第3話 沼に潜むもの

 水の都アクトゥール。

 孤島を拡張した都市は文字通り水に囲まれ、絶えず清流のせせらぎが聞こえてくる。そこを訪れたアルド達は再びエイミの後輩を探すために目撃情報を求めた。


「この絵の女?見たことないなあ」

「綺麗な絵画ね。でもこの人は見たことないわ」

「変わった服を着てるな。こんなの見たら忘れないと思うよ?」


 調査の結果は芳しくなかった。 

 アルドたちがこの世界でサイラスと出会う前にメリルがやってきたというなら月日もかなり経過している。それなら人食い沼に近いアクトゥールに一度は立ち寄っていると彼らは考えたが、目撃者は出てこない。


「ああ、もう!あの子が通信機を手放さなかったらすぐに連絡できるのに!」

「しかし通信機をあの森に放置したおかげで未来のエルジオンで発見され、あの時代に転移したとわかったのでござろう?」

「そういえばそうだったわね……」


 サイラスの正しい指摘にエイミは項垂れた。

 ひょっとしたらメリルが別機種や予備の通信機を持っているかもしれないと考えて様々な信号を送ってみたが応答はなかった。


「なあ、エイミ。今度もメリルの立場になって考えてみよう。お前がその子ならこの時代でどうやって生き延びる?」

「うーん、そうねえ。魔物を倒して食いぶちを稼ぐしかないと思う。でも、あの子の武器って光学兵器なの。そんなの使ってたら目立ちまくってすぐ噂になると思うんだけど……」

「歴史の改変を恐れてどこかの山奥で暮らしているカモシレマセン」

「正しい行動だけど、今だけは騒いでほしいわ。どこにいるのよ、メリル?」


 エイミは腹立ちまぎれに石畳を蹴りつけた。

 まるでそれを合図にしたかのように人々の悲鳴が聞こえた。


「え!?私のせい!?」

「違うでござるよ」

「魔物だ!」


 アルドが言った通り、水面からシーラスと呼ばれる魔物が数匹這い上がっていた。

 アルドたちが駆けつけるとシーラスはお互いに目配せしてすぐに水へ飛び込んだ。


「あれ?逃げたぞ」

「呆気ないわね」

「戦闘モードを解除シマス」

「おい、魔物はどこだ!?」


 騒ぎを聞きつけた警邏中の兵士がやってきた。

 そしてアルド達から事情を聞くとうんざりした顔で「またか」と言った。


「またとはどういう意味でござるか?」

「最近、魔物が現れたと思ったらすぐ逃げるんだよ。まるで俺たち兵士を攪乱してるみたいに」

「攪乱でござるか?」

「ああ。あちこちに出没したと思ったら食糧庫を襲って食い物を盗むんだ」

「むむ、シーラスにそんな知恵があったでござろうか?」


 サイラスは首を傾げた。

 彼の住んでいた人食い沼にもシーラスは出現するが、本能に任せた行動が多い。


「変異種ってやつじゃないか?余計な知恵をつけやがって」


 兵士は不満をたらたら漏らしながら去っていった。

 サイラスはその様子を見ながら何かを考えこんだ。


「アルド殿、申し訳ないが拙者が暮らしていた沼に寄ってもらえぬでござるか?」

「あの人食い沼に?急にどうしたんだ?」

「シーラスがこの街に食料を奪いに来たということは奴らの数が増えたのかもしれぬでござる。あの沼は魔物が繁殖するのに都合が良く、この都に影響が出てるのかもしれぬでござる」


 水系の魔物は水場ならどこでも暮らせるというわけではない。

 水流や温度、餌の供給源によって魔物の住み分けや食い分けが行われており、サイラスが住んでいた沼はシーラスにとって恰好の繁殖場であることを説明した。


「なるほど。でもメリルの件を放っておくわけにも……」


 彼はエイミの心情を考えるとどうしていいか迷った。

 するとリィカがその案に賛成した。


「アルドさん、早急にソノ案件を解決した方がよいデス」

「どうしてだ?」

「推測デスガ、サイラスさんはその沼に住んで魔物を時々駆除していたノデハ?」」

「うむ?そうでござるよ。増えると鬱陶しいでござるからな」

「だとスレバ、サイラスさんが沼に住むオカゲで魔物の繁殖が抑制されていたかもシレマセン。本来の歴史ではサイラスさんはアルドさんとワタシに出会わず、沼から離れるコトもアリマセン。ワタシたちと関わったコトで魔物が増えたトシタラ……」

