第4話
2週間後の診察で美乃梨は記憶の欠如以外は問題なしと診断されていた。
その間に、何度か美乃梨の同級生がお見舞いに来たり夏休みの課題等を持ってきてくれたりしたが……
美乃梨の反応は悪く。他人行儀で――まるで知らない人と話しているみたいだった。
その様子を見た母親は何度となく記憶障害があるからとフォローを入れていた。
半面、美乃梨はと言うと記憶の欠如に関して特に気にすることもなく出歩けられるようになったことを心底喜んでいる。
「おにいちゃん! デート、デート!」
「そうだね。先ずはどこに行こうか?」
「ん~。やっぱり映画かなぁ。恋人同士って言ったら恋愛映画観が定番だと思うんだよね!」
「そうなんだ」
ずっと引きこもっていた翔からしたら一般的な恋人がどんな事をするかなんてよくわからなかった。
いくら記憶の引き出しをあさってもせいぜい小学生の時に聞きかじった程度の知識しかない。
だからこうして美乃梨の方から提案してくれるのはとてもありがたかった。
「じゃぁ、お母さん。映画見に行くからお金もらえるかな?」
「そ、そうよね」
母親は慌てて財布の中身を確認する。
自分で買い物する事が出来なかった翔にとってこづかいなんてあるはずもなく。
それなりの金額が必要なのも確かである。
とりあえず、一万円を手渡そうとしたところで母親の手が止まる。
「ねぇ。美乃梨。お母さんが一緒じゃダメかしら?」
「えー。せっかくのデートなのに。なんでお母さんと一緒じゃなきゃダメなの? ねーおにいちゃん」
「あはは。それはお母さんが心配性だからだよ。いくらお医者さんから許可が出たからってなにかあったら困るだろ?」
「む~」
「いいじゃない今日くらい。それに帰りになにかごちそうしてあげるから……ね?」
美乃梨は、むくれていたが翔にとってはありがたかった。
なにせ映画を見に行くにしたって、映画館がどこにあるのかすら分からない。
往復はタクシーになるだろうし。財布を持っている人が付いてきてくれるのは心強かった。
「だってさ、なにか美乃梨の好きなものごちそうしてくれるって言ってるんだからいいじゃないか」
「ホントに! お母さん!?」
「えぇ、なんでも言ってちょうだい」
「やったー!」
無邪気に喜ぶ美乃梨はやはり幼稚園の頃の美乃梨によく似ていた。
どこに行くにしても兄の後をついて歩き。
何度となく無邪気な笑みで『おにいちゃんだいすき』と言っては抱き着いてきたものである。
*
映画を見るにしても、誰もチケットの購入の仕方が分からず。アルバイトの店員さんに教えてもらいながら券売機で買うと言う少し恥ずかしいこともあったが――
なんとか上映時間には間に合った。
それほど人気のない映画なのか。それとも平日だからなのか、席は比較的選び放題だったため。美乃梨の提案で中央付近に席を取った。
ちなみに、母親は気をきかせて少し離れた席をとった。
ほどなくして、映画は始まり。内容は、ぼっちな少女が高校入学を期にぼっちを卒業するという始まり方。
引っ込み思案な女の子は、なかなか友達もできず夏休みを迎えてしまうのだが――偶然バイトが同じになったバスケ部の男子と仲良くなり物語が動き出すという展開だった。
*
映画を見終わった翔達は、同じ大型ショッピングセンター内にあるパンケーキ屋に来ていた。
洋風で、クラシカルな雰囲気の店はデートコースの一つとしては悪くない選択と言えよう。
「美乃梨、面白かった?」
「うん! 最後の方が特に良かったよ!」
翔の問いかけに満面の笑みでこたえる美乃梨。純粋に可愛いと思った。
「でも、ボクは意外だったかな。てっきり最初の方で出て来た人と付き合うもんだと思って観てたから」
ざっくり説明すると、女の子は仲良くなったバスケ部員の子が出場する練習試合に応援に行くのだが、そこで昔よく遊んだ男の子と再会する。
それがきっかけとなり二人の距離は縮まり始め、やがて付き合うようになるという展開だった。
正直なところ、女の子のために一番頑張っていたのは同じ高校のバスケ部員だと思っていた翔は、すくなからず同情してしまっていた。
「そりゃ、私も最初はそうなのかなって思ってたけど。やっぱり昔の約束の方が大事だなって思ったし!」
「確かに、最後の方の回想シーン観ると彼以外にはありえないかなって思ったけどさ」
「だよね! いいなぁ、『俺がプロになったら結婚してくれ!』とか一度は言われてみたいセリフだもんね~」
ご都合主義と言われればそれまでだが、本当にプロになってみせられたらプロポーズもOKするしかないだろ。
「残念ながら、美乃梨の恋人には、そんな予定は一切ないぞ」
「良いよ別に。だっておにいちゃんは、おにいちゃんだもん。きちんと約束覚えてくれてて恋人になれただけですっごく嬉しいもん!」
「そうか。ありがとう美乃梨」
「えへへ~」
注文したパンケーキよりも甘い空間に居る母親は2人を見ながら――この偽善に満ちた光景をいつまで続けなければならないのかと不安をつもらせていた。
