第9話 異世界料理

 俺の家は母子家庭だ。


 なので、母は夜遅くまで働き、朝に帰ってくるのが日常だった。

 顔を合わせるのは俺にとっての朝飯、母にとっての晩飯の時間だけ。

 しかし、仕事で疲れているはずの母はどんな時でも俺が作った料理を食べてくれた。おいしい、おいしいと食べてくれる母を見て、料理が嫌いになるはずもなく、俺はどんどん料理のレパートリーを増やしていった。


 まさか、あの料理を作る日々が役に立つとは……。


 よし! やってやるぞ!!



 俺は彼女が指示した木箱を威勢良く開ける。

 中には大きな肉と野菜らしきものがちらほら、それと大量の氷が入っていた。


 大きな肉はおそらくロックベアの肉だろう。

 熊肉なんて扱ったことがないので、これは使えない。

 野菜は……なんだこれ?

 形はレタスに見えるが、クリーム色と紫色の斑点模様をしていて、見たことない野菜だ。どんな味がするかも分からないのに調理なんて出来ない。これも使えないな。

 残るは……よかった。これはおそらくジャガイモだ。

 だが、食材はこれだけか。扱える食材が少なすぎるな……。


「食材が足りないなら買ってきなさい。お金は渡すわよ」


 俺が悩んでいるのを察したのか、彼女が腰の巾着からお金を出そうとする。


 うーん。お金を貰ったところで異世界の食材なんて俺には分からない。

 ……どうしたものか。


 待てよ。彼女が求めているのは異世界の料理だ。

 なら、ジャガイモだけで案外なんとかなるかもしれない。

 幸い、調味料も揃っている。

 いける。いけるぞ!

 

「いや、大丈夫。今回はこれを使って一品作るよ」


「そう。じゃあ頑張ってね」


 すました顔の彼女。

 見てろよ。すぐにその表情を崩してやる。

 そして俺は手にするんだ。

 彼女の何でも言うことを聞いてあげる券を!


 俺は木箱からジャガイモを取り出し、切り始めた。


ーーーーーーーーーー


 今、俺は最大のピンチに直面している。


 この台所、フライパンはあるのに、火がつけられないのだ。

 IHのようなフライパンを置く場所は一応あるが、

 火をつけるスイッチがどこにもない。

 まさか、この世界では火を使って料理をしないのか!? 

 そうだとしたらまずい。

 この料理が完成しなくなる。


「さっきから固まってどうしたの?」


「……もしかして、この世界って火を使って料理をしないのか?」


「あなたってほんとバカね」


 彼女はそう言って右手から火を放つ。

 なるほど。火も魔法で生み出すのか。


「こんなバカが作った料理を食べて、私、大丈夫かな?」


 両手を伸ばして机に突っ伏す彼女。


 決めた。おかわりが欲しいっていっても絶対にあげない。

 これ見よがしに俺が食ってやる。


ーーーーーーーーーー


「ほら、出来たぞ」


 火を通し始めてから約10分。

 俺は彼女が用意した皿に、完成した料理を盛り付けて机に運んだ。


「何これ?」


 想像通り驚く彼女。

 おっ、いい反応だ。

 この世界にこれはないみたいだな。


「ニヤニヤしないでくれる? 気持ち悪い」


 こ、こいつ~!


 ……まあいい。

 今はあの券が最優先だ。

 気を取り直して……。 


「これは、みんな大好きフライドポテトだ!」


 そう、俺が作った料理はフライドポテト。

 味付けはシンプルな塩こしょうで、形は細めに作った。

 そのほうが食感がカリカリになるからな。

 まあ、作ったといっても、切って揚げただけだが……。

 そのことは内緒にしておこう。


「フライドポテト……」


 未知の料理に彼女の手はすぐ動かない。

 まあ、普通はこうなる。

 海外の料理ならまだしも、異世界の料理なんだ。

 ビビるのは当然。


 それでも、彼女はフライドポテトをフォークで刺し、ゆっくりと口に運んだ。

 瞬間、見開かれる彼女の目。


 勝った。これは勝った。


「うまいか?」


「……うるさい」


「うまいだろ?」


「……」


「そうか。うまくないなら俺が貰うよ」


「おいしいわよ!!」


 うむ、素直でよろしい。


「おかわりもまだあるから、ゆっくり食べろ。

 俺は後片付けをしておくから」


「ほんとに!」


 唐突な笑顔。


「お、おう」


 不意をつかれ、俺はすぐさま顔を背ける。


 あっれ~? こんなに可愛かったっけ、こいつ。

 やばい、心臓がバクバクしてきた。いきなりあの笑顔はずるい! ずるすぎる!