「歴史が変わってるってことか!」

「ソノ可能性がアリマス」

「まずいわね……。メリルには悪いけど、こっちが優先よ。すぐに向かいましょ」


 エイミもすぐに納得した。

 歴史が変われば自分たちのいる未来が消えかねない。

 彼らはかつてサイラスと出会った沼地へ向かうことになった。


「久しぶりに来たけど、やっぱり魔物が増えてるな。おっと!」


 人食い沼から飛び出して襲ってくる魔物を切り裂きながらアルドは言った。


「ええ、シーラスだけじゃなくてスライムもやたら出てくるわね」

「しかもワタシとアルドさんと訪れた時よりも強さが上昇してイマス」


 各々は水辺から飛び出てくる魔物を討伐しながら会話した。

 この地が人食い沼と呼ばれるのは彼らが原因に他ならないが、それはあくまで一般人レベルの話である。少なくともアルド達が来た時はさほど脅威とならなかった。フォッシ・ルーという甲殻類の魔物、定形を持たないスライム類、両生類のシーラス。どれも以前の遭遇率はさほど高くなく、強くもなかったが現在は別物になっていた。


「シーラスはわかるけど、なんでスライムまで増えるんだ?」

「スライムはシーラスの食い残した餌や排泄物を吸収するそうでござる」


 スライムの心臓部である核を剣で貫きながらサイラスは言った。


「シーラスが増えるとスライムの餌も増えるってことか」

「不潔な連中ね」

「いやいや、スライムは水を浄化する役目もあるでござる。見境なく沼の生き物を食い散らかすシーラスこそが元凶でござろう」

「サイラスっていう最大の脅威がいなくなって我が物顔で数を増やしたのかな」


 アルドは自分がサイラスを連れて行ったことでこの地の生態系が変わりつつあることに罪悪感を覚えた。もっとも、サイラスがいなければ倒せなかった敵も多く、おかげで歴史の改変を修正できた。何が正しかったかは判断が分かれるだろう。


「しかし妙でござるなあ。数が増えたとしても食料を奪うための作戦まで考えてるのは解せぬでござる」

「そうそう。こいつら、やたら統率が取れてるわ。まるで訓練を受けてるみたい」


 エイミは2匹同時に襲ってきたシーラスの鉤爪を躱し、蹴りを放った。

 2匹の頭部に当たった蹴り音は1度にしか聞こえない、まさに神速である。


「連携がしっかり取れてるわ。まるで軍隊みたい」

「なんらかの個体が他の魔物を統率シテイル可能性がアリマスネ」

「ゴブリンの軍団を作るゴブリンキングみたいなやつか」

「なるほど。水域を支配する魔物の支配者とは厄介でいござるな」

「それなら私も戦えるわよ」


 エイミがスライムを殴り飛ばしながら言った。


「この戦闘ブーツ、セバスちゃんが改良して水上を走れる機能がついてるの」

「え?そんな機能があったのか?」

「時間制限はあるけどね」

「斥力増幅装置デスネ。水の抵抗を利用シテ水上走行を可能にシマス」

「ほう!面妖な足具でござるなあ」

「水場から引きずり出してくれたら俺も戦えるんだけど……」


 アルドは自分の出番がなくなりそうで不安になった。

 人間が陸でいくら強くても水中が戦場になればほとんど無力だ。彼の時代では水域の魔物討伐はいかにして陸に誘き出すかが勝負の分かれ目になる。


「でも肝心のリーダーはどうやって見つけるんだ?サイラス1人で水中を探すわけにもいかないだろ?」

「ワタシにお任せクダサイ」


 リィカはそう言うと澱んだ沼に足を付けた。

 赤い目を輝かせ、大きなおさげのようなアンテナがくるくると回る。

 

