第5話 誰だそれ!?

「はぁ!? 字が読めない??」


「……はい」


「嘘でしょ? 信じられない」


 彼女はあまりのショックにふらふらと椅子に座り込む。

 俺はベッドの上で、可能な限り体を小さく丸めて正座していた。


 なぜベッドの上で正座しているかって?

 実はあのビンタの後、俺は彼女に10分ちかく説教を浴びせられたのだ。

 なぜもっといい条件の試合を選ばなかったのか。なぜあの男に不満の一つでも言って、なめられないようにしなかったのか。というか殺されかけた相手を対戦相手に選ぶなんてどうかしてる。

 主にこういう内容だった気がする。

 これからの展開に軽く絶望していたのであまり聞いていなかったことは内緒にしておこう。


 そして、そもそもなぜこの試合を選んだの、と彼女は殺気マックスで聞いてきたので、俺は正直に答えた。


「俺、字が読めないんです」


 それからはお互い、一言も喋っていない。

 

 空気が重い。

 まさかこんなに怒られるとは思っていなかった。

 別に俺が死んでも、彼女には関係ないだろ?

 そうだ、そもそも彼女はなんでこんなにも俺に固執しているんだ??

 俺を買おうとしてくれる時点で充分おかしいよな。

 俺だったらこんな怪しい奴買わない。


 

 ……まさか、俺に惚れているのか?


 いや、ないないない。そんなことあるわけない。

 だって俺、この世界に来てからいいところ一つも無いよ。

 そんな俺に惚れる奴なんているわけが無い。


 ……いや、待てよ。ここは異世界だぞ。

 無条件に惚れられるのは日常茶飯事の可能性がある。

 ここは素直に聞いてみるか。


「あ、あのさぁ。なんでこんなに、俺のこと気にかけてくれるの?」


「え? ああ、それはあなたが必要だからよ」


「俺が必要?」


「ええ。あなたなら……」


「すいませ~~ん。もう起きてますか?」


 ……。


「あれ、彼女さん来てたんですね? 別れの挨拶はもう済ませましたか?」


 ……。


「え? なんで二人とも黙ってるんですか?」


 お前のせいだよ!!!



「とにかく! 今はどうやってロックベアを倒すかだけを考えなさい!」


 彼女はそう言って立ち上がり、扉の方へ向かう。


「死んだら何もかも終わりなんだから」


 そう言う彼女の表情はどこか寂しげだった。


 ……。


「ノザキヒロトさん、女性は繊細ですから言動には気をつけた方がいいですよ」


 お前にだけは言われたくねぇよ!!!

 

 虚しい叫びが、俺の心の中で響き渡った。


ーーーーーーーーーー


「それでは、今回の試合のルールをあらためて説明します」


 俺は今、闘技場の控え室にいる。

 闘技場は俺が想像していた形そのものだった。

 円形の壁には均一な穴が空いており、屋根もない。

 そう、コロッセオのようなあの形だ。

 あまりにもそっくりで最初は驚いたが、これから死ぬ俺にとっては関係の無いことだと、今はあまり気にしていない。


 目の前ではあの男が、俺がサインした羊皮紙を持っている。

 普通ならば、これは最終確認というやつなのだろう。

 俺は普通じゃないのでこれが初めてになるが。

 今更、怖じ気づいても仕方が無い。

 もうロックベアと戦うことは決まっているのだから。

 ここは腹を決めよう。


「この試合はルール無用のデスマッチとなっています」


 ……。


「対戦相手は、ロックベアです。

 魔法も武器も制限はないので、自由に戦ってくださいね」


「制限なさ過ぎだろ!!!」


「す、すみません!」


「こんなの試合じゃねぇだろ!? ただの惨殺だ!!」

 

「そうなんです。だから誰も受けてくれなかったんですよ」


 今にも泣き出しそうな男。


 誰も受けてくれなかっただと? 

 当たり前だ! 誰が受けるか、こんな試合。

 

 っていうか、俺、カモにされてるじゃねーか!!


「本当にすいません。こうするしかなかったんです」


「まてまて。そんな説明じゃ剣闘士さんも困るだろ?」


 扉から突然、声が響いてくる。

 顔を向けると、そこには少し顎にひげを蓄えたダンディーな男がいた。

 目の前の男と同じ服装をしているので、おそらく締罰隊の人なのだろう。

 左胸につけたドラゴンのワッペンがかっこいい。

 この男の先輩か?


「どうも、オリバーと言います」


「……野崎です」


 オリバーと名乗る男は俺の前まで歩いてくると、頭を軽く下げながら手を差し出してきた。俺は差し出された手を反射的に握る。


「リッカルド。お前がそんな態度でどうするんだ」


 え? こいつの名前、リッカルドっていうのか。


「先輩、その名前で呼ばないでください」


 目の前の男が顔を赤くする。

 そこまで嫌がる名前か?


 俺がよく分かっていないのを察したのか、オリバーが話し始める。


「この世界にはリッカという刺激臭のする実があるんです。

 まあ、その匂いがちょっとね。人間の排泄物に似てるんですよね。

 通称うんこの実。それでこいつ、小さい頃からそういうあだ名ばかりつけられてたみたいで」


 なるほどね。そりゃ嫌になるな。


「それよりも、この案件を受けていただきありがとうございます。

 おかげでこいつがクビにならなくてすみます」


 オリバーが頭を下げる。見事な90度。

 リッカルドも見習ってほしいものだ。

 でもこの案件を受けることが、なんでリッカルドのクビにつながるんだ?


「実はこいつ、先週上司にけんか売ったんですよ」


 え? この、今にも泣き出しそうなリッカルドが?