 ダメだ。どうやら俺は、女性の笑顔に弱いみたいだ。

 こんなんだからすぐ騙されるんだ。

 気をつけないと。


「おかわりは?」


「え? ああ、ここだよ」


「少ないわね。もっといっぱい作りなさいよ!」


 お前は文句を言わずに食べることも出来ないのか!

 っていうか、食べるの早っ!?


 いつの間にか30本はあったフライドポテトがお皿の上から姿を消していた。

 彼女は空になったお皿に、新たなフライドポテトを嬉しそうによそう。

 大量にあったフライドポテトはものの数分で消えて無くなった。


ーーーーーーーーーー


 後片付けを終え、席に着く。

 数分前にフライドポテトを食べきった彼女は、それからずっと下を向いていた。



 ……気まずい。


 さっきまであんなに楽しそうだったのに、急にどうしたんだ?

 目も全然合わせてくれないし。

 ……もしかして、あのジャガイモに毒でもあったのか?

 え、それだったら、マジやばくね!?


「……言いなさい」


 彼女が顔を伏せたまま呟く。

 なんて言ったんだ? 小さくて聞こえなかったぞ。


「早く言いなさいよ!」


「何をだよ!?」


「私にしてほしいことよ!!」


 ああ~。そういえば、そういう約束だったな。

 フライドポテトをあまりにも旨そうに食べてたから忘れてた。

 よかった~。毒じゃなかったのか。


 よく見ると彼女の顔は真っ赤になっていた。

 うっすらと下唇を噛み、目には少し涙が溜まっているように見える。


 なるほど。俺の料理を認めたことが悔しかったんだな。

 いや、それもあるが……。

 少し体をひねって、服で胸元を隠しているあたり、

 俺がエロい要求でもすると思っているのか?


 俺をなめてもらっては困る。

 こんなに嫌がっている女性に、そんな要求はしない。

 するならお互い合意の上でだ。


 ……だから俺って童貞なのかな?

 いや、そんなことはないはずだ!


「そんなにビビるなよ。

 お前が想像するような要求はしないから」


「はぁ!? 全然ビビってないんですけど!!

 ビビってるのはあなたの方じゃないの?

 手をつないだだけで顔が真っ赤になるんだものね!!」


 な、何だと~~!?


「お、俺だって全然ビビってねぇし!!

 手をつないで顔も赤くならねぇよ!!!

 人が親切に気を遣ってやってるんだ!!

 素直に受け取りやがれ!!」


「誰もそんなこと頼んでませんけど!!」


 くっそ~! こいつ!!

 ああ言えばこう言いやがって!!!


「じゃあ覚悟しろよ!

 俺はやるときはやる男だ!!

 今日で脱童貞だ!!!」


「失礼しま~す。ミラさんがクッキー食べてって……」


 ティアはどこから聞こえていたのだろう。

 おそらく『俺はやるときはやる男だ!!』ぐらいだと思う。

 

 部屋に入ってきたティアの顔が見る見るうちに青くなる。

 手に持っていたバスケットを落とし、クッキーが飛び散っても気にもとめない。

 そして、おびえるような目で俺を見て一言。


「へんたい……」

 

 その言葉を残してティアは部屋を出て行った。


「違うんだ! ちょっと待って……」


 もちろん俺の声は届かない。


「……ブフッ!!」


 堪えきれなくなった彼女が笑った。


ーーーーーーーーーー


 俺は忘れていた。自分の運の悪さを。

 いや、今回は違うか。調子に乗った俺に罰が下ったんだ。


「ダメ、面白すぎる……ッ!!」


 彼女はあれからずっと笑っている。

 腹を抱え、机を拳で叩き、しまいにはベッドに飛び込み枕に顔を埋めて。

 やっと笑いが収まったと思っても、俺の顔を見た瞬間にまた笑い始めた。


 もう、俺のメンタルは完全に死んでいた。

 俺は金魚の糞だ。いや、それ以下だ。

 俺みたいな奴、生きてるだけで奇跡なんだ。


 うん。……俺が想像していた異世界と違う!!


ーーーーーーーーーー


「で、どうするの?」


 10分ほど笑い続けていた彼女がやっと席に戻る。


「何がだよ?」


「お願いよ、お願い!」


 ああ、それか。さっきの出来事がショック過ぎてまた忘れてた。

 実は、何をお願いしようかは最初から決めていた。

 なのに、あそこで調子に乗ったせいで……。


「ほら、なんでもいいわよ」


 少し身構える彼女。

 だが、先ほどよりも表情に余裕がある。


 こいつがリラックスできたなら、それでいいか。

 うん、そういうことにしておこう。

 ……本音はあの瞬間に戻って、急いで口を塞ぎたいが。


「この世界について教えて欲しい」


 それを聞いて安心したのか、肩をなで下ろす彼女。


「いいわよ。それじゃあ何から話せばいい?」

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