「熱探知、音響・電磁波レーダ法ニヨル索敵を開始シマス。データ処理中は無防備ニナルノデ皆サンは援護をお願いシマス」

「何をやってるんだろう?」

「ええと、セバスちゃんなら丁寧に説明してくれるんだろうけど……」

「未来のからくりは不思議でござるなあ」


 3人はとりあえず襲ってくる魔物からリィカを守ることにした。

 リィカの索敵装置が水中のデータを収集し、魔物の種類や配置を分析してゆく。敵を統率する個体の位置を推定し、その方向に手をかざした。


「シャイニング・レイ、発動シマス!」

「みんな、リィカの方を直接見ちゃ駄目よ!」

「むむ?」

「うわっ!」


 アルドたちの目がくらむような閃光と共にリィカの大技が炸裂した。

 次元さえ切り裂きそうな高出力の光線が沼の水を沸騰させ、すぐに水蒸気爆発という現象を引き起こす。沼の一か所が巨大な水柱と大音響を生み出して吹き飛んだ。


「グオオオオオオッ!!」


 巨大な生物が咆哮し、水面から長い首を出した。

 その首は3つあった。


「なんか出てきたわよ!」

「あれは……ヒュドラでござる!」


 沼から姿を現したのは青白く輝く鱗に覆われた魔物、ヒュドラだった。

 三つの首を持つこの魔物は稀に川や海に出現し、水を操って河川を氾濫させることで天変地異のような扱いを受けている。


「なんであんな魔物がこんな辺鄙な沼にいるんだ!?」

「他の魔物が増殖したコトデ恰好の餌場にナッタと推測シマス」

「餌にしつつ配下としても使ってる感じか」

「シーラスはともかくスライムなんて食べて美味しいの?」

「キサマラッ!タカガ人間ノ分際デ!!」


 ヒュドラの首の一本が憤怒を含んだ声を出した。

 残りの首も殺意をこめた視線をアルドたちに送っている。


「あれを倒せば解決ってことでいいのよね?さっさとやっちゃいましょ」

「最優先で排除スベキ脅威と判断シマス」

「久しぶりに大物と戦えるでござるな」

「エイミ、サイラス、あいつは任せる!俺とリィカは他を片付けよう!」


 アルドたちは伝説の魔物に臆することはなかった。

 水を操るヒュドラが巨大な水弾をいくつも撃ち出し、その衝突音が戦いの開幕を告げる。魔物たちも一気に数を増やし、アルド達に襲い掛かった。


「はあああっ!」

「行くでござる!」


 エイミとサイラスは水弾を躱し、水上を疾走してヒュドラに迫る。

 前者はセバス特製の局部パーツ、後者は苛烈な鍛錬が編み出した走法のおかげだ。

 アルドとリィカはそんな真似ができないので残りの魔物を相手にする。


「虫ケラガアアアッ!!」

「そういうあんたは魚みたいなもんでしょ!」

「一寸の虫にも五分の魂でござるよ!」


 2人は水弾とヒュドラの牙を躱して2か所の頭部に打撃と斬撃を打ち込む。

 それは通常の魔物なら一撃で息絶える威力だがこの敵には「ヌウッ」と呻き声を上げさせるに留まった。ヒュドラの牙が反撃し、2人はかろうじてそれを避ける。


「ソノ程度デ屠レルト思ッタカ!!」

「ちいっ!やっぱり頑丈ね!」

「体の表面に水の鎧を纏ってるでござる!あれを剥さねば!」


 サイラスは先ほどの光線を期待してリィカの方を一瞬見たが、むこうも大勢の魔物で手いっぱいだ。エイミとサイラスは近距離から放たれる水弾を避けては攻撃を放つが敵の防御力が高く、小さなダメージしか与えられない。ほんの数分で体力を削られ、ヒュドラが優勢になりつつあった。


「ハハハハ!身ノ程ヲ知ッタカ!愚カ者ガ!」

「くうっ!このままじゃジリ貧ね!」

「リィカ殿かアルド殿が参戦できればよいのでござるが!」

 

 ないものねだりしかできず、2人の脳内に敗北の文字が浮かび始める。しかし、あきらめるという文字はない。ここで負ければおそらく歴史は全く別物になり、彼らの存在は消えるだろう。自分の存在と未来のために2人は命と引き換えでもこの敵を倒すと決めた。

 その時だった。誰も予想しない方角から光線が放たれ、ヒュドラの首の1つが水の装甲ごと灼熱した。


「ギャアアアアアッ!」

「何でござるか!?」

「あれは……」


 彼女たちは見た。

 水際から未来兵器を構える女性ハンターの姿。その顔をエイミは忘れるはずがない。


「メリル!」

「エイミ教官ー!援護しますー!」


 覇気の良い返事をしながらメリルはなけなしのエネルギー残量を惜しみなく使って光線を再び撃つ。

 さしものヒュドラも未来で爆撃用に製造された兵器を食らって無傷とはいかず、苦痛に身をよじる。水の装甲を維持する事が出来ず、そこに腕利きの戦士たちが追撃すれば形勢はたちまち逆転した。


