第5話


 目を覚ますと、見覚えのある天井だった。


「って、か、あっつ!」


 あまりの暑さに慌てて部屋のエアコンのスイッチをONにする。

 美乃梨の身体は汗まみれで、実に不快な気分だった。

 適当に着替えをみつくろい部屋を出て階段を下り風呂場に直行した。

 ちょうどそのころ、目を覚ました翔は隣に美乃梨が居ないことに気づき慌てて部屋を出て階段を下りリビングに向かう。

 母親が、朝食の準備をしていた。


「お母さん! 美乃梨が! 美乃梨が居ないんだ!」

「えっ⁉」


 母親は、慌てて手を止めて美乃梨の部屋へと向かうが美乃梨の姿はない。

 部屋の空気は少なからず冷え始めているのにエアコンが動いていることにすら気づかず。階段を下りて父親の元へ向かう。


「お父さん! 美乃梨が、居ないの!」


 着替え中だった父親も動揺し「美乃梨どこだ! どこに居るんだ美乃梨!」声を荒げながら名前を呼び続ける。

 その声は風呂場までも聞こえていて、美乃梨は何事かと思い慌てて着替えると長い髪をバスタオルで拭きながら声のする方へ向かって行く。

 階段近くの廊下に父親は居た。


「なぁに父さん。朝っぱらからどうしたの?」

「なんだ、シャワー浴びてたのか……」


 自分の顔を見てほっと胸をなでおろす父親を見て美乃梨は今さらながら違和感に気付いた。


「あれ、私たしか……なんだろ、なんかに突然吹っ飛ばされたような気がしたんだけど」


 間違いなく死を覚悟した記憶があったのに、この現状はあまりにもおかしいと思った。

 そこに母親と翔もやってくる。


「もう! ビックリするじゃない!」

「そうだよ美乃梨。シャワー浴びるなら言ってくれないと」

「や、ちょと待って! なんか色々頭の整理が追い付かないってゆーか……あんた誰?」


 翔を見て美乃梨の投げかけた言葉に母親が、さも当然のように返す。


「なに言ってるの美乃梨! あなたの大好きなお兄ちゃんでしょ!」

「はぁ、別に、わあぁたし、おにいちゃんのことなんきゃぜんじぇんすきじゃないれど!」


 真っ赤になり、噛みまくりながら反論しても意味はない。

 そこにさらに父親がたたみかける。


「なに言ってるんだ美乃梨! 将来は翔と結婚するんだって言ってたじゃないか!」

「そうよ美乃梨。水族館に行くのだってあんなに楽しみにしてたじゃない」


 本物の美乃梨にとって全ては未体験な話。

 しかも隠していたはずの本心を知られちゃってるのだから動揺するなと言っても無理である。


「ちょ、ちょっと待って、い、いろいろま、まって!」


 なんとかしてこの状況を整理しようと思った美乃梨は、こめかみを押さえながら一番気になってる事を口にした。


「なんで、私……生きてるの?」


 その言葉をかわきりに場の空気が一変した。


「も、もしかして記憶が戻ったのか美乃梨!」


 父親がつかみかかるような勢いでつめ寄ると、母親も続く。


「そうなの美乃梨! 分かる! お母さんのこと分かる!?」

「や、普通に分かるけど、記憶ってなに?」

「あなたは事故に遭って記憶喪失になってたのよ!」

「げ、マジで……」

「お、お、お父さん病院! 美乃梨! 病院に連れてかなきゃ!」

「そ、そうだな! よし! 病院に行くからすぐにしたくしろ!」


 家族がバタバタとする中――翔だけは、『あぁ終わっちゃんだ』と少し寂しそうな顔をしていた。





 美乃梨の診察中――

 翔は、父親と診察室の近くに在る長椅子に腰かけていた。

 母親は、美乃梨に付き添って診察室の中である。


「ねぇ、お父さん。ボクは、また前の生活に戻ればいいんだよね?」


 父親は少し考えてから首を振った。


「いいや、父さん達が間違っていた。いまさらだとは思うが、帰ったらきちんと4人で話し合おう」

「うん。分かったよ……」


 飛び込みの診察だったためずいぶんと待たされ――時間があったのにもかかわらず翔と父親が交わした言葉は、たったそれだけだった。





 家族会議――と言うよりは、美乃梨にとって羞恥プレイ以外の何ものでもなかった。

 子供のころ、なんで兄を家に閉じ込めようと思ったのかもすでに知られていたし。

 いまだに、その気持ちに変わりがないことも知られている。

 その上で、今後兄とどう向き合って生活いていくか? と言うのが主な議題だったからだ。

 両親は、美乃梨さえよければ翔と結婚しても構わないというスタンスで話を進めていて。

 美乃梨から見た兄は、肌の白さこそ気になったが思っていた以上にカッコよく。

 正直なところ、こんな人と恋人になれるなら大歓迎というのが本音だった。

 そんな中、翔だけは冷静で――なんとなく失恋したような寂しさを感じていた。

 声も見た目も同じなのに、あの甘えてくる女の子に少なからず惹かれていたのだと知った。


「それで、翔はどうかしら?」


 母親から話題を振られ、少し考えてから本音を口にする。


「今は、忘れちゃってるみたいだけど、ここ最近の美乃梨の記憶が戻ってくる可能性もあるんだよね?」

「えぇ、なんか引き換えに忘れたままになっちゃうこともあるみたいだけれど、思い出す可能性もあるって説明されたわ」

「だったら、しばらくは様子見ってことでいいんじゃないかな? そんなに焦って答えを出す必要もないと思うし」 

「あははは。それもそうだな。二人ともまだまだこれからなんだ」

「言われてみれば、そうよね。うふふふ」


 楽しそうに笑いあう両親を見て美乃梨はバタンとテーブルに手をつき。ガタっと音を立てて椅子から立ち上がる。

 ある意味、嫉妬でもあり。自分にだけは負けたくないという意地でもあった。

 顔を真っ赤にしながらも隣に居る翔を睨みつける。


「言っとくけど、私は、私だから!」

「あ、うん。それは分かってるつもりだけど……」

「違うの! そうじゃなくて今の私だけを見てって言ってるの!」

「え?」

「私以外の私なんて絶対に認めないんだから覚悟してなさいよね!」

「え~と……」

「つっ! つまり、お兄ちゃんと私は恋人同士のままで! で、デートの予定も変更なし!」

「あ、うん…わかったよ」


 あまりの迫力に気おされたと言うのもあったが、家族で水族館に行けるというのも楽しみではあった。

 家族4人での生活は再始動したばかり。

 今後、どうなっていくのかは分からない。

 それでも不安よりは、期待の方が少なからず勝っている気がする翔だった。




おしまい

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