 絶対嘘だ。


「こいつ、小さい頃に母親が盗賊に刺されてるんです。

 でもその盗賊は締罰隊と裏でつながってて、捕まえられなくて」


 ……リッカルドにそんな過去が。


「それで締罰隊を変えようと入ってきたはいいものの、全然成果を上げられなくてね。そのくせに、締罰隊のことを裏で嗅ぎ回るわで、ついに上司に目をつけられたんですよ、こいつ。

 そして呼び出されたと思ったら、喧嘩売ってきましたって。

 それを聞いたときは思わず笑っちゃいました」

 

 リッカルド、こいつバカだ。めっちゃバカだ。

 ……だが、いいバカかもしれない。


「そのせいで、今日までに大口案件の契約を結んでこなくちゃクビだったんですよ」


 オリバーが口を大きく開けて笑う。

 「笑い事じゃないですよ」とリッカルドはぼやいたがオリバーは気にしていなかった。おそらく、日頃からこういう関係なのだろう。

 でも、後輩のためなら頭を下げる。いい先輩だな、この人。


「そうそう、隣は武器庫になっていますので、武器はそこから自由に選んでください。どの武器もロックベア水準の武器となっていますので、心配はいりません。

 それでは開始時刻になったら迎えに来ます。それまではゆっくりしてください」


「それ、俺のセリフですよ!」


 文句を言うリッカルドを連れて、オリバーが部屋から出て行った。

 俺はそんな二人を見て、少し羨ましいと思った。

 俺にはこんな感じで話せる友達なんていなかったから。



 部屋に設置された時計を見ると、すでに八時にさしかかっていた。


 はぁ、三十分後には、あの熊と戦うのか……。不安だ。

 そういえば、ピンク髪の彼女はロックベアをどうやって倒したんだろう?

 あの時、聞こえた音的に風魔法かな?


 右手を上に向けて、風をイメージする。ヒゥーと右手からそよ風が生まれる。

 案外簡単にできるんだな。でも、これであの熊を倒せるイメージは湧かない。


 ……とりあえず、武器でも見に行くか。


ーーーーーーーーーー


「準備は出来ましたか?」


 リッカルドが控え室の扉を開ける。

 俺は軽い剣と盾だけを身につけて立ち上がった。

 他の装備もいろいろ試してみたが、動きづらくなるだけだったので、これだけにしたのだ。


「よろしいようですね。それでは行きましょう」


 はぁ、ついに始まるのか。


「ちょっと待って!」


 部屋を出た途端に後ろから声が響いてきた。

 驚き振り返ると、ピンク髪の彼女がそこにいた。

 彼女はいきなり俺の手を掴むと、持っていたものを強引に俺の手に押し込んだ。


「これ」


 渡してきたのは手のひらサイズの一つの小袋。


 なんだこれ?


「これを使って……」


「ちょっと何してるんですか!?

 アドバイスは困りますよ! 試合が面白くなくなっちゃうでしょ!!」


 リッカルドが俺と彼女の間に割って入る。


「まさか、何か貰ったりしてないですよね?」


 急いで小袋をポケットへ。


「な、何も!」


 俺の体をなめ回すように見るリッカルド。

 一瞬、ポケットで視線が止まる。


「はぁ、まあいいでしょう。

 あのロックベア相手に付け焼き刃でどうこうなるはずもありませんしね。

 多少は見逃してあげますよ」


「それじゃあ、使い方を説明するわよ」


「それはダメです!!」


「なんでよ!?

 付け焼き刃じゃどうにも出来ないって言ったのはあなたでしょ!

 これぐらいいいじゃない!?」


「ダメなものはダメです! ほら行きますよ!!」


 リッカルドが俺の右手を掴む。ゴツゴツした男の手。

 ……うん、最悪。

 しかし左手に、右手とは違った柔らかい感触が生まれる。

 そうだよ、握るなら女性の手だよな!

 

 彼女は余った右手で俺の襟元を掴み、顔を引き寄せて一言。


「負けたらただじゃおかないわよ」


 ……。


 俺は最悪な気分で試合会場へと向かった。


ーーーーーーーーーー


 何本もの鉄の柱が交差したゲート前で、俺は一人立っている。

 結局、彼女から貰ったものは謎の小袋一つと、恫喝だけだった。

 ロックベアを倒す展望は未だに真っ暗なまま。

 リッカルドも笑顔で「頑張ってください!」と言ってどこかへ行ってしまった。

 頑張るに決まってるだろ! じゃなきゃ死ぬんだからな!!

 

 まあいい。今はこれについて考えよう。 

 

 俺は彼女から受け取った小袋を手の上でまわす。

 どうやら、中に入っているのは砂状の物のようだ。

 何かは分からないが、この試合に役立つのだろう。

 小袋を開けようとしたその時、ゲートが重々しく開き始めた。


 もう始まるのか。


 小袋を急いでしまい、呼吸を整える。

 さあ、やるぞ!


 俺はフィールドへと足を踏み出した。


 俺の登場と同時に、闘技場内にアナウンスの声が響き渡る。

 

「みなさま! お待たせしました!!

 本日の天気は快晴!! 絶好の闘技場日和です!!!

 今日の闘技場、本来は9時から始まる予定でしたが、急遽、飛び入り参加が決まったということで8時30分からお送りします!!」


 割れんばかりの歓声。


「なお、この試合に賭けはありません。

 個人的な賭けは問題ありませんが、闘技場は一切、責任を持ちませんのでご了承ください」


 歓声が一瞬でブーイングに変わる。

 アナウンサーはその状況を予想していたのか、全く焦る様子が無い。


「しかし、今回は特別なカードとなっています。

 みなさんが盛り上がること間違いないでしょう!!


 それでは赤コーナーから。

 記憶を失った少年、ノザキーー、ヒロトーーーーーー!!!!!」



 誰だそれ!?

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