――初めてのデートが終わり夜になると家族4人での食事。
この時間も映画のように作られた時間だった。
美乃梨は今日のデートの話を楽しそうにしていて、それを聞く父親はどこか照れながら聞いている。
度々、翔にも話題が振られるが、調和を崩すことのない無難なセリフを並べるだけ。
時おり聞こえる笑い声。ビールを飲んで、さらに気分が良くなった夫婦。
知らない人が見たら、幸せな一家団欒にしか見えないだろう。
だが、この時間を終えるタイムリミットは確実に刻まれていた。
*
当たり前となた、日常。
翔の隣に居る美乃梨は何度となく、今日のデートの話と次のデートの話をしていた。
「ねぇ。おにいちゃん! 私、今度は水族館に行ってみたい!」
「水族館か~」
翔にとっても初めての経験である。ぜひ行ってみたいと思ってしまう。
「水族館って、どこに行けばあるんだろう?」
「ちょっと待ってね、調べてみるから」
美乃梨はスマホでデート、水族館と入力して検索をかける。
するとすぐにデートにおすすめの水族館という項目が現れそこをタップする。
映し出された水族館の写真はどれも綺麗で目を引くものばかり。
その中でも特に美乃梨が興味を示したにはトンネルの水槽だった。
「私、ここ行ってみたい!」
「うん。なんか楽しそうだよね!」
「じゃぁ、今度はここ行こうよ!」
「でも、ココってどこにあるの?」
「東京じゃないかな?」
「え……」
東京となると時間的にどのくらいかかるのか翔にはさっぱり分からなかった。
「お母さん達に相談してみないと難しいかもしれない」
「え~。またお母さん付いてくるの~」
「その可能性もあるけど、日帰りできるのかも分からないし……」
「そっか……だったら泊りで行ってこようよ!」
「それだと、よけいにダメって言われるかもしれないよ?」
「え~。そうかなぁ。いいもん! 明日頼んでみるから!」
何となく美乃梨の意見が通りそうな気がして、翔も少なからずワクワクしていた。
――翌日。
それなりに反対意見もあったが、今度の休みに家族で行くのならOKってことで話はまとまった。
デートに母親だけではなく父親まで付いてくることに美乃梨は不満をこぼしてもいたが、夜景の綺麗なホテルに泊まれると知って大はしゃぎ。
翔も、家の中だけではなく外に出る楽しさを覚えつつあった。
*
同日深夜――
ここしばらくの間、美乃梨と呼ばれていた者の頭にチクッとするような信号が届く。
すると彼女は、隣に寝ている者に気付かれないようにゆっくりと身体を起こし部屋を出でて美乃梨の部屋へと向かう。
窓際にあるベッドに膝を折り曲げながら乗り、なるべく音のしないようにカーテンと窓を開ける。そこには裸の女を抱える男が居た。正確には宙に浮いていた。
全身を黒い服で覆った男をから抱えていた者を受け取りベットに置く。
女は、なんのためらいもなく服を脱ぎだし本来の持ち主に着せていく。
淡い月明りが肢体を照らしていた。
全て着せ終わると、女は窓から出て男に抱えられる。
女を抱えた男はカーテンと窓だけ閉めると階段でも降りるように近くに止めてあるワゴン車に向かう。
何もなかったかのように二人は、車に乗り込み。その場を後にした。
「なにか問題は、あったか?」
男の質問に対して女は感情のこもっていない淡々とした声でかえす。
「記憶のコピーに欠陥アリと思われる状況でした。この素体の限界、あるいは複製時になんらかのトラブルがあったと思われます」
「そうか……」
左手で頭を掻きながら男は、どうしたものかと思考を巡らす。
『こいつでの実験も頃合いかもしれんな』
やがて人里離れたところにある、別荘地にたどり着き、一見するとやや大きめ家にしか見えない建物の中に二人は入って行く。
そこには外観と違い、大型の実験機材が所狭しと並べられていて白衣を着た中年の女が待っていた。
「回収は上手くいったみたいね」
「あぁ、それとこいつはもうダメだ。ここも引き払って次の実験場へ向かおう」
「そう……」
白衣を着た女は短く答えると美乃梨と呼ばれていた者へ視線を向ける。
「後は、あなたの今後についてなんだけれど何か希望はあるかしら?」
美乃梨としての意識を優先させるのであれば、翔と共に過ごしたいという事になるがそれが叶わない事は分かっているし。今までも何度となく同じような気持ちを味わったのであろう事も理解していた。
そこで一つ前の自分が、どうだったのか?
それを知ってみるのもアリかなと思い希望を口にしてみた。
「以前住んでいた所を見てみたいと思います」
「言っておくけれど、見た目は同じにできないわよ」
「はい、理解しています。ただ、どこで何をしていたのか気になりまして」
「そう、では最終実験は耐久テストって事にして問題ないわね?」
「あぁ。それでいい」
男が了承すると美乃梨だった者は以前入っていたカプセルの中に入り――他の誰かへと変形していくのだった。
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