟った六花は、先に自分から言おうとしていたことを言ってくれる。

「あ、飛鳥って、これから何するのっ?」

 気まずさを払しょくするためか、変に明るい声音で。

 それを聞いて俺は心の中で、お前もかっとツッコんでしまう。

 タイミングだけでなく考えていたことも同じだったらしい。

 勉強は俺よりできるけれど、結局のところの思考回路は俺と似ていることをつくづく実感した。

「えっと、俺は家に帰ろうかと思ってたんだけど…………六花は?」

「わ、私は夕飯の買い出しに行こうかなって」

 腕時計を確認すると、時計は3時を指している。

 確かにこれからスーパーに行くならちょうどいい時間かもしれない。

 一旦のところはこれでお開きと思っていると。

 少し躊躇いながら六花は会話を続ける。

「……あ、飛鳥はどのあたり住んでるの?」

「俺は、キャンパスを出てすぐにあるアパートだけど……」

「そ、そうなんだ…………」

 ふぅ~ん、と六花は何かを考えているらしい態度をとったかと思うと、何かを思いついたのか、俺と再び視線を絡ませる。

「……あ、あのさ。飛鳥の住んでるアパートに私もついて行ってもいい?」

 いつも強気な感じ(言葉だけ)の彼女には珍しく、ちょっと下手な態度だ。

 上目づかいで俺を見る彼女の姿は、まるで甘える子猫のような感じで。

 俺の中の「断る」という選択肢を完全に排除するものだった。

「も、もちろん…………何もないけどそれでもいいか?」

「それでもいいっ」

 俺からの確認に何故か六花は食い気味に迫ってくる。

 一人暮らしの幼馴染の部屋にそんなに興味があるのだろうか。

 引っ越して日もあまり経っていないから、そんな代わり映えするような部屋でもないんだけど……。

「わ、わかった…………」

 期待の眼差しを向ける彼女に俺はそのまま気圧され、お願いを聞き入れた。



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