「か弱い虫の一撃、思い知るといいわ!」

「泣きっ面に蜂でござる!」

「オオオオオオオッ!」


 エイミが渾身の力を籠め、音速を越えた蹴りはヒュドラの首を粉砕した。

 サイラスが愛刀を振り下ろして生まれた斬撃は残った1本の首を切断し、物言えなくなったヒュドラの体は水の底へ沈み始める。


「おお!見ろ!ヒュドラが沈んでゆくぞ!」

「凄まじい戦いだった!」

「なんと強い戦士たちだ!」


 遠くから戦いを見ていた兵士たちが喝采を上げた。

 アルドたちは知らない事だったが、水の都は最近の魔物発生を危惧して軍から調査団を派遣していた。

 彼らと関わると話がこじれるというリィカの助言によりアルドたちはメリルを連れてひとまず移動した。


「教官―!会いたかったですー!」

「ええ。あなたも無事でよかったわ」


 エイミは抱きついてくる同僚の頭をポンポンと軽く叩いた。


「すみません!戦闘が起きてたのはわかってたんですけど、歴史に干渉したら駄目だと思ってたんです!でも、すごく騒がしくて見に行ったら教官がいたんです!」

「ああ、やっぱりそうなの。最高の援護射撃だったわ。私が助けに来たのにこっちが助けられたわね。あなたは私のヒーローだわ」

「ち、違います!教官こそ私のヒーローです!こ、こんな所までた、助けに来てくれてっ!うわあああああんっ!」


 彼女は積もり積もった不安と喜びを一気に爆発させてしばらくエイミの胸の中で泣いた。エイミはいつまでもそれに付き合った。

 それがようやく落ち着いてきた頃、エイミは気になっていることを質問した。


「にしても、メリルはこの時代でどうやって生活してたの?運よくここを通りかかったみたいだけど……」

「え?ああっ、違います。この沼の奥に誰も使ってない空き家があったんです。なぜか食料や武器もあったのでそこに住んでました」

「え?」


 エイミたちの表情が固まった。

 この人食い沼に人は住んでいない。たった1人を覗いて。


「その家を寝床にしてたんですけど、なんかジメジメしてるし、全然快適じゃなかったですよー!早くエルジオンに帰って温かいベッドで眠りたいです。あれ?そこのカエルみたいな人、どこかで会ったような……」

「ちょっと待つでござる」


 サイラスが彼女の言葉を遮った。


「その空き家とは唐笠や蓑が壁にかけてあって、五右衛門風呂が備え付けてあるのではござらんか?」

「五右衛門風呂?大きなお釜のことですか?」

「左様でござる」

「ああ、ありましたよ。薪をくべなきゃいけないし、お風呂の底が熱くなる不便なやつでした。よく知ってますね、カエルさん」


 サイラスが沈黙し、一同もそこが誰の家かを察した。

 未だに気づかないメリルは口をへの字にして不満を続けた。


「あの家、隙間風があちこちから吹いて大変でしたよ。壁に窓じゃなくて紙が貼りつけてあるんですよー。信じられますか?空調設備も何もあったもんじゃないですよ。あそこで暮らしてた人はよっぽど貧乏だったんでしょうね!」

「メリル、その辺にした方が……」

「そりゃあ、エルジオンの快適な家をこの古代に作れとは言いませんよ?でも、隙間だらけで虫まで入ってくるんです!虫がそこらじゅうにいて、全ての隙間を粘土で塞いでやりましたよ」

「ゲコ……」

 サイラスの口から変な声が出た。


「でも、それだけじゃ不安なので虫除けに部屋の中を煙で燻してみたんです。ちょっとは効果があったんですけど、代わりに家全体が煙臭くなっちゃいました。あれは失敗でしたねー」

「その家に入る時は……ちゃんと靴を脱いだでござるか?」

「え?なんで靴を脱ぐんですか?」


 東方の習慣など知らないメリルは不思議そうに言った。

 それが駄目押しとなった。


「ゲ、ゲコーーーー!!」

「うわあああ!カエルさん、何をするんですか!?」

「お、落ち着いて、サイラス!」

「落ち着け、サイラス!彼女も悪気があったわけじゃないんだ!」

「拙者の家を何だと思ってるでござるかーー!!」


 それからサイラスの機嫌が非常に悪くなり、エルジオンに帰還する前にアルド達はサイラスの家を掃除する羽目になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る